クナリさん

小説が出版されました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より発売中です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211 twitterアカウント:@sawanokurakunar

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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7

浸食

12/10/30 コンテスト(テーマ):第十八回 時空モノガタリ文学賞【 コーヒー 】 コメント:7件 クナリ 閲覧数:3088

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女だてらに、金曜日だからと調子に乗って残業をしていたら、22時を回ってしまい、さすがに集中力にも限界が来て、会社を出る準備をした。
更衣室へ入って制服のスカートを脱ぎ、濃紺のデニムへ履き替える。
都内と言うよりも下町と表現した方がふさわしい場所にある社屋を出て、私は駐車場へ向かった。
居酒屋やレストランが灯す明かりの中のひとつ、なじみのコーヒースタンドでモカを頼んだ。
眠気覚ましにさせてもらおうと、ストレートのまま車の中へ持ち込む。
もう秋も深い。
自分よりも暖かい存在があることにどこか救われるような気持ちで、私は厚手の紙カップの中の液体をすすった。
少し湯気に曇った窓を拭いてからアクセルを踏み込み、自宅とは逆方向の高速に載る。
今夜は、以前あの人と見た海を、一人で見に行く。

あの人は運転が好きで、私はいつも助手席にいた。
今、運転しながら左側をちらりと見て、助手席の自分がどんな風に見えていたのかなど、今更ながらに考える。
あの人の好きな海岸へは何度も連れて行ってもらったので、高速道路の道筋はすっかり覚えていた。

高速を降りて、すぐ傍に目的の海岸はある。
ほとんど明かりのない中、暗闇の中から寄せる波を、音だけで感じる。
浜まで歩いて、素足になった。
視界が極端に遮られた中で、足の裏の砂の感触が生々しい。
その肌触りだけが、二人で過ごした日々を、意味のあるものだと励ましてくれているような気がした。
暗闇を手探りで歩くようにしか、人からは見えない。
でも、本人たちにはかけがえのない実感があった。

車へ戻って、コーヒーの残りに口をつけた。
冷え切っていて、酸化が進み、少し酸っぱい。
ほんの少し前と、今では、何だって変わってしまう。
その変化が大きいか小さいかの違いだけで、もう戻らない。
この液体も、もう私より暖かくも、甘くもならない。
フロントガラスを曇らせるのは、今は私の吐息だけだった。

暗闇の中の高速に載り、引き返し始めた。
やがて夜景に包まれた眠らない街が見えてくる。
遠目に見えるうちは、まるで満天の星空のようだった。
星空に向かって落ちて行くような、私の車。
どこまでも続く夢を走るような気分だった。
しかしやがて、見慣れた現実へと到着する。
その覚悟も静かに決めていた。

車を自宅のアパートに停め、部屋へ戻ると、私はすぐにシャワーを浴びて、バスタブに浸かった。
口までお湯に埋めて、鼻でため息をつく。
こうしているうちは時間が止まればいいのに、と思った。
いつまでもぐるぐると思い出に甘えていたかった。
お湯の中でひざを抱く。
もう私を抱きしめてくれる人は、自分しかいない。


翌日は白々しいような晴れだった。
青山の傍らにある鬱蒼とした木々の中で、私は根拠もなく確信していた。
あなたはこんなに冷たくて重い石の下なんかにはいない。
いるとしたら、かけがえのない日々を過ごした私の隣か、あの海の向こう、どこまでも続く空。
私たちは他の誰にも頼らないと決めて、 二人だけで生きて来た。
色んな人に笑われ、馬鹿だと言われ、 それでも構わなかった。
永遠に続くつもりでいた、今数えてみればなんて短い日々。

ねえ、きっと私のことを解ってくれるのは、この世にあなたしかいないよ。
だからできれば、いつかまた私に会いに来てよ。
だって、多分だけど、私たちは間違ってなんかいなかったから。

近くの有料駐車場へ停めた車へ戻り、美談にすりかえられない想いに、ついため息をつく。
そして、最近癖になりつつある思索に頭を包まれた。

――ところで、人間って――……

益体もない妄想を振り払うように頭を揺する。
ふと見るとドリンクホルダには、昨夜のカップが取り残されていた。
わずかに残っていた液体を舌に滑らせる。昨日より、更に酸化が進んでいて、舌がしびれた。
コーヒーはどんどん、コーヒーでないものになって行く。
私もまた、昨日までとは違う私になって行く。
いずれ、今の私とは似ても似つかない私になるのだろうか。
この辛さから、逃れようとして。

