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日向 葵さん

「ひなた あおい」と申します。 小説を書きます。 よろしくどうぞ。 twitter@aoi_himata_21

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その五分間は永遠に

17/01/02 コンテスト(テーマ):第124回 時空モノガタリ文学賞 【 五分間 】 コメント:3件 日向 葵 閲覧数:876

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 酷い痛みが、暗い意識の底から僕を引きずり出した。体の節々がミシミシと軋み、芯を蝕むような鈍痛が僕の体を刺す。
 寒い。とても寒い。
 気付けば十二月の冷たい雨が僕をバチバチと叩いていた。更に濡れたアスファルトの冷ややかな感触が背中から伝わって、僕の心臓まで凍り付かせているようだった。
 掌底で頭を押さえ、重い体を起こす。瞼を上げると世界が赤く染まっていた。奇妙な光景に頭が混乱する。一体何が起こっているのだろうか。朦朧とした意識ではうまく頭が働かない。しかし、次第にクリアになっていく僕の頭は、辺りに転がったガラス片と巨大な鉄塊を媒介に、僕をこちら側へ完全に引き込んでしまった。





 助手席に座る彼女は鼻歌を奏でながら窓の外を眺めていた。彼女の歌は窓を叩く雨音と相まって、暗い車内を明るく彩っている気がした。
 僕が何を唄っているのか聞くと、彼女は「ベット・ミドラーの『The Rose』」だと言った。洋楽をあまり嗜まない僕にはその曲に聞き覚えはなかったが、ゆったりとしたそのメロディーがとても心地良かった。

「ねえ。向こうに着いたら話があるの」
 
 彼女は僕の横顔を見つめてそう言った。

「何の話だい?」

 僕はそう問うてみたが、彼女は「内緒」と言って誤魔化して、僅かな微笑みを僕に向けた。そして、再び窓の外へと向き直り、『The Rose』を奏で始めた。
 そんな彼女との会話に現を抜かしていたせいか、それとも久方ぶりの帰省に浮かれていたのだろうか、いずれにしても注意散漫だったことに変わりはない。気付けば僕の体は地面に叩きつけられていた。





 事態をようやく呑み込んだ僕の体から、急激に体温が奪われていった。膝立ちがやっとの体で赤く染まった世界を見渡す。鉄塊と化した僕のセダンと、粉々に飛散したフロントガラスにまみれて転がる彼女がそこにはいた。うつ伏せに、顔だけを僕の方へと向けた彼女はピクリとも動かず、長い黒髪は雨に濡れて、放射状に地面に張り付いていた。虚ろで焦点の定まっていない双眼が僕を捉えることはない。恐怖と焦燥に寒さが追い打ちをかけ、体がガタガタと震え出す。
 応急処置が必要だ。即座にそう理解した。
 確か心肺停止状態ではおよそ五分がタイムリミットだったはずだ。学校でも実習は行った経験がある。大丈夫だ。まず状態の確認をして、心臓マッサージと人口呼吸を繰り返す。手順は覚えている。

 大丈夫。大丈夫。

 気持ちが悪い程に冴えた頭は、この光景を幾度もシミュレーションしていたかのように適切な指示を捌き出す。

 しかし、僕の体が動くことはなかった。まるで何か見えないロープにでも縛られているかのように体が硬直してしまっていた。

 動け!動け!

 頭は頻りに体へ指示を送っているのに、その意思に反して僕の体が動くことはない。心と体が別々になってしまったようだ。
 今まさに生命活動が衰退の一途を辿る彼女の傍で僕は立ち尽くす。彼女の命の灯が徐々に闇の底へ落ちてゆくのがわかった。ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて沈んでいく。僕はそれをただ眺めることしかできない。
 そのゆっくりとした体感の中で、彼女と過ごした時間が失われていく。まるで拷問のようなその時間は、たった五分の間であったが、僕にはその時間が何年の間にも感じられた。
 雨音に紛れて、遠くの方からサイレンが聞こえて来る頃には、既に彼女は雨に打たれて冷たくなっていた。青白く変色してしまった彼女の顔だけがただ僕を見つめていた。





「あああああああああああああああああああああああああ」

 奇声を上げながら病院のベッドの上で目を覚ました僕の体に、固定された拘束具が食い込み、節々がミシミシと痛んだ。充血して赤く染まった目を見開くと、鉄格子のはめられた窓に激しい雨が打ち付けられているのが見えた。

「あらあら。また、お薬切れてしまったんですね。もう一度、精神安定剤を注入しますので、我慢してくださいね」

「あああああああああああああああああああああああああ」

 もう止めてくれ。
 
 何度も何度も何度も何度も、同じ夢を見るのはもう嫌だ。

 薬によって異常にクリアになった頭が生み出す、現実と大差ない程リアルなあの夢が僕の心を破壊していく。

「はい。いきますよ」

「アッ」

 チクリとした鋭い痛みが首筋に走る。
 
 僕の意識は再び闇の底へ落ちていった。

 そして、彼女の命が消え逝く五分間を僕はまた繰り返す。


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このストーリーに関するコメント

17/01/15 野々小花

向日 葵さま

拝読いたしました。
向き合えないほど辛い五分間を、何度も繰り返さなければならない。絶望、という言葉が頭に浮かびました。
ベット・ミドラーの『The Rose』は個人的に好きな曲です。改めて和訳を見ると、物語と重なるような気がします。
音楽を聴きながら、何度も読み返しました。

17/01/16 日向 葵

野々小花様
お読みくださってありがとうございます。
『The Rose』の要素を作中に見出して頂けた様でとても嬉しいです。
「愛」には「棘」があるということをイメージして書きました。
「絶望」と表裏一体の「愛」を感じて頂ければ幸いです。

17/01/29 光石七

拝読しました。
壮絶ですね……。終わらない主人公の苦しみが痛切に迫ってきます。
凄い作品だと思いました。

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