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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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ハコイリ

17/02/11 コンテスト(テーマ):第127回 時空モノガタリ文学賞 【 新宿 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:582

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「ツダさんは何故、新宿ばかり撮られるんですか?」
「月並みですけど、僕、生まれも育ちも新宿なんです。いちばんよく知っていて、それなのに街が日々成長するもんだからどんどん知らないことが出てくる。それを追いかけるために、全部知るために、撮ってるようなものです」
 西新宿のニコンサロンで開いた写真展が無事に終わった。新宿を撮り続けるツダの10周年記念展だ。
「ファンです。ツダさんのような写真を撮りたいんですけど、何かアドバイスありますか?」
「僕より上手い写真を撮らないでください」
 周囲がどっと笑った。
 気さくで明るく、才能と実績を併せもつ若き写真家。ツダの人生は30半ばにして順風満帆だ。

 高級店を貸し切った打ち上げパーティーも最後まで残って招待客に挨拶し、西新宿の自宅に戻る頃には午前1時をまわっていた。
「遅い。何時だと思ってんの」
 南にきらめく建造物群を見下ろしながら、女は言った。
「今日は遅くなるって言ったろ。最終日だったんだ」
 それにしたって、とぶつぶつ言いながら女はすっと台所に立ち、茶の用意を始める。
「今日はいいよ。もう遅いし」
 女は無視して茶器を盆にそろえ、ソファに移動した。
「勘弁してよ、明日も仕事なんだ」
 ツダは壁のカレンダーを指した。手書きでびっしりと予定が書かれてあり、ところどころクマとウサギのシールが貼られている。クマは「昼食を家で食べる」、ウサギは「夕食を家で食べる」印だ。これで、女はツダの食事を無駄なく用意できる。
 女はL字型ソファの真ん中に腰かけ、隣をぽんぽん、と手で叩いた。
「さ、今日あったことを全部ママにお話しして」
 ツダは渋々、女――実母の隣に腰をおろした。


 10周年を迎えた今年は忙しい。写真展の次は、3丁目に新規開店するカフェだ。内装にツダの写真を使いたいという依頼があり、写真選定の打ち合わせに向かう。
「やっぱりツダさんといえばこれですけど、難しいですかね」
 店長がサンプルの中から1枚の写真を手にした。
 甲州街道の先、太陽を背負う西新宿のビル群を南口の歩道橋から撮ったもので、ツダが最初に大きな賞をとった作品だ。当時学生だったツダに写真家としての道を開いた。
「販売用のポストカードをそれにして、内装はほかでは見られないこの店オリジナルにした方がいいんじゃない?」
 オーナーが集客を見据えた意見を述べる。
「私、こういうのも好き。これも新宿なんですか?」
 店長が指したものは、公園で眠る老人や、小さな祠、路地裏の猫だ。
「全部新宿です。1歩たりとも出てません」
 ツダがにっこりし、一同が笑った。
「へぇ、新宿っていうと歌舞伎町とか都庁とか、やたら人が多い駅とかだけど、こういう場所もあるんですね」
「あ、これうちの店? ツダさんいつ撮ったんですか。まだ工事中だし」
「偶然ですよ。僕、しょっちゅう変化とか新しいもの探してぶらぶらしてるんで。冬にたまたま撮ったやつを見つけたんで、持ってきました」
 いいじゃん、とその場がわっと盛り上がり、いつもの居心地の悪さがツダの背中を這い回り始めた。

 ツダはいつだって自分の作品に自信がない。賞賛されればされるほど、一体その写真のどこがいいのか、自分でわからなくなるのだ。
 そのくせプライドだけは山高く、批評は右から左へ聞き流し、褒め言葉だけを受け取り大袈裟に謙遜する。
 これもいい、あれもいい、という声は、心地よかった。
 頭の裏で声が響く。

 ソンナ写真、誰デモ撮レルダロ。バーカ。


 今日は「ウサギ」の日だった。
 食事を終えて寝室に戻ると、ツダは壁に掛かる1枚の写真をぼんやりと見上げた。
 歩道橋から撮ったあの写真。「原点」の写真だ。
「どうしたの?」
 母が後ろからやってきた。寝室のドアを閉めなかったことを後悔した。母は、トイレ以外家の中のどこでもついてくる。
 いっそ家中に監視カメラをつけ、母だけをひとつの部屋に閉じ込めて1日中モニターを見せておきたいくらいだ。
「いつ見ても、いいわね」
 隣でふふ、と笑った。ツダは黙って、まるで宗教画のように、すべての始まりを胸の裏まで擦り込む。
「これ見るたびに思うわ。ママこそ才能あるんじゃないかって。撮影で悩んだらまたママが撮ってあげる」
 母がいつもと同じことを同じように悠々と告げた。ツダも、儀式のように同じ言葉を返す。
「念のため言うけど――」
「わかってます。この写真の秘密は墓までもってく。サト君の成功が1番だもの。大丈夫、ママもこの街もサト君の味方。だから、もっとがんばろうね」
 母は嬉しそうに、ツダの腕をからめとった。
「一緒に」


『ツダサンハ何故、新宿バカリ撮ラレルンデスカ?』
――確実に日帰りできるからですよ。母が、外へ出してくれないもので。


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