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宮下 倖さん

宮下 倖です。 楽しくたくさん書いていきたいです。

性別 女性
将来の夢 誰かの心にひとつでも響く言葉が紡げたら幸せです。
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誰かの五分間

16/12/31 コンテスト(テーマ):第124回 時空モノガタリ文学賞 【 五分間 】 コメント:4件 宮下 倖 閲覧数:1206

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 男は帰宅の途中、夜の住宅街で唐突に立ち止まった。場所を間違えたスポットライトのように、街灯が男の体を半分だけ照らしている。くたびれた中年サラリーマンの代表のような仕草で男は深い溜息をついた。

 ようやく休日出勤を終えたが家に帰りたくない。朝、妻と交わした会話がよみがえる。
 どうして休みがないの。たまには家にいてほしい。早く帰ってきてあの子と話をしてやって。
 自分が家にいて何になるというのだろう。家事でも手伝わせる気だろうか。専業主婦なのだから時間はたっぷりあるだろうに。息子の話も妻が聞いてやったらいい。どうせ受験の話だろうが、果たして勉強などしているのか。スマホばかり弄っていて時間を食い潰しているようにしか見えない。彼らの無為な時間をほんの五分でいいから自分に回してほしい。
 口の中でぶつぶつと愚痴を捏ねながら男がふたたび歩き出したとき、ちりんと鈴の音がした。音を追って男が首を伸ばすと、街灯の下に出店のような低い台が見える。何やら物売りのようだ。またちりんと音がする。男は引き寄せられるように路地に足を踏み入れた。
 台の上には缶コーヒーほどの大きさの砂時計が並んでいた。傍には小柄な老人が佇んでいる。
「今どき砂時計なんて売れるんですか?」
 不躾に出てしまった男の言葉に老人は意味ありげに笑んだ。
「売り物ではないのですよ。これは他人の五分間を見ることのできるものでして。知れば無駄に思える誰かの五分間にも意味があると思えるかもしれません」
 老人の言っていることがうまく理解できなかった。しかし同時にどこか見透かされたような心もちで、男はそわそわと尻のあたりが落ちつかなくなる。

「何だかよくわからないが……わたしは見せてもらえるのですか?」
 老人は慇懃に頷くと、淡い桃色の砂を抱いた時計をゆっくりと逆さまにした。とたんにふっと周囲の風景が歪む。男が瞬きすると、視界が澄んで自宅の居間が現れた。
 掃除機が足元で動いている。ちらりと見えたオレンジのスリッパは妻のものだ。掃除機の吸込み口は迷いなく的確に居間を隅から隅まで這っている。騒がしい掃除機の音に高い電子音がまじった。洗濯機の終了の音だと思いだす。掃除機を止め、洗面所へ向かうスリッパの足音。そこに妻の声が重なった。
 干したら買い物に行かなくちゃ。今日はあの人が好きな刺身にしよう。あんなに休みなく仕事して体が心配。今日はあの子と何か話してくれるかしら。ちょっとしたことでいいのだけど……
 それは声というより妻の思考の渦のようで、絶え間なくそして高速に流れていく。聞いているうちに酔ったようになり、強く頭を振ると目の前がクリアになった。
 速くなった鼓動を落ちつかせる。砂時計を見ると、桃色の砂はすべて下に落ち切っていた。
「あなたの奥さんの五分間ですな。さて次は……」

 老人は濃い緑色の砂を収めた砂時計を流れるような手つきで逆さまにする。ふたたび風景が歪み、男の前に現れたのは彼の息子の部屋だった。
 小学校入学のときに買った学習机。まだあちこちにアニメのシールが貼ってある。手元に広げられた教科書と分厚い参考書。ノートの上を何かに急かされるようにシャープペンを持った手が動く。その手が急に動きを止めペンを放り出した。苛々とノートを叩く右手の中指。やがて息子の思考が聞こえてきた。
 こんなの解いて将来何の役に立つんだ? 結局受験でしか使わないんだろ。先生は問題の解き方は教えてくれても、不安で仕方ない気もちをどうにかする方法は教えちゃくれない。父さんは……父さんもこんな気もちになったことがあるんだろうか。どんなふうにして乗り越えてきたんだろう……。
 心臓を冷たい手で掴まれたように、男は身を震わせた。
 危機感もなく時間の無駄遣いとまで思っていた息子の五分間は不安に塗り潰されていた。自分はこれを見過ごしてきたのかと恐ろしくなる。
 動揺を隠せない男に、老人は何度か頷いてみせた。
「人生を変える決断をする濃い五分もあるでしょう。何の意味もない自堕落な五分もあることでしょう。他人の五分に憤っておられたようだが、ここに来る前の五分間あなたはどう使われましたか?」
 男ははっとした。苛ついて愚痴を垂れ流していた。自分の五分間のなんと無為なことか。
「大仰なことを言ってしまえば、そんな五分間の積み重ねが人生ですよ」
 老人は並んだ砂時計を端から順にひっくり返していく。ちりんと鈴が鳴った。路地の奥から急に風が吹いて男は思わず目をつぶる。おそるおそる目を開けたときには、老人も砂時計も鈴の音もなかった。

 男は不思議な思いで立ち尽くしていたが、ふいに虚空を仰いだ。
 早く帰ろう。三人で食卓を囲んで他愛もない話をしよう。一緒に五分間を積み重ねよう。
 男はちいさく微笑んで力強く一歩を踏み出した。


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このストーリーに関するコメント

17/01/02 待井小雨

拝読致しました。
出店のようなところに並ぶ、「五分間」を見せる砂時計。鈴の音や老人の言葉により、不可思議で心地よい雰囲気を感じました。
毎日何でもなく過ぎていく時間。それも、一時間や二時間ではなくほんの五分間という短い時間であれば、私たちは特別に意識することも使い過ごしてしまっているのでしょう。そんな時間に意味を見出だすのも、無為なものにするのも時間を使っている自分自身なのだな、と思いました。

17/01/05 宮下 倖

【待井小雨さま】
わずか五分間。ほとんどの人が意識することなく過ぎていく時間だと思います。
私も「五分間」というテーマをいただかなかったら、こんなに考えることはなかったです。
でも意識すると存外長くて、これの積み重ねが一時間、一日、一年、十年、一生になるんだなあと感動しました。
常にたいせつに……とはいかないかもしれませんが、考えるきっかけをくださった時空さんに感謝しつつ書き上げました。
たくさん読み取ってくださりありがとうございました。コメントも励みになりました。感謝いたします!

17/01/29 光石七

拝読しました。
主人公の気付きに、心が温かくなりました。
その一方で、人生は五分間の積み重ねだという老人の言葉が胸に刺さりました。
どんな五分を過ごすのかは自分次第。
素晴らしいお話をありがとうございます!

17/01/29 宮下 倖

【光石七さま】
ふだん意識しないようなことでも、きっかけさえあればこの主人公のように鮮やかに気づくことができる……といいなあと思いながら書きました。たった五分間ですが、丁寧に積み上げて悔いのない人生を送れたら素敵です。
執筆しながら自分でも何度も自身に問いかけたので、とても印象深い作品になりました。そんな物語を目に留めていただけて嬉しいです!
コメント、励みになりました。ありがとうございました!

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