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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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空乱裂破――もう痛みを感じられない、棘の生えた手のひらで

16/10/24 コンテスト(テーマ):第121回 時空モノガタリ文学賞 【 捨てゼリフ 】 コメント:9件 クナリ 閲覧数:1145

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 父親は、小学四年生の息子のハナタの頭をビーカーで殴ると、ついでに拳でも殴った。
「アッ、いたい」
「なぜお前は、痛い時に痛いと言う」
 そう言って、さらに強く、もう一度ビーカーで額を叩いた。ビーカーが割れた。ハナタはとうに頭から出血しているので、改めて皮膚が破れたかどうかは判然としない。
 ある日曜日の朝、安アパートの一室でのいつもの光景が進行していく。
 父親は小学校の教師で、もともと理科が専門だったこともあり、家には化学実験器具の類が充実している。
「お父さん、僕の頭から血が出ている」
「見れば分かることをなぜ口にする」
 父親は、脇にあった三角フラスコをつかみ、その底面の鋭角を、ハナタの眉間に叩き込んだ。
「お父さん、いたい」
「まだ分からないのか」
 一撃されるたびに、ハナタは「いたい」「ア、いたい」と漏らした。父親は「何度言ったら理解する」と激高し、手を止めない。
 繰り返される仕置きの中でフラスコが割れ、新たにメスシリンダーの底での一撃目がハナタの顎を打った時、ようやくハナタは――顎に手をやったための偶然だが――自分の口を手で押さえるという方法で声を止めた。
「私は、持ち帰ってきたテストの採点をする。黙っていろよ」
「お父さんがテストの採点をする」
 父親がアルコールランプの蓋を外し、血走った目でマッチを擦ったので、ハナタは危ういところでまた手で口をふさいだ。
 その後は特に指示がなかったので、ハナタは六畳一間アパートの居間の片隅で、そのままの格好で立ち尽くしていた。することはなにもなかったし、したいこともなかった。
 しばらく、父親が赤いサインペンを走らせる音だけが響いたが。
「おい、茶くらい淹れろ。言われなければやるべきことが分からないのか、この唐変木」
「入れる? お茶をどこに?」
「ほう」
 父親がのそりと立ち上がった。
「お前、盾突いたつもりか? さっきは手で口をふさいだな。やれとも言っていないことをした。そして今、やれといったことはやらん」
「はい」
「今のは指示ではない。生殖の実験に成功したはいいが、こんな成果だと分かっていればやるんじゃなかった」
「お父さん。質問してもいいですか」
「質問。えらく知恵を身につけたな。なんだ」
「僕の母親はどうなったのですか」
「それのどこが質問だ。どうとは何においてだ。身体の変質か。場所の移動か。生活環境の変化か。明確な質問ができないなら、返答は得られんと思え」
「はい。思います」
「なら、質問はこれで終わりだ」
 父親は机の上にあった、灰皿代わりの蒸発皿を、吸い殻ごとハナタに投げつけた。軌道がわずかに逸れ、蒸発皿は壁に当たって落ちた。
「お前、ちゃんと当たれ」
「はい」
 ハナタは、畳の上の蒸発皿の上にかがみこみ、鋭く額を皿のふちに打ちつけた。
 そして、そのままうずくまった。
「何をしている」
 ハナタは、畳にうつぶせのまま答える。
「お父さん。ここ何日かなんですが、お父さんといると、急に胸が痛くなるようになりました。今までは平気だったのに」
「お前、成長でもしたのか」
「ずっと、心の中に空がありました。色のない空が。でも、その空に、最近青色がついたのです。そうしたら空が割れたり、ゆがんだりするようになりました。そうするととても胸が痛いんです。お父さんといると、それがしょっちゅうなのです」
「学校で何かあったな。さてはお前、気になる女ができたろう。つい目で追ってしまう女子が」
「山本さんのことですか」
「その山本さんのことをどう思う」
「美観に優れています。そして、彼女は僕のことを心配しています。僕は凄く辛いです」
「何が」
「今までは何ともなかった、お父さんにぶたれたりすることを、山本さんに知られるのが凄く辛く感じます」
「辛いとはどのくらいだ」
「生きているのをやめたくなるくらい」
「そうか」
 父親が押し入れを開けた。ハナタが顔を上げる。
「アッ」
 同級生の山本リナが、手足を縛られ、さるぐつわをされてそこにいた。
「ほら、山本さんにすっかり見られ、聞かれたぞ。どんな気分だ」
「アッ、アッ。死にたいです。とても辛い、アッ」
「だがこの子は、お前を心配して、今朝わざわざやってきたんだぞ」
「嬉しいです。アッ、凄く嬉しい。アッ胸の中の空が、破れていきます。もう元に戻らないかもしれません、アッ」
「そうか。何か言い残すことはあるか」
「アッ、アッ、お父さん、死ね!」
 ハナタはそれきり口を開け、空中を見つめて動きを止めた。
 父は、放心しているリナの縄とさるぐつわを外した。
「帰りなさい。また明日学校でね」
 リナはガチガチと歯を打ち合わせ、膝も震えて立てなかったが、四つん這いで犬のように駆け出した。

