1. トップページ
  2. 無彩色の虹、昭和二十年八月十四日

冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

投稿済みの作品

4

無彩色の虹、昭和二十年八月十四日

16/11/06 コンテスト(テーマ):第120回 時空モノガタリ文学賞 【 平和 】 コメント:8件 冬垣ひなた 閲覧数:1031

この作品を評価する

≪昭和二十年≫

七月二十日以降、大阪市を含む18都道府県30都市に50発にも及ぶ原爆の模擬爆弾投下。

七月二十六日、米英、中華民国が、全日本軍の無条件降伏等を求めた「ポツダム宣言」を表明。

八月六日、広島市に原爆投下。

八月九日、ソ連対日参戦、長崎市に原爆投下。

八月十日、日本は国体護持の条件付きでポツダム宣言受諾を申し出る。

八月十三日、大阪の街に上空からビラがまかれた。
「明日十四日 大阪をくうしゅうします このばくげきがさいごであります 一九四五年 U.S.A」


 大阪府大阪市。JR京橋駅を降り、しばし歩くと、広大な緑の森が横たわる公園にたどり着く。都市中枢部のほど近く、高層ビル群に囲まれた大阪城公園は今日も人々に安らぎの場所を与えてくれる。
 散歩する親子連れ、マラソンを楽しむ人、音楽の殿堂・大阪城ホールの傍でギターの音色が響く中、堀の向こうには美しい大阪城の天守閣が見えてくる。
 400年以上昔、大阪の陣でこの地が戦場になったことは誰もが知ると思う。
 しかし戦時中ここに、機密の詰まったアジア最大の軍需工場が立ち並び、時代の趨勢を極めていたことはあまり知られていない。
 若者がコンサートに感涙するこの場所で、10代半ばの少年少女までも動員し、最盛期6万人が24時間体制で働いていた歴史を知る人も、今はもう少ない。


 ……昭和二十年八月十四日。
 朝から警報のサイレンが響く不吉な1日の始まりだった。
 例のビラは軍に押収されたが、今日米軍の空襲があるという話は人々の噂になっていた。中には避難をした人もいたが、それでも休むというわけにいかない。
 うだるような暑さの中、いつも通りの朝が始まった。
 国鉄京橋駅から、人の群れが大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)へと続いている。長い壁に囲われその全貌は市民には極秘とされていたが、明治より栄え続けた工廠に勤める人々の多くは、ごく普通の工員だった。
 職務は過酷であったが、給料日にはうんと羽を伸ばして繁華街で友達と遊び、男子と女子の恋話も囁かれる、そんな和やかな風景も見られた。
 とはいえここは軍需工場、今まで大きな空襲にさらされなかったのが不思議であった。
 しかし、昼食の終わった頃、2回目の警報に皆は青ざめる。
 爆撃機の音が平穏を切り裂いた。
 B29の編隊が晴れ渡る工廠の街を襲ったのである。その数、約150機。
 米軍は機体から、1トン爆弾を次々に投下してゆく。
 慌てて防空壕に飛び込むが、被害は凄まじく、壕ごと吹き飛ばされた所も多かった。爆風と轟音の後は、すり鉢状の大きな穴が開いて蜂の巣のような地面になり、石や材木などが滝のように流れ落ちては散乱する。
 何も見えない。
 おびただしい血と悲鳴は、次の攻撃でかき消される。
 人々は無力であった。
 殺される。
 ようやく見えた眼前で、吹き飛ばされる人を惨いと思う前に、自分の命も千切れ飛んだ。
 堅牢な建物は無残に破壊され、鉄骨が飴のように折れ曲っても爆弾の雨は降り続く。
 煙に巻かれながら、死を覚悟した人。
 懸命に「ナムアミダブツ」と祈る人。
 外壁は崩れ落ち、工廠は地獄絵図の姿を市民に晒した。
 しかしその頃、満員電車の停まる京橋駅も大惨事となっていた。高架下に隠れた乗客数百人の集まる中に爆弾が落ち、逃げ惑う人々は一瞬にして骸となった。
 夜まで燃える炎は大阪城を闇に照らし、阿鼻叫喚の中、多数の犠牲者とともに大阪砲兵工廠は残酷なまでの終焉を迎える。
 
 八月十四日、第8回大阪大空襲。
 無条件の「ポツダム宣言」が連合国に通知されたのは、この夜の出来事であった。


 翌日、遺体の腐臭が漂う中、ラジオから流れる「玉音放送」には誰もが枯れぬ涙を流した。
 八月十五日、終戦。

 けれど、昨日までは元気だった仲間や家族は、もう戻っては来ないのだ。もう、二度と。
 平和まであと1日。
 灰となった人々の死に、何と告げれば良いのだろう……?



