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ひーろさん

ミステリーが好きです。

性別 男性
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座右の銘 人に勝つより自分に負けるな。

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天使からの贈り物

17/01/14 コンテスト(テーマ):第125回時空モノガタリ文学賞【優しさ】 コメント:0件 ひーろ 閲覧数:837

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「死にたい」
 男は独りそう呟いた。
 人生も折り返し地点。男は中身のない長い時間を消費してきた。会社では、上司や同僚から言われたことを言われた通りに、やるべきことをマニュアル通りに行う機械のような存在。頼みごとをされると断れない性質で、「優しいね」などと言われると、心中で「そんなことない」と返す。自分から行動を起こすわけではなく、他人から受けた依頼を淡々とこなすだけのお人好しなのだと。かつて数年間連れ添った元妻には、好かれ、愛されたが、やがて嫌われ、捨てられた。ずっと、流されるままに、死んでいるみたいに生きてきた。
 このまま生き続けても、意味なんてない。男はそんなどうしようもない空虚な心を抱えていた。年月を重ねるにつれて、どんどん中身が薄まっていくだけだ。味の薄い酎ハイに、さらに水を足していくようなものではないか。それゆえ男は、強く死を望んだ。
 しかし男には勇気がなかった。死を望んでいながらも、一瞬の痛みを恐れて、なかなかその命を絶つことができないのだった。部屋の隅に吊るしたロープが、嘲笑うかのように風で揺れる。何もできない自分の無力感に、男は今日も打ちひしがれていた。

 薄暗い部屋の真ん中に、それは突然現れた。折り畳み傘ほどの背丈と、白く美しい羽で飛び回る姿を見て、それが天使であることは明白だった。小さくうずくまる哀れな臆病者の耳に、透き通った声が囁きかける。
「あなた、死にたいのでしょう?」
 天使は男の言葉を待たずに、続ける。
「そんなあなたには、この素敵な箱を差し上げましょう。この箱を開けば、あなたの望みを楽に叶えることができるでしょう」
 目を丸くする男に、天使は優しく微笑んだ。「一緒に逝きましょう」という天使らしからぬ恐ろしい言葉と、灰色の四角い箱を残し、天使はふわりと姿を消してしまった。訝りながら男は、そこに置かれた箱を遠巻きに観察した。
「この箱を開ければ、楽に死ねる……。一体何が入っているのだろう」
 外見はまるで鉄製の金庫のように頑丈そうに見える。開くためであろう把手が一か所ある。恐るおそる両手で持ち上げると、大きさの割に重たいものだと分かった。
 すでに覚悟はできていた。この期に及んで、躊躇いなど微塵も感じられなかった。男は早速、箱を開けようと試みた。

 しかし、箱は素手で開いてくれるような構造ではないらしい。把手をいくら引いてもびくともしない。男は部屋にあった金槌を取り出して、無理やりこじ開けようと考えた。利口なやり方とは思えなかったが、死を直前に控えた男にとって、方法の良し悪しはどうでもよかった。
 金槌を箱の把手の付いた面にたたきつける。何度も思い切り振り下ろした、が、鈍い音が部屋に空しく響くだけだった。
 数時間後には、男はめったに訪れないホームセンターへ出向き、電動の金切りのこぎりを調達してきた。ウーンと轟音を響かせる。近所迷惑など考えない。どうせ自分は消えてなくなるのだ。後は野となれなんとやらだ。そんな投げやりな気持ちを箱にぶつける。火花が散る。ただ、それだけだった。箱には、傷一つ付かない。
 男は少し面食らったが、諦めなかった。死への渇望感が体中から湧き上がってくる。
「中には一体何が? 毒薬か? それとも、得体も知れない何かが……」
 それからはもどかしい日々が続いた。死を目前にして、もう一歩が届かない苦しさを痛感する。中身も分からぬまま、男はその頑丈な箱を開けることだけに心血を注いだ。稼いだ金を使い果たしてはまた稼ぐを繰り返し、箱を開くための知識や道具を必死に得ようとした。時折男は、箱を置いていった天使の微笑みを思い出した。あの言葉を信じ、ここまでやってきた。思いつくことはどんなことでも実行してきた。全ては楽に逝くためなのだ。これほどまでに能動的に物事に取り組む自分に驚くことさえあった。

***

 いつものように男が例の箱をいじっていると、ついにその瞬間はやってきた。
 今までどんなに試行錯誤を重ねても開く気配すら見せなかった頑丈な箱が、いとも簡単に開いたのだ。音もなく、すんなりと。
 男はゆっくりと箱の中をのぞき込んだ。すさまじいほどの安心感が胸に満ちる。すでに弱っていた心臓が、一瞬ではあるが、弾むように躍動する感覚があった。男は、久し振りの再会を懐かしむような目で「ずっと待っていてくれたんだね」と静かにうなずいた。半分ではあったけれど、充実した人生を贈ってくれたことに、心から感謝した。そして、ゆったりとした動作で横になり、力なく目を閉じた。
 間もなく男は、シワだらけの顔をそっと微笑ませながら、安らかに、永遠の眠りについた。


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