泡沫恋歌さん

泡沫恋歌(うたかた れんか)と申します。

性別 女性
将来の夢 いろいろ有りますが、声優ソムリエになりたいかも。
座右の銘 楽しんで創作をすること。

投稿済みの作品

5

17/01/31 コンテスト(テーマ):第126回 時空モノガタリ文学賞 【 304号室 】 コメント:8件 泡沫恋歌 閲覧数:1433

この作品を評価する

 先ほどから鍵穴を睨んでいる。
 手に鍵を持ったまま、私は304号室を開けるべきか迷っていた。
 この部屋の中に何があるのか分からない。それを知りたいと思う好奇心と、見るのが怖いという、二つの考えがせめぎ合っている。
 夫の秘密を知ることは、妻の権利だといえるだろうか?

 私たちは銀婚式をとうに過ぎた夫婦だった。
 子供は二人いる、長女は結婚して来年初孫が生まれる、長男は就職が決まり社会人になる。
 夫は中堅の商事会社に勤めているが、年中出張や海外転勤でほとんど家にいない人。だから私が専業主婦として家を切り盛りしてきた。
 不仲というわけではないが、たまに夫が家にいても会話もなかった。
 いつも仕事で疲れている夫の健康を心配していたら、夫の同期の人が急死した。その人の葬儀から帰った夫が、故人は働き過ぎが原因で欝病になって自死したのだという。「俺はあんな死に方はしたくない」そういって、定年になったらキャンピングカーを買って、おまえと日本中を旅して回るのが夢だと語った。
 夫の言葉に、「狭いキャンピングカーであなたと旅行なんて真っ平です!」私は即座に断った。
 子育てを終えた主婦の楽しみといえば、花を育てること、ペットの世話をすること、たまに手の込んだ料理を作ってみたり、近所の主婦たちとホテルでランチして、カラオケで盛り上がることだった。
 ささやかな楽しみを夫と時間を共有することで奪われたくないと思ったのだ。
 夢を拒否されて、夫はさぞ傷ついたことだろう。今にして思えば、ずいぶん薄情な態度だった。
 その頃から、時々週末に行く先も告げず、旅行鞄に着替えを詰めて出掛けるようになったのは、たぶん一泊のゴルフコンパだと思って気にもしていなかった。いつも仕事で家にいない夫に慣れて、私は彼には無関心だった。

 その夫が心筋梗塞で急死した。
 出張先のホテルで倒れて、そのまま帰らぬ人となった。定年まであと八年だったのに……夢を果たせないままで人生を終えた。
 人ひとり亡くなるということは、悲しみにくれる隙を与えないくらい、遺族には用事が多い。葬儀の手配から煩雑な法的手続きまで終えて……やっと故人の死を悼むことができるのだ。
 少し落ち着いたころ、夫の遺品の整理を始めた。
 服や身の回りの物はすべて処分したが、夫が愛用していた旅行鞄だけは取っておくことにした。この鞄を持って出張に出かけていく夫の後姿を思い出して切なくなった。夫との間に溝をつくったままのお別れだけに辛かった。
 旅行鞄を一度陰干ししようとひっくり反したとき、底敷きの下から鍵が落ちた。
 ごく普通の鍵だったが、『304号室』と書いたプレートが付いていた。

 なぜ鍵を夫は鞄の底に隠していたのか気になってしかたない。書類箱を調べたら、夫名義の通帳が出てきた、そこには毎月決まった金額が引き落とされている。家賃の支払いかもしれないと、引き落とし先の会社に事情を話して、部屋の住所を教えて貰った。
 自宅から電車で一時間ほどで行ける距離に夫の部屋はあった。
 そこは単身者用のワンルームマンションだった。私は部屋の前で迷っていたが、知りたいという好奇心に負けて、鍵を開けることにした。
 鍵穴に差し込みゆっくりと回すと、カチャリと鍵のあく感触があった。