 平和とは、虹のようなものだ。
 見えはするし、原理は理解もするけれど、たどり着くことが叶わない……。
 大阪城天守閣から見渡す一帯の緑の森に、今はもう戦争の面影はない。しかし、その大地にはまだ多くの不発弾が眠るように沈んでいるという。
 城のそばには、1970年の大阪万博を記念した銀色のオブジェがある。その下には毎世紀のはじめと、5千年後に開封されるための2つのタイムカプセルが埋まっている。
 遙か、未来の人。
 西暦6970年の空は、何色だろうか?
 希望の虹は架かるだろうか。
 忘れないだろう。
 色の消えた、八月十四日を。
 言葉を失った、明日の平和を。
 たくさんの涙で始まった、豊かな未来を育む風景が、これからもずっと変わらぬように、ただ祈る。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

16/11/06 冬垣ひなた

≪補足説明≫
・左の写真はクリエイティブ・コモンズから著作権・使用制限GFDL+creative commons3.0に基づきお借りしました
【大阪砲兵工廠 範囲略図 作者Inoue-hiro】
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Osaka-Imperial-Arsenal-fig.svg#filelinks)

・中央上の写真は大阪城公園、写真の下半分が大阪城ホールや大阪ビジネスパークなど工廠のあった場所になります。この写真は「写真AC」にお借りしました。

・中央下の写真は大阪砲兵工廠の化学分析場跡。今は使用されていない。

・右上の写真がタイムカプセル埋設地。
クリエイティブ・コモンズから 表示 2.0 一般ライセンスに基づきお借りしました。
【Time Capsule @ Osaka Castle 作者Guilhem Vellutに著作権があります】(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Time_Capsule_@_Osaka_Castle_(13382631925).jpg?uselang=ja)

・右下の写真は大阪城天守閣です。

・大阪砲兵工廠は何度か名称が変わっているのですが、一般の記述はこちらになっているので統一しました。工廠(こうしょう)とは、軍隊直属の軍需工場の事です。

≪参考文献≫
・大阪砲兵工廠の八月十四日 (大阪砲兵工廠慰霊祭世話人会 編)

16/11/08 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。

日本が「国体護持」にこだわったために、終戦が遅れたときいたことがあります。
もし無条件降伏をもっと早く受け入れていれば、広島長崎の原爆投下もなかった、と。
日本の降伏はほぼ決まっていたのに、その前日にたくさんの命が失われたことは本当に悲しい事実です。

この作品を読ませていただいたことで、あらためて戦争は二度と繰り返してはいけないし、平和への願いを強く思いました。

16/11/11 冬垣ひなた

そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます

平和を模索してゆくのに戦争の足跡をたどってゆくのは一つの道であると思うのです。私たちが子供の時代は祖父母を始めとしたお年寄りから直接聞くことが出来ましたが、今は難しくなっているのではないでしょうか。
中には歴史から意図的に消えていく事もあります。大阪砲兵工廠の話も、戦後には体裁が悪いという理由で長く口をつぐんでおられた方もいました。当事者が多く語れないことを、次世代が語り継ぐのは大事であるように思います。平和について、初心に戻り考えた作品です。

16/11/16 冬垣ひなた

海月漂さん、コメントありがとうございます。

小学生の頃大阪大空襲を調べていて終戦前日に空襲があったことを知りました。京橋駅では今も毎年八月十四日に供養されているそうです。しかし、誰かにパッケージされたものが感じ取りにくいのは、平和も戦争も同じだと思います。今回大阪城公園とピースおおさか大阪国際平和センターに足を運びました。平和な世の中を切に願います。

16/11/16 冬垣ひなた

≪訂正とお詫び≫

戦時中の描写の中で、「国鉄」と書いてありますが、昭和二〇年当時の呼称として正しくは「省線(電車)」になります。私の認識不足を深くお詫び申し上げます。

16/11/24 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

戦争の悲惨さを訴える素晴らしい作品だと感動しました。

京阪電車の沿線に住む者にとって、京橋は非常に身近な地名です。
そんな悲惨な空襲にもみまわれていたんですか。やっぱり不吉な場所だ。
あそこはね、この沿線の者ならしってるけれど、昔は刑場だったところで、
霊スポットなんですよ。

かなりヤバイところだと聞いてる。あそこだけは絶対に住みたくない。

16/11/29 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

大阪空襲は全体的に見ると全域で被害がありました。最初は軍事施設を狙っていたのですが当たりづらいという事で、焼夷弾で民間人の家を焼き払い戦意を失わせる方向で戦略が進みました。綺麗事はうやむやになるものです。
大阪に住む地の利を生かし、また違う角度でも書いていきたいと思います。

ログイン