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水面 光さん

■ホームページ「水面文庫」 http://www.minamo-bunko.com/ 忙しい中でも身を粉にして執筆活動しております。ジャンルとしては現代ファンタジーが中心でございます。よろしくどうぞー

性別 男性
将来の夢 物書きでメシを食う
座右の銘 人の心は変わらないから自分が変われ

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こっち!

16/11/28 コンテスト(テーマ):第123回 時空モノガタリ文学賞 【 クリスマス 】 コメント:0件 水面 光 閲覧数:788

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暗く冷酷な雨音に混じって明るくあたたかいカエルの鳴き声が聞こえた。子供の頃、いやと言うほど聴いていた、とてもなつかしい声。私の父方の実家はいわゆる兼業農家で、家の周りは田んぼに囲まれていた。この冬の時期になぜカエルの声が──? どこかで初雪が降ったらしいがこの辺りは雨はまだ雨のままだった。今も聞こえる、雨音に混じってゲコゲコと鳴くカエルの声が。クリスマスまであと1ヶ月足らずというこの時期に降る雨は本当に冷たい。しかしあの冬の朝のまるで春風でも吹いているようなあたたかさを忘れたことは一度もない。──あの朝、約束通り、サンタさんが私の枕元に赤い長靴の中にお菓子がいっぱい詰まったプレゼントを置いていてくれた。サンタさんは見えないけど絶対居るんだ。煙突がない場合はカギがかかっていても戸をすり抜けることができる。本当に不思議な体験だった。──今ではそんなことまったく信じちゃいない。世間では若い男女がごちそうを食べたあとセックスをする日と相場が決まっている日、そして子供がチキンとケーキを食べて、明日の朝、枕元にサンタさんからのプレゼントが置いてあることを想像しながらワクワクして床につく日、さらにそれを過ぎればすぐに年末、大晦日、お正月と、たてつづけにイベントのある時期。もっと言えば七草がゆを食べる日もある。──カエルの鳴き声だ、間違いない。冬に聞こえるはずがない。しかもここは海辺。したがって、それは幻聴以外に考えられない。私は国が認めるほどの精神障害者にある日突然なった。当時はとても呪わしく思ったが、今ではその諸症状も克服できている。できるようになったのだ。こんなことは当事者でなければ絶対に理解することはできない。理解しようと努力することはできるものの、結局のところ、いつまで経っても理解できない。理解できるのは同じ当事者だけだが、たいてい同類嫌悪している。──その家は何もかもが荒廃していた。得体の知れない埃をかぶったガラクタの類がカオス状態で散乱していた。唯一その家主の心だけが──いや、もう。私は──配達員は心の底から信じていた。「良心」と「善意」、そして「愛」を。しかしそこには荒廃したものしか目に映らなかった。クリスマスだろうが何だろうがそこには荒廃しかなかった。しかもどんどん荒廃する一方だった。誰かがやり遂げねばならない。すべてを正し、救済せねばならない。その救世主があの3つの言葉を心底信じているただの配達員だったら──意外性はあるだろうが実質的な何かをする力が果たしてその何の変哲もない配達員にあるのだろうか? 今言えるのはたった今まさに、クリスマスの昼の配達もいつもと同じようにその家の勝手口のドアを「こんにちは」と言いながら開けて、さらにそこに置いてある発泡スチロールの箱を配達員が開けて中身を見て、ぎょっとしたところだった。昨日入れたお惣菜がそっくりそのまま残っていた。これが何を意味するか、その配達員は瞬時に悟った。「おばちゃん!」そう叫んで血相を変えて靴をぞんざいに脱ぎ捨て得体の知れない物体が散乱した家に上がり込む配達員。そして想像通り、物体と化したおばちゃんを見つける配達員──かと思われたがそれらしきものはどこにも見当たらなかった。「おばちゃん! どこ!」誰も居ない家の中の虚空にその声は吸収された。「こっち!」その配達員には確かにそう聞こえた。「こっちよ」「どこ!」「あら、そうだわ、おたくには見えないんだったわね」「どこに居るの!」「うーん、こっちとしか言いようがないわよ。おたくも来てみたら? 楽しいわよ?」その配達員はマヌケではなかったと言えるのだろう。おばちゃんの言ったことの意味をこれまた瞬時に悟った。「こっちって、本当にそこなの?」「そうよ。おたくには悪いけど、もううちにはお惣菜の配達はしなくていいわよ。それよりあなたも今すぐここに来てみなさい。きっと満足すると思うわ」配達員は意味不明の液体が目からどっと流れ落ちるのを感じた。「──お、おば、おばちゃん、そこに居るの?」「だからこっちに居るって言ってるじゃない。来たくないんだったら来なくていいわよ。ああ、あたしって、そうよね、あなたにはちょっと早過ぎるわよね。お仕事精一杯がんばるのよ」「はい!」「まあ、いいお返事。その調子ならあなたはやっていけるわ。大丈夫よ。何も心配はいらないわ。──さて、じゃあ、昨日の分と今日の分は持って帰ってくれるかしら? あたしもう食べなくていいの。明日からの配達もなしよ。それよりメリークリスマスじゃないの。仕事が終わったらアルコールでもやんなさいよ。あなた真面目過ぎよ、酒も煙草もやらないなんて。ああ、あたしって、またポカ言っちゃった。あなたは根っからの真面目だったわね。そうよ、なにがアルコールよ!」「おばちゃん次行くね?」「ああ、あたしって──」


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