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笹峰霧子さん

毎日一眼レフで写真を撮っています。 只今俳句を勉強しているので毎日更新しています。 https://kei9594wa.exblog.jp/

性別 女性
将来の夢 今年は健康志向で生活が回っています。 もっと元気になって余生の孤独を楽しめるような工夫をしたい。
座右の銘 周りと共調しながらも 何事にも動じない心境。

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私の中の自転車

17/02/12 コンテスト(テーマ):第128回 時空モノガタリ文学賞 【 自転車 】 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:823

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 ここ数年足腰が弱くなったので小型の自転車を買った。
近くの広場で毎日練習しようと思ったのだが、三日坊主でやめて今は車庫に置いてある。
子供の頃からずっと自転車には乗り慣れていたのに、30代半ばに車の運転をするようになってから自転車には乗らなくなっていた。足腰が弱ったのも車ばかりで移動していたせいだと思う。
自転車はジムの自転車こぎにも取り入れられているぐらいだから、運動機能にも優れた乗物だ。

 これまで車の運転ができることに自負もし、遠くへのドライブも楽しんできた車オンリーの生活のつけはこんな状態で返ってきた。
知り合いには車の運転が出来ない人が多いがみんな自転車で町へ買物に行っている。
すいすいと高齢者が自転車に乗っているのを見ると、負けた、という気がする。

 私の中での自転車の記憶は中学生になったときからだ。自転車を買ってもらう子はいなかった時代だった。
うちに出入りしていた小父さんがどこかで子供用の中古の自転車を手に入れて来て、その時から私は自転車で通学するようになった。
そのことで自分が目立っていたのを意識したことはなかったが、ニ三年前の同級会で或る男子と話したとき、自転車で学校に通っていたでしょうと言われて、そういうこともあったと思い出した。
 
 高校生になったときには、もっと遠い距離を大人用の自転車で通学した。
高校を卒業してからは自転車に乗る機会は少なくなったが、大学を卒業して家に戻ってから再び自転車で買物に行く生活が36歳まで続いた。
買物へ行くだけでなく子供が町の幼稚園に通い始めたので、毎朝子供を自転車の後ろの座席に乗せて送り迎えをし、二人目の子供が通園するようになってからは後ろに二人乗せて遠い距離を送っていた。
 
 車の運転を習ったのはその頃で、勤めていた母と子供二人を車に乗せて送った。帰りはそれぞれバスで帰らせた。
30代半ばからは自分で車の運転をする生活になったのでとても楽に行動できた。
子供が大きくなっても車は役に立った。
 
 夫が忘年会など飲酒する場所への送り迎えができたのも、母が年老いて病院通いや入退院の折も車のお陰である。
夫が定年の一年前に脳梗塞で倒れそれまでは遠出のときは運転してもらっていたのが逆転した。
時々遠くへドライブに連れて行くととても喜んでいた。

 車の運転ができてほんとに良かったと思えることがずっと続いていた。
でも現在の気持ちとしては、車を運転はしていても自転車に乗れるだけの練習をしておけば良かったと後悔している。

 広場で自転車に乗った時ハンドルが不安定で乗り降りもかなり困難だ。
こんなことでは町中へは自転車で行くことは到底できないので乗らないつもりだ。
自転車に乗って行動している知人がこの間転んだと言っていた。自転車は車以上に高齢者には危険な気がする。

 交通機関がバスしかない田舎では、車や自転車での移動が必要だ。
この先もっと高齢になって車の免許を返上したらどんな生活様式になるのかとても不安だ。

 私は時々都会に住んでいる娘の家に長期滞在していたが、自分の車がないのでほとんど歩いて行動していた。
少し遠くならバスを利用した。
せめて近場まで自転車に乗ることができたら重い買物を提げて歩かなくても良いのにと悔しい気がした。
車に乗ることに優越感を感じていた数十年だったが、今それは間違いだったと感じている。
私よりも年長者が健脚で長距離をすたすた歩いているからだ。

 毎朝早朝に広場へ歩きに来ている年寄り達ほども歩けない自分が情けないと思う。
遅まきながらジムに通って自転車こぎや下半身強化の器具でトレーニングをしている昨今である。



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17/02/12 笹峰霧子

画像はフリー写真集「足成」よりダウンロードしています。

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