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こんちゃんさん

むかしむかし、小説家に憧れた少年がいました。少年はいつの間にか大人になり、憧れは夢になりすっかり忘れていました。でも、また何か書いてみたくなりました。

性別 男性
将来の夢
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レコード

16/10/07 コンテスト(テーマ):第118回 時空モノガタリ文学賞 【タイムスリップ 】 コメント:0件 こんちゃん 閲覧数:743

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このレコードを手にした時の事はよく覚えている。ドヴォルザークの新世界交響曲。
僕は当時、大学の管弦楽部にいた。でも、別に小さいころから何か楽器をやっていたわけでもない。
ただ、音楽が好きで、特にクラシック音楽が好きで、良く聞いていただけ。
大学に入って管弦楽部があると聞いて、思い切って門をたたいてみた。
理由は簡単。生の音が聞いてみたい。
ただそれだけで入ったんだ。
楽譜もたいして読めないし、楽器経験はゼロ。選んだパートはヴィオラ。なぜ?理由は簡単。メロディが回ってこない、つまり、目立たない。あまり弾けていなくてもそれほど迷惑はかけない、はずだったんだけど。
渋すぎるがゆえに、団員数が少ないというのは想定外だった。。。
練習に出ると、先輩が一人いる。自分もいる。それだけ。
運が悪いと先輩も来ないので、本当に一人。
何せドレミの読み方からして意味不明、という自分が、オーケストラの演奏会で演奏する曲を弾かなければいけないんだから、特訓しかない。指が覚えるまで反復練習。もはや楽譜も何もない。条件反射で自分の出番になったら、与えられた部分を弾くだけ。それでも音として正しく当たってるのは3割くらい。でも、自分が楽器を鳴らして、交響曲の一部を演奏できている気分になれるというのはとても楽しかった。
そういうわけで、打率をいくらかでも上げようと、必死に反復練習を繰り返していた時だった。

君の演奏は、憧れのようなものを感じないんだよね。一生懸命練習してるのはよく見てるからわかるけど、音符を時間通りにこなしているだけで何も伝わってこないよ。

同級生の女の子、浪人して入ってきたから1つ年上のお姉さんだ。今はヴァイオリンを弾いている。その音からはとても音楽を感じることができたからいつも楽器の事を相談していた。いや、少し憧れていて話しかけたかったのかもしれない。

楽譜はどうにかこなせるようになってるように聞こえるから、少し自分がこの旋律から感じるところを表現してみたらどうかな。

僕が楽器を持ったまま固まってしまってどうにも困っていると、彼女は自分のヴァイオリンを取り出した。

ヴァイオリンは旋律で、音の高さと節回しは違うけど、ほぼ同じことをやっているから聞いてみて。

彼女はゆったりとしたテンポで弾きだした。とても上手だ。2楽章、家路のメロディの1周目から2周目への合いの手の旋律。彼女の音が終わったらそこに2周目の主旋律のイングリッシュホルンが今にも入ってきそうなきれいな演奏。

これが、指揮者の先生がやりたがっている感じね。

また同じところを弾き始める。さっきより少しだけテンポが遅い?いや、テンポはほとんど同じだけど、音の出始めがさっきより丁寧なんださっきの演奏よりも、もっと優しくて家に帰りたい気持ちがどこからか湧いてくる。

これが、私が一番好きな音楽。

そういう彼女の目はとても遠くを見つめていたけど、すごく魅かれるものを感じた。

君は音楽を聴くことは大好きだったよね。同じ演奏を違う指揮者でいっぱい聞いてみるといいよ。

それだけ言うと、バイトがあるからと楽器を片付けて帰っていった。
僕はそのまま中古のレコードを扱っている店に駆け込んだ。ここにある4,5枚のレコードを全部買い占めて帰った。
1枚ずつかけてみる。本当に指揮者ごとに演奏が違う。
その時の1枚がこのレコードだった。指揮者は旧ソヴィエトから亡命して、ウィーンフィルを振ったという演奏。その演奏を聴いていたら、ふいに涙が出てきた。2楽章、家路のメロディがものすごく心を打つ。そして、1周目が終わってつなぎの部分。彼女が弾いたのと同じ音がスピーカーから流れてきた。次の主旋律を優しく誘っている弦楽器群。涙を流しながら、背筋が痺れるような感動がそこにあった。この指揮者は、故郷に対する憧れをこの演奏に込めたんだ。理由があって捨ててきた故郷に対する狂おしいまでの憧れ。もう足を踏み入れることすらかなわないという思い。
それは時間を超えて、今、僕のところに届いた。おそらく遠くから親元を離れて一人暮らししている彼女にもそれが届いた。確信はないけど。レコードのA面は2楽章まで。僕は、レコードをひっくり返すことさえ忘れてただ涙を流していた。
レコードは、それ自体がその時間を閉じ込めている。でも、それ以上にそれを聞いた人達の思いも一緒に閉じ込めているのだと思う。彼女からもらった思いは今でもここにある。今はどこで何をしているのかもお互いに知らない。でも、このレコードを手に取ると、あの日に帰ることができる。少しの憧れは照れ臭いけど僕を作っている大事な時間。


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