 アッ、アッ、イッチャウノ……

「この××××」


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このストーリーに関するコメント

16/10/28 あずみの白馬

拝読しました。
全てが狂気に満ち溢れているホラーな作品だったと思います。
絶望の中の捨て台詞、それはむなしい叫び……
世の絶望を描くのがうまいと思いました。

16/10/28 クナリ

あずみの白馬さん>
「家」という単位の扱いには、古今東西なかなか手を焼くものがあるのではないかと思います。
それは、周りからも当事者たちにとっても、ですね。。。
家の中の常識が外では非常識、などというのはどこででもあることなのでしょうが、時には常識どころか倫理をはみ出す悲劇が起きてしまうもので。
内と外、なかなか難しいですね。
コメント、ありがとうございました!

16/11/13 霜月秋介

クナリ様、拝読しました。

実に斬新な掌編でした。
実の息子を生殖実験で得た試作品のようにしか見ていない、狂気にみちた父親。
母親はどうなったのかが気になります(笑)

16/11/15 クナリ

霜月秋介さん>
変な話でしたが(^^;)、楽しんでいただけて嬉しいです。
母親はいろいろされて、嫌気がさして逃げちゃったのかもしれませんねー……。
コメント、ありがとうございました!

16/11/30 クナリ

海月漂さん>
これはあまり誉められたことではないんですが、個人的には、親子の愛情というのは「あって当たり前」のものではないと思っています。
「当然あるでしょう」という思い込みが覆い隠してしまっている悲劇というのは、意外に少なくないんじゃないかと。
自分が愛情を持てないことに苦しむ親もいますが、それもなくなれば、子供にとってはモンスターと変わらないのではないかと思います。単なる強弱関係しかなくなるわけですからね……。

16/12/06 糸白澪子

クナリ様
拝読しました。
最後の「××××」も狂気的ではありますが、私としては「また明日学校でね」が中々に絶望的でした。
読者を引き込む物語、素晴らしいです。流石、ですね。

16/12/06 クナリ

糸白澪子さん>
ありがとうございます。
巻き込まれ型のサスペンスは個人的にも大好きなので、外すまいと思って気合い入れてかいてますッ。
自分のホラーのテーマの大きなものに「まともに狂ってる怖さ」というのがあるのですが、今回はそれを地でいった感じです(^^;)。

16/12/07 光石七

衝撃的な作品ですね……
前半は父親の狂い方と息子の従順さに胸が詰まり、後半の展開には圧倒されました。
「帰りなさい、また明日学校でね」という台詞が、おそらく教師らしく冷静に言っているのだろうと、余計に怖さを感じました。
素晴らしかったです!

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