1. トップページ
  2. 母の言葉

新木しおりさん

小説家になろう: http://mypage.syosetu.com/184350/ Twitter:@non_yu17

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

母の言葉

16/11/02 コンテスト(テーマ):第121回 時空モノガタリ文学賞 【 捨てゼリフ 】 コメント:0件 新木しおり 閲覧数:742

この作品を評価する

「あんたなんか産まなければよかった」
 それは母が家を出ていく際に放った言葉だった。

 都内のアパレルショップに勤める私は、それなりにやりがいを持って仕事をしていた。接客が苦手だという知人は多かったが、私はそうは思わない。お客さんと関わり触れ合うことは、私の心を温かくした。私は毎日が楽しかった。輝いていた、と言ってもいいかもしれない。
 その日は初冬の寒さが肌を刺し、また雨が降っていたせいもあってか客足は少なかった。もうすぐ休憩時間になるというときに、カウンターの奥にいた店長に名を呼ばれた。なんでも店に私の父から電話がかかってきたらしい。おおかたスマートフォンにかけたが出なかったためにそうしたのだろう。生憎、私のスマートフォンはロッカーの中だった。
 私の母は、私が十七歳のときに家を出ていった。それから父は男手ひとつで私を育ててくれた。感謝してもしきれない存在である。
 私は店長から受話器を受け取り、電話に出た。
「もしもし」
「明美が倒れた」
 父の第一声はそれだった。
 明美。それはとうに忘れたと思っていた、私の母の名だった。
 聞くところによると、母は末期のすい臓ガンだったらしい。今回倒れたのもそれが原因だろうとの話だった。
「彼女がきみに会いたがっているんだ。会いに行ってくれないか」
 その言葉の意味を理解するのには時間がかかった。母が私に会いたがっている? あんな捨てゼリフを残して出ていった母が? 何かの冗談だろう。私はそう思わずにはいられなかった。
「冗談でしょう。どうして母さんが私に会いたがるの」
 鼻で笑いながら私が問う。父は真剣な声色で言った。
「そりゃあ、きみが彼女の娘だからだろう」
「そうね。確かに私はあの人の娘だわ。でもあの人は私に、あんたなんか産まなければよかったって、そう言ったのよ。そんな人が、どうして今更?」
 なじるように言う。しかし父は冷静だった。
「知っている。彼女がきみに何と言ったのか。でも、もう時間がないんだ。もし少しでもきみに彼女を許す気持ちがあるなら、会いにいってやってくれ。彼女は都内のM病院にいる」
 そう言い残し、父は電話を切った。私は受話器を見つめたまま、しばらく何も考えることができなかった。

 次の休日、気が付くと私はM病院に来ていた。受付で母の名を言うと、三〇五号室にいると教えてくれた。
 病室は四人部屋だった。そこにはベッドに横たわる母と、その傍らで椅子に座る父の姿があった。父は私が来たことに気付くなり、手招きで私を呼んだ。母の視線が私に移る。すると、その目は驚いたように見開かれた。
「あかり……」
 母が私の名を呼ぶ。その声は微かに震えていた。
 母はすっかりやつれていた。まともに食事もとれていないのであろうことは容易に察せられた。
「私、その、何て言っていいか……」
 母は私に何と声をかけていいかわからないようで、おどおどと視線を泳がせていた。それは私も同じで、母に何を言うべきか逡巡していた。
 沈黙を破ったのは母だった。
「……ずっと、謝りたかった」
「うん」
「あなたに呪いの言葉を放ったこと、ずっと後悔していたの」
「うん」
 頷くたびに目頭が熱くなる。見ると、母の目も潤んでいるようだった。
 ああ、そうか。私は胸の内で呟く。母も私と同じだったのか。
 あんたなんか産まなければよかった。その言葉は、何年も私の胸を刺し続けた。それと同時に、その言葉を放った張本人である母の胸も締め付けていたのだ。
 私は母の手に自身の手を重ねる。皺のあるその手は少し冷たかった。その上から、母はもう片方の手を更に重ねた。
「あかり」
 母がしっかりとした声で私を呼ぶ。次いで彼女は、ふっと微笑んで言った。
「あなたが私の子供でよかった」
 それは母が病室で放った、最後の言葉だった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン