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八王子さん

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地球滅亡のその瞬間まで

17/01/09 コンテスト(テーマ):第126回 時空モノガタリ文学賞 【 304号室 】 コメント:0件 八王子 閲覧数:696

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 年末の仕事納めの日であっても私の仕事は定時で終わらない。
 新宿から多摩にある賃貸アパートまでは片道一時間はかかる道のりだ。
 行き帰りの電車だけで、体力をごっそり持っていかれる。
「もう少し背があれば酸素が」
 満員電車の酸素濃度の低さを恨めしく思いながら、駅舎の外に出て改めて深呼吸をすれば空気が若干美味しく感じる。
 はあ、と吐き出した息が白く、手袋をしていない手がほんのひと時だけ温まる。
 辺りを見回してみれば、いつものようにそこにいてくれる。
「お待たせ」
 アパートの最寄り駅で待っていてくれたのは結婚してまだ一年にも満たない武史と、中古で買った軽自動車。
 その助手席に乗り込みシートベルトを絞めれば車は走り出す。
「今年一年お疲れさま。体調は悪くないか?」
「平気に決まってるじゃん。週末を楽しみに生きてるんだし、年末は特別じゃん」
「今年も大晦日は天気いいし、無事に行けそうでよかったよ」
 私たちの間で交わされる会話に主語はなくても伝わる。
 勤務地は新宿なのに住んでいるのは多摩というのも理由の要因になるかもしれないし、この軽自動車が中古というのも理由の一端だろう。
 人気のないアパートの駐車場に車を駐車する。
 隣にはコーンが立っている未契約の駐車場だ。
 五階建ての築年数が一〇年を超えるアパート。
 都心から離れたアパートの家賃は都心に比べれば破格だ。
「今日も点いてないな」
 車を降りてベランダを仰ぎ見れば、私たちの部屋が暗いのは当然だが、その上の部屋も明かりが点いていない。
「もう寝てるんじゃない? もうすぐ一〇時だし」
 武史はずっと気にしている様子だが、私はそこまで気にしていない。
 階段で二階まで上がり、角部屋の二〇四号室の鍵を開けば、ひんやり冷えた部屋の中に入る。
「ただいまー。うー、さぶさぶ」
 小走りで居間に向かって電気よりも先にストーブの電源を入れる。
「コート脱げよ」
「いやだ〜。まだ寒いもん」
「子供かよ」
「この家に子供はいませーん」
 子供っぽいことを言って武史に甘えられるのも、まだまだ新婚という若葉マークがついているおかげだろうし、なにより私たちの間にまだ子供はいない。
 共働きなのも、子供がいないのも、バイクという金のかかる趣味があるせいだ。
 都心を外れた多摩に住んでいるのも、一台の車と二台のバイクを置くスペースがあり、家賃や駐車場代も安いからであり、箱根や熱海のようなバイク乗りに嬉しい環境に向かいやすい。
 毎年の楽しみが、元旦に初日の出を拝むために湘南までバイクで行くこと。
 そのために一年をがんばっていると言っても過言ではない。
「うどん、温めたぞ。食うだろ?」
「食べるー」
 今日は武史が早く帰って来ていたから、すべて任せっぱなしだった。

 大晦日の夜、紅白歌合戦の途中で私たちは身支度を整えて家を出る。
「今日も電気点いてないな」
「またそれ。誰かしら住んでるでしょ? 何年か前に引っ越してきたときに挨拶をしたし」
「でも、いなかったんだろ?」
 引越し蕎麦を渡そうとしたが、何度行っても会えず、玄関のドアノブにひっかけてきたのだ。そして翌朝にはなくなっていた。
「私たちの生活は朝早いし、夜も遅いから合わないだけじゃないの?」
 今の時代は郵便受けにだって個人情報だなんだとうるさくてネームプレートは入っていないが、チラシが溜まっているようなことはない。むしろ、うちの方が溜まってる。
「行こう。日が沈んじゃうよ」
「まだ上がってすらないって」
 バイクのエンジンをかけて、私たちは湘南までのツーリングを堪能し、目当ての初日の出を見て、初詣もして、道路が混雑する前に帰ってきた。
「ふぃー、疲れたー。お尻いたーい。ねむーい」
 そんなことを言いながら、駐車場からアパートへと近づくと、郵便受けの前に知らない老夫婦がいた。
「あけましておめでとうございます。しばらくうるさくなると思いますが、なるべく静かにするようにしますので」
 白い眉毛で目が隠れた、腰の曲がったおじいさんがおばあさんに体を支えられながら頭を下げた。
 その人の正体を私たちはその日、初めて知ることになる。
 お正月の間、三〇四号室からの足音や物音、小さな子供の声が絶えることなく喧しく聞こえてきたのだ。
「私たちも、あんなお年寄りになるまで一緒にいたいかも。子供がいて、孫がいて」
「バイクに乗れなくなっても?」
「そこにバイク以上の幸せがあるのならね」
 初めて会った上の階の住人の幸せそうな笑顔が瞼の裏から剥がれることはなかった。

(了)


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