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あずみの白馬さん

成人済 アイコンは天乃ゆうりさん作成(無断転載を禁じます) 自分なりの優しい世界観を出せるように頑張ります。 好きな作家は飯田雪子先生です。若輩者ですが、よろしくお願いします。 Twitter:@Hakuba_Azumino

性別 男性
将来の夢 旅立つときには、ひとりでも多くの人に見送られたい。
座右の銘 「これでいいのだ」

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誰よりも笑われた男

16/10/14 コンテスト(テーマ):第119回 時空モノガタリ文学賞 【 お笑い 】 コメント:10件 あずみの白馬 閲覧数:2104

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「人口80万人の街に地下鉄!? そんなの作って赤字になったらどうするんです? 熊でも乗せる気ですか?」

 1965年のある日、運輸省と札幌市交通局との間で、札幌市に地下鉄を通す計画を話し合う会議がもたれていた。
 その席で、運輸省の役人が意地悪な質問を札幌市交通局にぶつけてきたのだ。
 室内には嫌味な笑い声が響いてくる。だが交通局長、大刀豊は臆する事なくこう切り返した。

「運賃を払うなら、熊でも乗せます!」

 室内は大爆笑に包まれた。だが、彼は真剣だ。
 脳裏には、氷点下の朝、寒さに震えながら路面電車を待ち続ける人たちの姿があった。

――どんなに笑われても、負けるわけにはいかない

 ***

 昭和30年(1955年)代、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれるほど、経済成長著しい日本。

 当時の札幌市は、周辺市町村との合併などで、人口が著しく増加。それに対応した都市基盤の整備が急務となっていた。

 大刀豊は、市電鉄北線の当時の終点「北24条」電停に視察に向かった。
 そこで見たものは……電停から200メートルに渡って続く、市電を待つ人の列だった。
「これはまずい。札幌はもう大都市だ。なんとかこれを解決しなければ!」
 住宅街もこの電停から北に伸びており、市電の延長も本数の確保も同時に求められる厳しい状況となっていた。
「まずは輸送力の確保だ。電車を2両つなげて定員を倍にしてはどうだろう」
 それは親子電車と呼ばれた。しかし大した効果が上がらない上に手間がかかると、大刀は笑い者にされてしまったのだ。

 状況は変わらず、ラッシュ時は変電所の容量ギリギリの電車が走るまでになった。容量を超えると電車は全て止まってしまう。家庭のブレーカーが落ちるように。
「変電所の容量を超える電車は走らせられないが本数が欲しい……。そうだ! ディーゼルカーはどうだろう」
 かくして市電の延長とともに、日本初、かつ現在でも唯一の「路面ディーゼル電車」がお目見えした。
 しかし、いざ走らせると馬力不足でスピードが出ず、本数が増えてもノロノロ運転でこちらもさほどの効果は出ない。

 結局は、またも笑い者にされてしまったのだった……。

 さらに女性子供専用車や早朝割引、急行電車など、旅客を分散させる手を打ったもののどれもパッとせず、札幌市中心部には市電と48系統に及ぶバスが押し寄せ、ひどい時は身動きが取れない状態になり、バスと路面電車ではもう限界だった。

 警察からも解決を要請され、彼は欧州に視察に出向き、最早地下鉄しか無いという結論に達した。

 なお、札幌市の地下鉄はゴムタイヤ方式であるが、それはパリの地下鉄がゴムタイヤ方式を採用しており、とても静かで乗り心地も良かったことから決まったものである。

――冒頭のシーンに戻る

 彼は下手なお笑い芸人よりも笑い者にされたであろう。それでもなお、東京の運輸省、大蔵省などに予算をつけてくれと頭を下げる日々が続いた。
 そして彼の熱意に省庁が折れ、ついに予算がおりた。1966年、1972年札幌オリンピックの開催が決定したことが後押しとなった。かくして札幌市営地下鉄は建設に着手された。

 しかし好事魔多し。霊園前駅(現在の南平岸駅)から真駒内駅までの区間は高架となることになったが、ここにも壁が立ちはだかった。
 彼は除雪車を走らせればいいと考えていたが、いざ実験すると春先には走行面が溶けた雪でゴムタイヤがスリップ。それならと雪を下に落とすと住宅に落ちるありさま。開通予定まであと2年を切り、またしても危機に立たされてしまった。
 オリンピックのメイン会場は、高架の終点、真駒内駅にほど近い屋外競技場。路線を短縮するわけにはいかない。
「ダメなのか……、いや、何か方法はあるはすだ」

