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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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新宿ジュースふたたび

17/01/20 コンテスト(テーマ):第127回 時空モノガタリ文学賞 【 新宿 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:865

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陽子記憶をまさぐりながら、新宿の街中を移動していた。
この街のどこかに、それは確かにあったのだ。高層ビルの根元に当る部分から、木からゴムの汁を集めるように、滲みだした液体をジュースにして一杯百円で売っていた男がいた。あのとき彼女は、死に場所をもとめて高いビルを探しているあいだに、たまたま男に呼びとめられて、そのコップにみたしたジュースを飲んだのだった。その名も新宿ジュース。飲み終えると、ふしぎと気持は高揚して、そのときなにやら奇怪なものが頭のなかを去来したのを、いまでもおぼえている。どうして死のうとなんかしたのか、理由はなにも思い浮かんでこない。若かったのかしら。かれこれ五年前の出来事になる。
もう一度あのジュースをのんでみたい。
強い衝動にかられて陽子はこうして、記憶の中にある場所を探していた。5年もたつと、新宿といえどもその様相は大きく様変わりしている。ひょっとするとあのビルがあったあたりも、土地の区画整理などで、跡形もなくかわっていることもありえた。
闇が、彼女の足どりにつれて、群れ集いはじめた。あのときもまた、闇がそのマントをひろげて最後の夕日を覆い包もうとしていた………。簡単に屋上にあがれる建物はないかと、上ばかり見て歩いていたあのときのことを陽子は思いだしていた。どこをどう歩いたかはわからなくても、そういえばいまみえる沈んだ菫色の空は、あのときと似ているようにおもえた。
「ねえちゃん」
その声に、陽子は足をとめてあたりをみまわした。目は無意識に、むこうがわの建物をとりまく茂みにむいていた。
「そう不思議そうな顔をするなよ。また新宿ジュースをのみにきたんだね」
茂みの割れ目から、男が顔をつきだした。
「しらないわ、そんなの」
「はは。ねえちゃんもちっとは年をとったようだ。いいから、こっちにきなよ」
陽子は、建物の足元を隠してくろぐろと盛り上がる茂みのほうへ、静かにちかづいていった。茂みのなかの、かろうじてみわけられる暗がりのなかで、建物の壁のうねうねと盛り上がった部分をナイフの先で傷つけ、その傷口からトクトクと液体が垂れ落ちるのを、あのとき同様グラスで辛抱強くうけとめている彼の姿があった。当時その様子に、痛く感動を覚えた記憶があったが、いまみるとべつにどうってことはなかった。
「へい、おまち。いっぱい300円だ」
ふりそそぐ最後の夕日に、バイオレットに透けるグラスの中をのぞきこみながら陽子は、
「新宿の毒のエキスでできているわりには、きれいな色をしてるのね」
「毒といわれるものはなんでも、美しいものさ」
「これを飲んでからというもの、私、それまでの人生の何十倍も濃い生き方をしてきたような気がする」
「そうだろう」
「わかるの」
「見違えるぐらい大人びているもの。―――どうしてまたのみたくなったんだね」
「わからない。これをのんだとき感じた、あの一瞬の高揚感を、ふたたび味わいたくなったのかも」
陽子は、彼がさしだすグラスを黙ってうけとった。そして目の高さにグラスをさしあげたまま、ながいあいだ中の液体をみつめていた。―――いま自分の体に傷をつけても、やはりそこからこんな色した液体がトクトクと滲みたしてくるような気がした。この体にもまた、新宿の、いえ新宿で暮らした生活の毒がいっぱい詰まっているのだろうか。彼女はグラスに口をつけると、ゆっくりとそれをのみはじめた。
その様子をながめていた彼は、いま陽子のなかでおこっているはずの劇的な変化を想像した。が、彼女の身には、なにもおこらなかった。
「気の抜けたラムネみたい」
陽子はグラスを彼に返した。
「さ、300円だ。当時と物価がちがうからね」
だが、そのまま彼女が歩きだすのをみた彼は、いきなり怒りだした。
「こんどもただ飲みする気だな。そうはさせないぞ」
前回も代金をもらいそこねた恨みから彼は、鼻息もあらく追いかけると、彼女の肩を衣服の上からわしづかみにした。
「うるさいわね」
その手を邪険に振り払うなり陽子は、彼のほうにむきなおると、二の腕のあたりまで袖をまくりあげた。その下から彩色された墨の図柄が、闇の中にありありと浮かびあがった。
「おっと」
その場に棒立ちになった彼を尻目に、とっさと陽子が路上にとまっていた外車の前まで歩いていくと、まっていた白づくめのスーツの姿の男が、口振りも丁寧に、
「ねえさん、どうぞ」
と開けるドアに、陽子はだまって乗り込んだ。
走りさっていく車を見送りながら彼は、空っぽのグラスを手にしたまま、
「あの女がかわったのか、それとも新宿ジュースが変わったのか………」
無意味ともとれるといかけを、ぼんやりとくりかえしていた。


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このストーリーに関するコメント

17/01/21 クナリ

新宿のところどころに不意に現れる植物の小道は、特に夜になると独特の存在感がありましたが、その妖しさが新宿ジュースに凝縮されているように思えました。
不思議だけどファンタジーとまでははいかない、独特の読み味がお見事です。
魔法が解けたようなラストシーンも、深みがあります。

17/01/21 W・アーム・スープレックス

第一回コンテストに投稿した『新宿ジュース』の、五年後の今を書いたつもりです。あれ以来、振り返るということをせずにずっと書き続けてきましたが、ふたたび『新宿』がテーマになったのを機会に、続編を書いてみました。冒頭からしばらく、不具合により読みづらい点、お詫びします。

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