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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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忘却の音、耳を傾け

16/11/08 コンテスト(テーマ):第121回 時空モノガタリ文学賞 【 捨てゼリフ 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:638

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「『軍曹殿、用を足す方が大事であります』って、これだけじゃ状況が全くわかんねー」
 隣でADの新沢がケラケラ笑い、次のメールを覗き込む。
「あ、これなんかどうすかね。『お教室の先生の言葉です。<文字は心を映す。心は文字を描く>』」
「お題が難しかったかな。どれもズレてる」
 美里は自分のパソコンで同じ画面を眺めながらひとつ溜息を吐く。
 美里がディレクターを務めるラジオ番組で、『忘れられない捨て台詞』というお題の小ネタを公募したのだ。リスナーは中高年の主婦や隠居老人が多く、そのため「過去の恋人の台詞」や「戦時中の上司の台詞」など、どこか『名言』や『忘れられない言葉』と混同した内容が多い。
「うーん、面白いと思ったんすけどね」
 お題の発案者である新沢は、責任を感じたのか言い訳するように顔をしかめた。
「でも、みんな結構覚えているものだね」
 集まった投稿をぼんやりと眺めながら、美里は感嘆と呆れが交じる声を出した。
「私、忘れちゃう。人が言ったこととか。言われたことで嬉しいとか悔しいとかその時の感情は覚えてるんだけど、肝心の言葉を忘れちゃう」
「でも先輩に『もの忘れ激しい人』ってイメージないっすよ。過去の放送内容とかすごい覚えてるじゃないすか」
「うーん、それとは別に。なんかこう、例えば私、多分プロポーズの言葉も忘れちゃうんじゃないかな」
 新沢が返答に困ったようにきょとんとした。
 
 悩み、という程深刻ではないが、それは美里がずっと抱えているジレンマのようなものだった。
 忘れるのだ。その時の場面も、相手の顔も、自分の心の動きまで鮮明に覚えているというのに、「音」だけ思い出せない。言葉だけ、忘れてしまう。
 
 中学3年の冬、美里は親友と喧嘩をした。
 人生でこれほど他人に怒りをぶつけたことはない、という程激怒し、親友は泣いて詫びた。美里が最後に言い捨てた言葉で二人の仲は決裂し、以降、二度と口をきいていない。
 泣いて繰り返し謝った親友に、私は何と言って絶交したのか。
 怒りはやがて悔恨へとシフトした。あそこまで怒ることはなかったのではないか。その後何度も彼女に謝ろうとしたが、プライドと気まずさが邪魔をして結局関係を修復できなかった。情けないことに、喧嘩の原因も忘れた。
 15年経った今も、胸の重石が小さくも大きくも、軽くも重くもならず、ずっとそこにあり続けるのだった。

「あ、これ捨て台詞っぽいすよ」
 新沢が言い、「14歳? なんでうちの番組聴いてんすかね。学校行ってないのかな」とつぶやく。隣からひょいと覗いて、美里の表情が固まった。
 それは14歳の少女からの投稿で、『先週、親友と絶交しました。<今から友だち止める。私の中から削除する。以上。>って言われて終わりです』とある。パソコン画面に映る何の特徴もないフォントの下に、中学生の手書きの文字が痛々しく滲んで透けるようだった。
「女の子って残酷だなー。これ、お題に沿ってるとはいえ、ちょっと重過ぎますよね」
「なんで? いいんじゃない? これはこれで」
 美里はあまりよく考えず答えた。目は投稿文に釘付けだ。
『今から友だち止める』
『私の中から削除』
 15年前の決裂の場面は、ありありと思い出せる。ただ、音が聞こえない。自分が何と言って終わらせたか、聞こえてこない。
「これ、本当に14歳の子からの投稿かな」
 考えるより先に、言葉がこぼれ落ちていた。
 「え?」と新沢が顔を上げる。
「いや、案外成人したリスナーで、過去のことを語ってるとか」
 地方のしがないラジオ局だ。スタッフの名前はサイトに出ており、美里の名もそこにある。彼女が自分を見つけることは、そう難しくはない。
「うーん、まあ匿名だから年齢も職業も誤魔化せますけど、基本ラジオのリスナーって正直ですからね」
 新沢の意見をよそに、思いついてしまった火種は、疑えば疑う程はっきりと明るく胸中を照らし出す。あの時自分が放った酷い言葉を、今になって改めて伝えてきたのだろうか。
 
 結果として、相手が現役中学生であることはすぐに判明した。記入されたメールアドレスが市内の中学校支給の個人アドレスだったのだ。安堵なのか落胆なのかよくわからない感情が込み上げた。
 美里はこの投稿を番組で紹介した。
 平日午前中の番組だ。投稿者にこの台詞をぶつけた本人が聞いているとは思えないが、祈るような気持ちで収録を見守る。
 忘れてはいけないのだ。自分が他人に放つ一言一句、その重みを。
 重みだけ残る美里の石は色がない。空っぽだ。なのに、重い。苦い心を握り潰したくてもすり抜けてしまう忌々しさと対峙しながら、美里はどこかで耳を傾けているであろう、投稿者の少女にかつての親友を重ねていた。 
 自分がしたことは忘れていない、ともどかしく叫びながら。


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