 ――ひどく殺風景な部屋だった。

 広さは八畳くらい、小さなキッチンとユニットバス付である。ソファーと小さなテーブルがあるだけ、ベッドは置いてなかった。テレビも冷蔵庫もなく、テーブルの上には読みかけの文庫本、電気ポットと紙コップのインスタントコーヒーがキッチンにある。
 もし女の痕跡があったらどうしようかと脅えていたが、そういう用途で使われていたふしはなかった。
 クローゼットを開けてみたら、衣装ケースがあった。
 ケースの中にオリーブグリーンのマフラーが入っている。それは結婚前に、私が夫にプレゼントした手編みのマフラーだった。まさか、夫が今でも大事に取っているとは思わなかった。
 他にも新婚旅行で行ったハワイのレイや銀婚旅行のオーストラリアで撮った夫婦の写真、毎年の夫の誕生日プレゼントが入っていた。これは夫婦の記念品箱だ。
 ケースの底に『最愛の妻へ』と記した、きれいな小箱があった。何だろうと、開けてみたら真珠のネックレスだった。

 ――もしかしたら、これは夫が私に仕掛けたゲームなのかもしれない。

 あの鍵はスタートボタンなのだ。
 少しでも自分に関心があれば、この部屋を見つけ出せるだろうと、この殺風景な部屋の中で見つかるのを夫は心待ちしていたのだ。
 自分に対する、妻の愛を確かめるためのトラップとしてこの部屋は借りられていた。
「あなたの隠れ家、304号室を見つけましたよ」
 真珠のネックレスは、夫から私へのご褒美だった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/02/03 そらの珊瑚

泡沫恋歌さん、拝読しました。

ながいこと夫婦をやってるとその距離感が近くなったり遠くなったりするもの。
夫婦は紙切れ一枚で他人に戻れる家族といいますが、この夫婦は家族のまままっとうできたのだと思いました。

17/02/05 霜月秋旻

泡沫恋歌さま、拝読しました。
まさか…不倫か!?と読み進めてましたが、旦那様がそのような人間ではなくて安心しました。疑ってすみませんでした(笑)
奥様が隠れ家を見つけるまで、旦那様が生きていて欲しかったです。

17/02/06 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、拝読しました。

夫婦のすれ違いからどうなるんだろう……と読み進めたら、旦那様の愛情の深さに胸を打たれました。
旦那様が夢見たように、一緒に第二の人生を歩く未来が詰まった部屋にたどりついて良かったです。素敵なお話をありがとうございました。

17/02/22 光石七

拝読しました。
妻の愛を確かめるための304号室。夫の愛情と彼が抱いていた期待感に胸が熱くなりました。
できれば、生きている間に妻にみつけてほしかったでしょうが…… でも、きっと妻は夫を思いながら生きていくのでしょう。
素敵なお話をありがとうございます!

17/03/24 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様、コメントありがとうございます。

夫婦って長くやってると上手くいってる時期と、そうでない時期とがあります。
なんだかんだ言っても、やり過ごせばまた上手くいくようになりますよ(๑´・ᴗ・`๑)

17/03/24 泡沫恋歌

霜月秋介 様、コメントありがとうございます。

そうそう、不倫かと思わせてそうではなかったというのが、この話の・・・
いわばミソなんですよ( 〃´艸`)
好い意味で期待外れでした。

17/03/24 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、コメントありがとうございます。

すれちがいの夫婦だったけれど、旦那さんの気持ちはブレてなかったんですね。
生きてるうちに彼の部屋に辿り着ければ良かったんだけれど・・・ちょっと切ないラストでした。

17/03/24 泡沫恋歌

光石七 様、コメントありがとうございます。

304号室というテーマをもらった時、その部屋の中にはいろんな可能性があり過ぎて、
むしろ何を書こうか悩みました。
だから304号室を外から探す話にしました。このテーマは楽しかったです。

ログイン