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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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一人の客

16/10/06 コンテスト(テーマ):第119回 時空モノガタリ文学賞 【 お笑い 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1194

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『たまさか演芸場』の舞台にたったお笑い芸人丸本四角は、ステージ上から客席にむかって今夜も、得意の話芸をはじめた。20分のもち時間を機関銃のようにとめどもなく喋り続けるのが彼の真骨頂だった。そのなかにお笑いネタがこれでもかというぐらいはさみこまれていて、そこには考えぬいた笑いのエッセンスがもりこまれていた。
ステージの客席は、およそ30席、お笑いを心から愛す寄せ芸人たちがここで自慢のネタ芸を披露するのだ。
丸本四角は、客席に目をはしらせた。そこにみえるのは椅子だけだった。客はただ一人、扇状に広がる一番向うの隅に認められた。その客はいつもおなじ女性で、月に四度の彼の出番にきまって、顔をみせた。彼女は、帽子を目深にかぶり、コートのまま座っていた。一人ということが、気恥ずかしいのか、うつむき加減にしている。
そんなことはどうでもいい。彼女こそ、俺の笑いを理解してくれる唯一の客だ。この客がくるかぎり、おれはステージをつとめるんだ。彼は自分を世界一のボードビリアンと思っていた。ここにこない人間たちは、本物の笑いを知らない。ここにくれば、それがわかるというのに。持ち時間が終わり、彼は、客にむかって深々と一礼した。
「お疲れさん」
舞台からおりてきた丸本四角を、この演芸場のマスターがねぎらった。そのマスターが、通路を出て行こうとする丸本四角に歩みよると、辺りに誰もいないのに、わざわざ耳元に口をちかづけ、
「マルさん、どんなもんかな。ぼちぼち、このあたりで………いや、勘違いしないでおくれ、うちはいつでもマルさんは歓迎してるんだよ。ただ、一人のお客を相手に、一心不乱に20分も演じているあんたの姿をみていると………」
「マスター、そのさきはどうぞ、いわないでください。一人でも、この私の芸をみにきてくれているんだ。私は舞台をおりるつもりはない。お願いしますよ、マスター」
何度も頭をさげる彼をみては、マスターはもうなにもいえなかった。ギャラは入場人数できまるが、丸本四角の場合はほとんどノーギャラにひとしかった。気の毒と思っていってみたまでで、本人がその気なら、もとより反対する気持ちなどなかった彼だった。丸山四角はこれからも、『たまさか演芸場』での舞台をつとめることになった。
カフェバー『マルカク』。そこが丸山四角の自宅で、舞台のある日は、帰宅は10時をまわった。ステージにあがるとき以外は、彼もまたこのカフェバーをきりもりしていた。
店内では妻の圭子がカウンターにたっていた。
亭主をみても、洗い物から顔もあげようとしない妻に、彼はただいまだけをいうと、厨房の裏の階段をあがりはじめた。あれだけ舞台では喋りつづけた彼も、自宅では寡黙そのものだった。これも笑いになるかな………。
妻が、そんな亭主に不満を覚えているのは彼が一番しっていた。愚痴ひとつこぼしたりはしない彼女だが、家で彼が笑いについていくら熱弁をふるっても、相槌ひとつうつことなく、黙っていた。
彼の部屋には、笑いに関する書物がずらりと壁をうめていた。コントはもちろん、文学、映画、哲学関係の本もあり、彼がいかに本物の笑いについて日々、研究を重ねているかはそれをみても明らかだった。
まもなく店をしめると妻は、二階にあがってきて、たいして夫と言葉をかわすことなく、寝についた。たちまちきこえはじめた寝息を耳に、丸山四角はついため息をついた。さっぱり目のでないおれに、妻は業を煮やしているのにちがいない。本当は、家業に専念してほしいと思っていることぐらい、俺にもわかる。しかし、あの客がいるかぎり………。ついゆらぎそうになる自信も、あの隅の席に座っている客の姿をおもいうかべると、いまいちどもちなおすのだった。そんなことが、これまでなんども繰り返されてきた。
次の舞台のとき、おどろいたことにあの客以外に、ほかにも数人、入場客がいた。丸山四角自身は気がついていなかったが、彼の独自の話芸が、本当に笑いを愛する人々のあいだに次第にひろがりはじめていたのだ。次の舞台には、さらに客がふえていて、さらに、さらにというふうにふえつづけ、ついには観客席がうめつくされるまでになった。
その夜は、マスターからすすめられた酒をのみすぎ、帰宅時間がずいぶん遅れた。
家につくと、妻はすでに横になっていた。満席になったよ。なによりそのことを告げたかった彼だが、それをきいても喜んではくれないだろうなと、弱気の方が先に立った。
彼は上着をぬいで、衣装入れをあけた。酔っていたせいで、妻の衣装ケースをあけてしまった。落した照明のライトに、見覚えのあるコートと帽子がうかびあがった。忘れるはずもない、舞台上からいつもみていた、あの客が着ていた衣装だった。
「これをネタに、なにかできないかな」
お笑い芸人丸山四角は、寝ている妻の前で、一席やりたくなった。


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このストーリーに関するコメント

16/11/08 光石七

拝読しました。
たった一人の客だった女性は、本当に丸本四角の一番の理解者だったのですね。
素敵なお話をありがとうございます!

16/11/09 W・アーム・スープレックス

もう亡くなられましたが、ある一人のお笑い芸人さんへの、オマージュのつもりでこの作品を書きました。奥さんではなかったですが、本当に客が一人のときに、かわらずステージをつとめた、敬愛すべきボードビリアンです。
私もこうありたいと、この人をおもうとき、いつも励まされます。

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