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j d sh n g yさん

学生時代に中国へ行き、漫画創作から小説創作の面白さに本格的に気づく。 なぜか中国語の方がすらすらと小説が書け、日本語での小説はその後から徐々に挑戦。 日常をテーマに書いていきます。

性別 男性
将来の夢 中国語の翻訳家 漫画家昔の夢
座右の銘 芸術は爆発だ

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熟したカレー

16/10/23 コンテスト(テーマ):第120回 時空モノガタリ文学賞 【 平和 】 コメント:0件 j d sh n g y 閲覧数:847

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 市宮まどかは、夫の帰りをリビングで待っていた。テレビにはコメディタッチのドラマが映っている。リビングの掛け時計は午後九時半を過ぎていた。
 夫の正弘はまだ帰ってくる気配がない。鍋の中のカレーから湯気は消えている。
 午後十時、ドラマが終わったタイミングで玄関の鍵が開く音がし、娘の紗矢が予備校から帰ってきた。二週間後の模試に向けて、寝る間も惜しんで勉強している。
「カレーあるわよ」まどかは小さい声で紗矢に伝えた。
「ごめん、夕飯と夜食は予備校帰りにもう買ったから」低めの声でそれだけいうと、空の弁当箱の入ったバッグを机に置き、紗矢は二階へと階段を上がっていった。
 まどかは棚からココアの入った袋を取り出し、さらさらとマグカップにココアの粉を入れる。そうして、静かにポットのお湯を注ぎこんだ。湯気が立っていく。
 温かいココアをすすりながら、まどかはスケジュールの書かれている手帳を開いた。表紙は淡いピンク色で、金色の花がデザインされている。
 手帳のカレンダーには、パートとして働いているうどん屋のシフト時間が記入されている。二週間後の土曜日には紗矢の模試、再来週の火曜日の日付には正弘の誕生日が赤ペンで丸印されていた。
 市宮正弘は終電の電車の中で、一冊の文庫本を読みながら自宅の最寄り駅へと向かっていた。車窓には、次々と過ぎていく暗い家々と疲れた表情の正弘の顔が映るだけだった。スマートフォンの通知には、とりとめもない汚職事件や芸能人の離婚報道などのニュースが表示されていた。
 市宮紗矢は自宅の二階の勉強机の前で洋楽を聴いていた。もとは英語のリスニング成績を上げるために聴きはじめたのだが、しだいに耳になじむようになり、今では勉強用、リラックス用など使い分けて聴くまでになっていた。
 赤線ばかり引かれた参考書の文章を目で追い、なかなか覚えられない重要語句をノートに書きなぐる。夜もだいぶ冷えこむようになった。ノートに字を書く手が冷たくなっていくのを感じる。
 紗矢は苦めのコーヒーを飲み干した。市宮正弘が自宅へと帰った音は、イヤホンから聞こえる洋楽にかき消され、紗矢が気づくことはなかった。
 市宮まどかは、目覚まし時計の音で眠りから覚めた。午前六時半、寝室から台所への冷えた廊下を歩く。
 台所のシンクには夫の正弘と娘の紗矢の弁当箱が水につけて置かれている。
 水道の蛇口をひねり、弁当箱を洗剤のついたピンクのスポンジで洗う。
 弁当箱を洗い終わるころ、ようやく蛇口の水の温度が上がりはじめた。
 冷凍食品を電子レンジで温め、手空き時間で昨晩作ったサラダを少しづつ二人の弁当箱の端に詰める。
 まどかと紗矢は去年の終わりまで一緒に料理や弁当を作っていたが、受験勉強に専念してからは、台所に立つのはほとんどまどか一人になっていた。
 市宮まどかが副店長の増山と厨房で仕込みを行っていると、小太りの店長保田が出勤してきた。
「おはようございます。仕込みは順調?」保田は仕込み表をチェックし終わると、店長室へと向かった。
 朝礼が終わり、本日パートの一人、山根が欠勤することがわかった。
 うどん屋が開店するとぱらぱらと客が入りはじめた。寒い季節はどうしても客の入りが早くなりがちだ。
 次第に店が忙しくなりはじめ、厨房三人、ホールスタッフ二人で次から次へとやってくる客の注文をさばいていく。洗浄機の棚が空いた食器で埋め尽くされていく。
 増山は厨房側と客席側を行ったり来たりして、保田は調理が遅れている客のクレームに対応していた。
 午後二時を過ぎ、ようやく店が落ち着きはじめた。
「ごめん、まどかさん。あと一時間延びてもらってもいい?」保田が市宮まどかにシフト表を見せる。すでにシフトはボールペンで修正されていた。
「わかりました」まだ山のようになっている丼や皿を洗いながら、まどかは小さくうなずいた。
 市宮正弘は、人事部にて企業説明会の資料作成に追われていた。
 「ちょっといいか」山積みになった資料を前に奮闘する正弘の机に上司の勝村が顔を出した。
 市宮紗矢は、予備校の教室の黒板に書いては消される文字を参考書やノートに遅れまいと書いていく。わからない単語を電子辞書をたたき調べると、その間に一部板書が消されていた。
 予備校の授業が終わり、コンビニへと向かう道で、一軒のうどん屋の看板が紗矢の目にとまった。それは母の勤めるチェーン店の名前だった。
 自宅への最寄り駅で市宮正弘と市宮紗矢はばったり出くわした。
「あれ?お父さん、今日早いね」紗矢がびっくりして叫ぶ。
「腹が減って帰ってきちゃったよ。さっき母さんにメールを送ったんだ」
 正弘は早々と帰路へと向かう。
「あたしもよ」とつぶやきながら、紗矢は正弘を追いかける。
 市宮宅では、まどかに温められたカレーが待っていた。


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