1. トップページ
  2. 凍える幻

冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

投稿済みの作品

2

凍える幻

17/01/31 コンテスト(テーマ):第126回 時空モノガタリ文学賞 【 304号室 】 コメント:4件 冬垣ひなた 閲覧数:601

この作品を評価する

 私の心がひび割れた瞬間だった。
『娘・鳥嶋カレンの心境はいかがなものでしょうか?』
『はっきり言って旬の過ぎた女優ですがね。今後の仕事にどう影響が出るか……』
 チャンネルを変えても、憐憫に毒の混じった、私たち母娘の風評がひっきりなしに流れている。私はテレビを消し、座っていたベッドの上に身を投げ出した。
 数十年行方知れずだった母は、一昨日から殺人事件の容疑者となっていた。練馬区のホテルで口論となった男を刺殺し、その足で自首してきたのだという。ニュースに映る、赤茶けた色の髪に衰えた容貌は、記憶に残る母と似ても似つかない女だったがワイドショーはこの話題で持ちきりだ。
 マンションの外では記者が目を光らせているだろう。カーテンを閉め切った室内で、冷蔵庫に残ったチーズをかじりながら一日を過ごしたが、幸いこの304号室まで押しかけてくる者はいない。引っ越して初めてセキュリティの良さに感謝した。


 東京湾の臨海地域に建つこの辺りの高層マンションは、私には高嶺の花だった。賃貸でもと捜し求め、ようやく見つけた物件だ。しかし家賃が高い高層階にはとても手が届かず諦めかけたとき、運命的に空いていたのがこの304号室だった。人気のない低層階の、不吉な数字。
「普通のマンションの6階にした方が余程いいんじゃない?」、後々まで笑いの種になったが、それでも私には満足な住まいだった。
 いずれ「やっぱり」と親切にくるんだ無責任な噂が立つだろう。しかし見栄っ張りにみられても、ビルに遮られ夜景も見えなくても、この部屋は私の夢の城だった。
 

 母とは12の歳まで一緒に暮らしていた。父は頑固な漁師で、故郷の日本海に面した質素な港町は、今頃深い雪に埋まって難儀している事だろう。家が軋むほど吹雪いて、寒さにかじかんだ思い出が、今も鮮明な記憶に残っている。
 母は魚の干物を作る工場で働いていた。あかぎれの多い手が痛むのか、よく愚痴をこぼしていた。私はよく薬局で軟膏を買って来たものだ。そんな時、嬉しそうに「ありがとう」と言って、母は軟膏を懸命に塗っていた。
 父の手も似たようなものだったが、「こんなもの唾をつけときゃ治る」と言って聞きはしなかった。母にも同じような事を言っていた気がする。あの時に注意すればよかった。
「お父ちゃん、男と女は違うのよ」、そうすれば母が男と逃げ出すことも、私が都会に憧れる事もなかった。


「母ちゃん、私でも望めば夜景の見える部屋に住めたの」

 私はカーテンの閉まった窓辺に立ち、独りつぶやく。
「男の人にお金貰って……住むチャンスはあった。でもそんなのは、私の夢と違う」
 母はどこで人生を違えてしまったのだろう?聞きたかった。あの働き者で優しかった母が、何故都会の逆風に流され殺人を犯すような道を歩いてしまったのか、知りたい。
 女の疲れた手に軟膏を塗るような男を選んだのではなかったのか?あかぎれから落ちた血の一滴が、母に殺意を芽生えさせたのか?屋根の雪より厚い鬱積はひたすらに凍り付いたままだったのだろうか。


 息が詰まりそうで、私は思い切ってカーテンを開けた。
 鈍い光が部屋に差し込む。

「あ……」
 重苦しいほどに近い東京の空から、冷え切った牡丹雪が無数に降り注いでいた。
 カフェの屋根に。
 公園の遊具に。
 道行くサラリーマンの傘に。
 見慣れた灰色の景色がうっすらと白い雪を纏い、忘れかけた故郷と同じ色に染まってゆく。
 窓を開くと雑音とともに寒気が室内に入り込む。マンションの下を覗き込んだが記者はいなかった。
 あるいは、在りし日の母の幻が立っているような気がしたのだ。
 都会で有名になり、実家と1階しか違わないこの304号室で待っていると、お母ちゃんがあかぎれの治った手を振って訪ねてくる。そんな他愛もない夢が蘇るような気がして。


 雪景色を眺めていると、すぐに吐く息が白くなった。隙間風の吹く家で三人身を寄せ合って暖を取ったあの頃を思い出し、母を慕う娘に戻る。
 さらさらと真っ白な雪が舞っている。
 いつか踏みしだかれ泥水になるとしても嫌いにはなれない雪の色は、母の手だ。私は落ちてくる雪を掌ですくう。

 私の熱が溶かした雪のあとには、ただ水の粒だけが綺麗な涙のように残った。  

 私は泣けなかった。
 故郷を捨てた母の幸せを願う冬の幻が、錆びたように剥がれ落ちてゆく。私は女優の顔を繕い、老いた父に電話をかけることにした。出来ることがあるとすれば、こんな両親の娘役に徹することだ。

『私は大丈夫。お父ちゃん、この街は故郷ほど寒くない、寒くないのよ……』

 私はこの部屋で母を待ち続けるだろう。捨てられない、変わり果てた夢を抱きながら。
 冷めてゆく部屋から見える雪は、涙の代わりにいつまでも止みそうになかった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/02/01 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

部屋の中で、いろいろな場面を回想する主人公の姿が304号室というテーマに、
とても上手くマッチしていますね。
親子の絆は断ち難いものですから、罪を犯した母親を娘は待ち続けるのでしょうか。
しんしんと心に浸みるようなお話でした。

17/02/03 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。

三階の304号室と高層マンションのそれとは同じ高さなのに、住み心地はまるで違うように思いました。
上に何階もの重さを意識せざるをえないだけでなく、格差とかも。
そんな304号室のありようが、主人公の今の身の上にリンクするような気がします。
詩的な表現もとてもいいなあと思いました。

17/02/05 冬垣ひなた

≪補足説明≫
・画像は「写真AC」からお借りしました。

17/02/05 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

主人公がほとんど動かないという設定の中、どれだけ話を広げられるかにチャレンジしてみました。いつもより濃密な話になったので、304号室にも愛着を感じてしまいます。都会と故郷それぞれの人の温度と情を描きたかったので、お読みいただき感謝しております。

ログイン