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Fujikiさん

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神なき世界の大聖堂

16/12/05 コンテスト(テーマ):第122回 時空モノガタリ文学賞 【 美術館 】 コメント:0件 Fujiki 閲覧数:710

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 そこに神はいなかった。それでも人は祈りを捧げに集まった。土地や財産が借金の担保になるように、信仰は彼らにとって人生の担保だった。
 死後も続く作者の名声と、人間の技が生み出した永遠の価値。そんな価値を信じて人は入場料を喜捨し、熱い視線を送る。信仰の対象は神の子キリストと聖人たる弟子たちではない。ましてやその背後に控える全能の神でもない。この世界の聖人は人間――偉大な作品を遺した巨匠たちだった。最高峰に君臨するのはラファエロにダ・ヴィンチにティツィアーノにルーベンス。人間が築いた文化と人体の美を讃えたルネッサンスの立役者と後継者たちだ。神を題材にしつつも神を押しのけ、彼らは新たな神になった。
 オールド・マスターが祀られた美術館の通路を神妙な顔をした人々が声をひそめて静々と歩く。著名な作品にはもちろん常に人だかりができているが不平を言う者はいない。つぶさに鑑賞できなくても本物の作品と同じ空間を共有し、そのオーラを感じるだけでご利益があると考えているからだ。不朽の名作の数々に心を高揚させているあいだだけ、人は自分の人生の短さや不確定な未来に対する不安を忘れることができた。
 よそ行きの服で着飾った人々の中に一人、貧しい身なりの青年の姿があった。肌は日に焼け、彫りの深い顔は痩せて骨ばっている。荒れてひび割れた手は爪の中まで絵具で汚れている。周囲の人間は彼の存在に目もくれないが、洋服の裾が触れないようにそっと距離を作っている。路上の物乞いの前を通り過ぎる時と同じように。
 青年は、この光輝く街にある美術学校で去年の秋から絵を学んでいる。この地に来るために彼は肉体労働をして金を貯めた。慣れない外国語は中古の語学書で学んだ。高名な大学教授に推薦状を書いてもらうために体も売った。どうにか留学が叶った現在も、美術学校での勉強と並行して街の南端にあるアジア人街で男娼を続けている。数人で共同生活をしている部屋に戻ってくるのは明け方近くだ。
 耳障りな音を立てて軋む安物のベッドの上で客の言うなりの玩具にされながら、青年は目を閉じて故郷にいる一歳年下の妹のことを考える。家族や友人は皆彼の画才に太鼓判を押してくれたが、中でも一番留学を応援してくれたのは妹だった。出発前に餞別だと言って妹がポケットにねじ込んだ封筒には、彼女がホテルの清掃員のバイトで受け取る給料の三ヶ月分くらい入っていた。
「えー、こんなにもらえんよ。大学の学費とかどうする気か?」
「ニーニーと違ってやりくり上手だから、ちゃんと学費の分は取ってあるの。だからうちのことは何も心配しないで。ニーニーが大物になった時に、家にある作品を売って儲けさせてもらうから」
「大物になれなかったらどうする?」
「そしたら家じゅうの絵を全部処分するかな。今だってニーニーの絵ばかりで足の踏み場もないのに、お金にならんなら置いておく意味ないさ」
 青年の顔に投げつけるように客が枕元に置いていった紙幣は体液の臭いがした。妹が今の自分を見たら何と言うかと思うと、シーツにくるまった裸身に寒気が走った。才能を信じて入学したものの、美術学校には青年よりも優れた絵描きがいくらでもいた。島では情熱に突き動かされるまま絵を描いていただけだったから、美術史の知識や理論が必要だということさえ知らなかった。ここでの美術理論の講義は衒学的な言葉遣いが多くてついていけていない。
 美術学校の生徒になったことの数少ない利点の一つは、市内の美術館に無料で入れるパスをもらえたことである。観光名所として世界的に有名な美術館であってもいつでも入館を許される。しかし青年は内心、美術館に殺到する観光客を軽蔑していた。作者が有名というだけで絵をろくに見もしないで有り難がり、そのくせギフトショップの土産物しか念頭にない烏合の衆。
 そんな連中をかわしながら、延々と続く通路を青年はでたらめに歩いていく。壁の両側に並ぶ豪華な額縁に飾られた画神たちの傑作は彼を沈んだ気分にさせた。弄ばれて使い捨てられる肉体でしかない自分には絵画一枚の価値すらない。その価値も若さという資産が尽きればたちまちゼロになる。「絶望」の二文字が頭をよぎった時、彼は一枚の絵の前に突き当たった。
 それは少女の肖像画だった。白いドレスを身にまとった少女が摘んだばかりの花を腕に抱いて木の枝に座っている。ドレスは薄暗い茶色で描かれた背景とコントラストを成し、少女を引き立たせている。少女の髪は少年のようなショートカットで、柔らかい微笑みは青年を懐かしい気持ちにさせた。まっすぐこちらを見る黒く大きな瞳からは凛とした意志が伝わってきた。
 少女の無垢な視線を受け、青年は目頭が熱くなるのを感じた。彼の唇からはひとりでに祈りの言葉が漏れた。他のどの名作でもない、このささやかな絵のためだけの祈りだった。


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