先程の思索が、また頭にのしかかった。

――ところで人間って、どうやったら生き返るんだっけ。

大真面目にそれを考えてしまう時間が増えている。
カップの中に残った最後の雫を舌に乗せた。
もう、味がほとんどしなかった。
それが、コーヒーがコーヒーでなくなってしまったからなのか、私が変わり過ぎて自分の知る私でなくなってしまったからなのか。
解らないまま、カップをホルダに戻して、キーをひねった。

狂乱は、平静を装った私の、すぐ背後まで近づいて来ていた。

私はとうとう私でなくなるその瞬間まで、それを見ない振りをする。







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このストーリーに関するコメント

12/12/17 石蕗亮

クナリさん
受賞おめでとうございます!
ゾワリとする終わり方が後味を引きますね。
面白い物語でした。

12/12/17 草愛やし美

クナリさん、拝読しました。

最後の一文が、深くていいですね。

劇中の登場役者であるコーヒーは、名脇役ですね。このコーヒーの味がなければ、時間の経過と怖さの緊迫感が出てこないと思います。よい味付けを楽しませていただき、ありがとうございました。

12/12/19 そらの珊瑚

クナリさん、拝読しました。

生きていくことは酸化して変わっていくことかもしれない。
コーヒーのように。
主人公の息遣いがすぐそばで感じられるようでした。

12/12/24 クナリ

おへんじ大変遅くなり申し訳ありませぬ……。

そらの珊瑚さん>
そうなんですよ、呼吸する限り体は酸化し続けて、生き物としての下り坂を下るばかりかなって思うんですよ。
もともと万全に近い状態だった身体が、どんどん何かを失っていくのが生命活動かと思うんですよ。
その失った分を何とか穴埋めしようという衝動こそが、子孫繁栄のための生殖も含めて生命力の根本なのかもしれないなあと子供のころから思っていて。
じゃあ埋められない穴が開いてしまったらどうするんだろうっていうのは、とても恐怖なんですよね。
……失礼しました、そんな方向の話フッたわけじゃないですよね(^^;)。
読んでくださって、ありがとうございますッ。

草藍さん>
ありがとうございます。
当初もっとコーヒーのうんちく入れて、ちょっといい話にしようともくろんでいたんですけど、いつの間にか狂乱がどうのという話になってしまい。
カフェ・ロワイヤル(カップの上にスプーン横たわらせてアルコールのしみた角砂糖乗っけて火を付けるやつ)とかを登場させようとしていたのが、気付けば酸化した紙カップコーヒーでした(^^;)。
話をよく引き立ててくれたなら、良かったであります。
草藍さんは構成のしっかりしたお話を書かれるイメージがあるんですけど、構想時と完成時でぜんぜん違う話になってしまった、とかあるんでしょうか?
というか、コンスタントに創作されていてそのペースに驚かされます……。

石蕗さん>
ありがとうございます。
受賞にはびっくりしましたけど、……これめっちゃうれしいですね(^^;)。
こんなもやもやした話を評価していただけるとは、ありがたい限りです。
自分がオカルトの混じった不思議な話やホラー性のある話が好きなので、石蕗さんの作品は好きなものが多いです。
そして投稿ペースも早いですし。
石蕗さんを見習って、また投稿してみますッ。

13/01/05 草愛やし美

クナリさん、コメントの返信を読みました。

構想時と出来上がった作品がまるで違っていたなんて何度もあります。私は思いつきだけで書き始めるという人間なので、きっかけになったアイディアのようなものをもとに、考えながら書き進めています。アイディアは時に文の場合もありますが語句だけだったりもします。よく最後まで書けているものだなと自分でも不思議になります。
お褒めくださってありがとうございます。でも、お恥ずかしい話ですが、実はプロットや筋立てなど何もせず(できない)思いついたまま書いていますので、紆余曲折、大きくUターンしたり、全く別の道に行ったりもしています(苦笑、大汗)
クナリさんは深く構成されて書かれていると思います。先程、読ませていただいた「障子窓の怪」もこの作品と同じように繊細な部位まで構成されているなあと感服しました。

13/02/06 yoshiki

拝読させえいただきました。

詩的ともいうべき私の描写から始まり、結末までの流れが見事だと思います。最後は直接で気でない恐怖のぼかし方もいいです。

余韻が残ります。

13/02/09 クナリ

yoshikiさん>
コメントありがとうございます。
作内で何らかのエピソードが発生するでもない、独り言のような話だったので、掌編とはいえ退屈されずに読んでもらえるものかなー……と思いながら、それでも気を使って書いたつもりでした。
楽しんでいただけたなら、うれしいですッ。

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