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16/10/08 コンテスト(テーマ):第118回 時空モノガタリ文学賞 【タイムスリップ 】 コメント:0件 OSM 閲覧数:839

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 捗らない執筆に嫌気が差し、ホフマンスタールは自宅を出てウィーンの街を歩き始めた。その時点では、時代は確かに十九世紀末だった。それがどういう訳か、歩いている最中に突然、何の前触れもなく、二十一世紀に切り替わった。
 その瞬間、自分は二十一世紀のウィーンにタイムスリップしたのだ、とホフマンスタールは悟った。その事実に疑いの余地はないように思われた。それ故に、現在自分が身を置く世界が本当に二十一世紀なのかを、何らかの方法で検証することはしなかったし、検証しようという意欲も湧かなかった。彼はあたかもタイムスリップなど起きなかったかのように、二十一世紀のウィーンの街を黙々と歩き続けた。
 黙々と歩き続けこそしたが、二十一世紀にタイムスリップしたと悟った当初は、「なぜ自分が」という思いに、つまりは悲しみと憤りに、ホフマンスタールの胸中は満たされていた。望んでもいないのに、告知もなく、有無を言わさず、百年以上先の未来に飛ばされる。オーストリア国内で名を知られ始めたばかりの一作家に過ぎない私が、なぜこのような悲劇に巻き込まれなければならないのか。
 しかし胸中にその二つの感情が居座っていたのは、せいぜい数分の間に過ぎなかった。タイムスリップをして十分が経過した頃には、ホフマンスタールは諦めていた。時間は不可逆的なものだ、という知識を彼は持っていた。悲しみ憤ったからといって、十九世紀末に戻れる訳ではない。否でも応でも、二十一世紀で生きて行く以外、自分が歩むべき道は残されていない。そうと頭で分かっていながら、いつまでも悲しみ憤ることに現を抜かすなど、愚の骨頂だ。ホフマンスタールはそう考え、自分が二十一世紀のウィーンにタイムスリップした事実を受け入れ、二十一世紀で生きて行くことを決意したのだった。
 タイムスリップから半時間あまりが経過し、ホフマンスタールは路地裏に足を踏み入れた。人気のない場所には創作のヒントが落ちていることが多い。そのことを経験から知っている彼は、執筆に行き詰まると、決まってそのような場所に足を運ぶ。彼が今回そうしたのも、それと同じ理由からだったが、足を踏み入れた瞬間、自分が二十一世紀のウィーンにタイムスリップした理由はこの場所に落ちているのではないか、という考えが頭を過ぎった。理由を知ることが十九世紀末に戻ることに繋がるとは思えなかった為、高揚感は覚えなかったが、とにもかくにも道を先へと進んだ。
 暫く すると、子供の泣き声が耳に入った。道を進めば進むほど声は大きくなる。
 間もなくホフマンスタールは、路傍に座り込んで泣いている男児の姿を認めた。眼前で足を止め、繁々と観察する。六・七歳だろうか。中世ヨーロッパの貴族の盛装のような、煌びやかな衣装に身を包んでいて、端正な目鼻立ちをしている。
 自らの眼前に佇み、自らの泣き顔を眺めている男に注意を払うことなく、男児は泣きじゃくっている。
 ホフマンスタールは不意に、激しい劣情を催した。その対象は、どうやら眼前の男児らしい。
 ――君は、どうして泣いているんだい?
 込み上げてくるものを懸命に抑え付けながら、ホフマンスタールは男児に声をかけた。
 ――帰りたいよう、帰りたいよう。
 男児は泣き続けながら、ホフマンスタールには見向きもせずに答えた。
 ――お家に帰りたいのかい?
 ――違うよう、違うよう。ママのおっぱいを吸ってさえいれば生きていられた、あの頃に帰りたいんだよう。
 ――あのね、君。
 冷ややかな声が男児に降りかかる。
 ――残念だけど、過去に戻ることは出来ないよ。人は、時間は、決して過去には戻れない。
 ホフマンスタールは落ち着き払った手付きで、身に着けているものを上から順番に脱ぎ始めた。


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