 考えた末に彼が出した結論は、なんとシェルターで線路を囲うこと。これは今でもカマボコなどと笑いのネタになることもあるが、雪で電車が止まることもなく、経済性に優れた方法でもあった。

 かくして1973年12月、札幌市営地下鉄南北線、北24条〜真駒内間はついに開通の日を迎えた。
 笑い者にされ続けた大刀豊はこの日、関係者と住民の温かい笑い声に包まれたのであった。

 大刀豊は1975年の春、還暦を迎えると同時に交通局を勇退。その翌年には東西線、琴似〜白石間が開通。この頃には人口120万人を突破している。

――現在

 札幌市は近年人口の伸びは鈍化しているが、それでも190万人を超え、立派な大都市となった。

 大刀豊は1998年、83歳でこの世を去った。しかし彼が先陣を切り、後輩たちがさらに伸ばした地下鉄は、3路線48キロの路線網を形成。
 誰よりも笑い者になった男が残した地下鉄は、今日も笑顔を乗せて走り続けている。


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このストーリーに関するコメント

16/10/14 あずみの白馬

【参考資料】
続々ほっかいどう百年物語(STVラジオ著・中西出版)
写真は私の友人に撮影していただきました。無断転載を禁じます。

16/10/14 黒谷丹鵺

知られざる偉人と言うべきでしょうか。
縁あって、あずみのさんがこの話を元に組んだプロットでフィクションを書かせて頂きましたが、こういう風に人物評伝として描かれると、やはり雰囲気が硬派で力強い感じがします。
沢山の人に大刀豊さんのことを知ってもらえるといいですね!

16/10/24 野々小花

亡くなった後、残るものがこの世にあるというのは、とても尊いことですね。
この作品のおかげで、大刀豊さんという方を知ることができました。ありがとうございました。

16/10/29 葵 ひとみ

あずみの白馬さま、

拝読させて頂きました。
大刀豊さんはまさに、
「虎は死して皮を留め,人は死して名を残す」を体現した御方なのですね。素晴らしいエピソードを心からありがとうございます。

16/10/30 あずみの白馬

> 黒谷丹鵺 さま
ありがとうございます。
大刀氏は、昭和の硬派で力強い雰囲気の人物であると同時に、平成の世でも通じるアイディアマンでもあったと思います。
黒谷さんにプロットをお渡しして描いていただいたことに改めて感謝申し上げます。

> 野々小花 さま
ありがとうございます。
亡くなった後に残したものは大きいと思います。
この方のことを知っていただいてうれしいです。

> 葵 ひとみ さま
ありがとうございます。
死して名を残した人物の一人だと思います。
臆することなく信念を貫き通す。見習いたいものです。

> 海月漂 さま
ありがとうございます。
お笑いを普通に描こうとしてもどうしても「滑る」ので、あえてこの人物で挑みました。
公共交通機関。作るのも一筋縄ではいかない部分はどうしてもありますね。

16/11/08 にぽっくめいきんぐ

拝読しました。
お笑いで、このテーマで書けるの、凄いと思いました。
お見事です!

16/11/09 光石七

拝読しました。
以前NHKが放送していた『プロジェクトX』を文章で読んでいるような感覚で、とても感銘を受けました。
たくさん笑われて、失敗もして、それでも人々のために信念を貫き、それを実現させる。私たちの便利な日常生活は、こういう方々に支えられてのものだと気付かされます。
素敵なお話をありがとうございます!

16/11/11 冬垣ひなた

あずみの白馬さん、拝読しました。

乗り物に詳しいあずみのさんらしい作品ですね。勉強になりました。札幌市のため、住民のため努力を惜しまぬ大刀氏の熱意が伝わってきます。私は電車に詳しくはありませんが、内容が丁寧で分かり読みやすかったです。硬派なエピソードを、このテーマで取り組まれた発想も素晴らしいと思います。ありがとうございました。

16/11/12 あずみの白馬

> にぽっくめいきんぐ さま
ありがとうございます。
あえてこのテーマを選ばせていただきました!

> 光石七 さま
ありがとうございます。
「プロジェクトX」に雰囲気が近くなったと私も思います。
何気なく日常的に使っているものの中にも、ドラマがあることを感じ取っていただいて、嬉しく感じました。

> 冬垣ひなた さま
乗り物、マニアという程ではないですが、確かにくわしい方かも……
乗り物に詳しくないとのことですが、想いが伝わったのでしたら作者冥利につきます。
ありがとうございます。

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