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石衣あん子さん

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一粒のオリーブ

16/12/05 コンテスト(テーマ):第122回 時空モノガタリ文学賞 【 美術館 】 コメント:0件 石衣あん子 閲覧数:851

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ただのサワダだった。どんな角度と距離からそれを確かめればいいか私なりに悩んだ。2つあるつむじからできたハート形の後頭部を。

一粒のマスカットを頭上に約10分が経とうとしている。いい加減声をかけようかと思うが後頭部が私を黙らせる。職場の後輩が馴れ馴れしく先輩である私を美術館に誘うなんて何を考えているのか。ただのマスカットじゃないか。鮮やかなグリーン色のマスカット。美しいが、ただの絵。むしろ、退屈だ。それに背景色が鬱々しいせいでマスカットの透明感がない。思い耽る程の感銘を受けないのは私にその感性がないのか、サワダが変わり者なのか。食い入るように天井を見上げ、その一粒に何が隠されているというのかサワダは微動だにしない。 ..雨漏れ?ポツンと一滴のしずくが床に落ちる。その音に気付いたのかサワダは振り向き、ぐるりと首を回転させ瞬きを2度すると私の瞳に映り込んできた。「退屈だった?付き合ってくれてサンキュー」 出口へとスタスタと歩くサワダ。私はいったい何の為に連れてこられたのか。外へ出ると、ひんやりとした空気が開放感を誘い、深呼吸をするつもりがあくびがひとつ。その隣では首を左右に動かしながら自分の左手で右肩を揉みほぐすサワダ。「サワダってさ、絵が好きなの?」「いや、ぜんぜん」
予想に反したサワダの答えが沈黙を呼んだ。その中にひらりと緑の葉が一枚舞い降りてきた。
「ただの葉っぱ。ただの天井の絵。そう思わない?」どきっとした。なんだかサワダに心の中を覗かれているようで。「退屈だし死ぬ程苦痛だったりもする」 重い声色が私そのものに向けられているようで私は俯いた。 再び訪れた沈黙が何枚もの葉っぱを連れて来た。「じゃあ、なんであんな食い入るように見てたの?」私の声が、小さな風が、サワダの頬を弾いた。「エロ本、テレビ、ゲーム、程々に仕事。全ては大概優しく受け身でいてくれる。お前、自分から本気で何かを知ろうとしたことある?俺にはない。だから、あの一枚からどうしたって苦しみを見付けなきゃいけないし、悲しみを分からなきゃいけない」 ピョンとはねた後頭部の髪の毛がサワダの言葉を馬鹿にしているようで何だか私はイラっとした。 沈黙と揺れる空気が繰り返された後、「サワダさ...」と、言いかけてサワダが被せてくる。「その後は格別なわけよ」そう言うと、サワダは別れる時だけ笑顔だった。 格別とはエロ本のことか。下心か。肩揉みにでも行くのか。ただひとつ私の中ではっきりしていることは、サワダの苦しみみたいな固まりを大切にしなきゃいけないと強く思った。
1週間後、私はまた美術館へ誘われた。例のマスカットを眺めても私には何も見えてこないというのに。やはり重々しい背景色。その割には透明感と艶感が溢れる新鮮なマスカット。マスカットでありながらその甘味を感じさせない矛盾な絵。...あれ?この絵、前と違うような気がする。相変わらずのサワダは、天井に飾られたマスカットの絵を真下から見上げている。やはり後頭部のハート形が愛しい。...あれ?愛しいなんて思ったことあった?..ポツン。また雨漏れ?違う。今日は晴天だ。しずくはどこから?サワダにそっと近付くと甘い香りがした。...サワダ?しずくの正体がサワダの頬からだと気付いたが見て見ぬ振りをして、私はサワダの斜め後ろから同じように天井を見上げた。一粒のマスカットは圧倒的な存在感でそこにいた。
「ポケットの中から一粒のオリーブを見つけたんだ。最後の晩餐てとこかな。彼の罪は分からないが、一粒のオリーブに憎しみや後悔、歓びや感涙を見出した。闇から見つけた最後の輝きを口に放り込んだのか、ポケットの中に戻して手の平で温めたのか..」
私とは見えているものが違い過ぎてサワダに嫉妬した。ポケットの中から何かを取り出したサワダ。「格別なやつ」レジ横お馴染みのチョコレートが私の手の平に乗せられた。「あっ!やっぱヤメタ!次な」サワダが奪い取った21円のチョコ。もったいぶる必要がどこにあるというのか。「格別なやつってチョコの話し?」 サワダは聞く間もなく私に背を向け階段を駆け上がっていった。「じゃあまたな!」サワダは別れる時だけ笑顔だった。
「ねー、なんでアンタの後頭部ってハート形してんのー?!」
私の声が届いたのをしっかり確認してからかサワダは立ち止まり、最高級の笑顔を私に向けた。なんか変で、なんか格別な感じ。そういうのもいーかもしれない。
それから私は美術館が好きになった。サワダと行く美術館が。絵が好きになったのではない。サワダの後頭部を見ながら、サワダがその絵から何を想っているのかをただ知りたくて。ただ分かりたくて。ただのサワダが格別なサワダに見えるから。


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