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本宮晃樹さん

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無限の彼女

17/01/24 コンテスト(テーマ):第126回 時空モノガタリ文学賞 【 304号室 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:668

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 香苗の住まいは四階建てで四部屋の、やけに細長いアパートの三階にある。築十五年も経つ爆破解体前のような建物で、最上階は天気が荒れて強風が吹き荒れるたび、メトロノーム然とした周期的な揺れを観測するというもっぱらのうわさだった。
 彼女は三階の角部屋、三〇五号室にここ数年居ついている(ふつう「四」は縁起が悪いということで避けられる。したがって四部屋あっても角部屋は五号室になる)。
 お付き合いが長くなるとどうしても、外出するインセンティヴが失われるのは避けられないようだ。今日も今日とて彼女のアパートで無為な時間が浪費されるであろう。
 チャイムを押す瞬間、ふと気になって部屋番号を確認してみた。
 三〇四号室だった。
「真琴くん、あがって」にもかかわらず、出てきたのは香苗だった。

     *     *     *

「なあ」わたしは努めてなにげない調子で、「アパートの部屋番号、変わったのか」
「変わってないよ。どういうこと?」
 ありがたいことにコーヒーがふるまわれた。一口すする。味はともかくとして、いくぶん人心地はついた。「だってこないだまで三〇五号室だったろ、ここ」
 彼女は怪訝そうに眉根を寄せた。「あたしが越してきたときから三〇四だったけど」
「どうもおかしいな」エントロピーが極大にまで達した部屋で座る場所を確保するのは至難の業だ。「ふつう『四』は不吉だとかで避けられるはずなんだけど」
「なんで『四』が不吉なの?」
「だから、『死』と同じ語感だからさ」
「そんな話聞いたことないよ」香苗にからかっているような調子は見られない。「どこでも四番めの部屋はそのまま『四』が使われてるよ」
「ぼくのアパートはそうじゃないぜ」
 本当にそうだったろうか。
「そんなことよりさ、こんな話、聞いたことある?」彼女は本棚からド派手な表紙の文庫本を引っこ抜いて、「これなんだけど」
 それは典型的なえせ科学を売りにした資源の無駄遣いで、心霊療法でがんが治ったとか、未来からきたと自称する個人のSNSが驚くべき的中率で地震やら大事故やらを予言しているとかいうたぐいのものだ。
 問題のページには多元宇宙論を無手勝流で拡大解釈したジャンク記事が掲載されていた。それによればこの世は無限に分岐する無数の宇宙に枝分かれしており、われわれは日々、そのあいだを知らず知らずのうちに渡り歩いているのである! 諸君が明日会う彼氏なり彼女なりは、果たして厳密に昨日のそれと同一人物であろうか? と結んであった。
 わたしはこらえきれずに吹き出した。「多元宇宙ってのはさ、波動関数収束問題を回避するために、苦し紛れに考え出された詭弁なんだよ」
「どういうこと?」好奇心が強いのはいいのだが、早晩ほかの男にそれを発揮しやしないか気が気でない。「ちんぷんかんぷん」
「たとえばぼくが自分の部屋にいるとき、香苗はぼくがなにをやってるのかわからないわけだ」
「どうせやらしいサイトでも見てるに決まってるよ」
 大げさにせき払いをして、「とにかくそれを確かめるには実際にこっちへきてもらって、ぼくの行動を観測する必要がある」
「電話で聞けばいいじゃん」
「もちろんそれでもいい。で、そのときになって初めてぼくのやってることが決定されるのさ」
「そんなのおかしいよ。だって真琴くんがナニしてようと」淫靡に笑う。「そんなこと聞く前から決まってるじゃない」
「量子力学ではそう考えない。観測した瞬間にふるまいが決まる。これを波動関数の収束と呼ぶ」
「で、多元宇宙がそれにどう関係してくるの?」
「その収束はいつ起きるんだろうか。ぼくの携帯が鳴った瞬間か? それとも『通話』を押したした瞬間か? 実際に会話を始めたときか? もしそうなら電磁波が飛んできて、端末の電子のひとつめが動いたときか?」
「そんな調子じゃ決められないよ」
「ならそんなものはなくて、その都度宇宙が分岐すると解釈すればどうだろう」
 しばし彼女はぽかんとしたのち、「つまり真琴くんがナニしてるのかがわかったとき、ひとつの事象に収斂するんじゃなくて、あらゆる可能性の宇宙が生まれるってこと?」
「めずらしく冴えてるな」まるで香苗じゃないみたいに。「これはなんにも解決してなんかいない。結局宇宙はいつ分岐するんだ?」
「そう言われてみればそうだね」
「要するに」文庫本を投げ捨てた。「こんなのはお笑い種だってことだな」

     *     *     *

 すっかり遅くなってしまった。別れのあいさつをして扉を閉める。部屋番号に目が吸い寄せられるのを止められない。
 三〇五号室だった。おそるおそるチャイムを鳴らしてみる。
「あれ、真琴くんどうしたの急に。くるなら連絡してよね」にもかかわらず、出てきたのは香苗だった。


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