朱緒さん

受験生。 ゆれやすい年頃だって自覚はあります。

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箱庭

12/10/10 コンテスト(テーマ):第十六回 時空モノガタリ文学賞【 テレビ 】 コメント:0件 朱緒 閲覧数:1446

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 テレビが嫌いだった。
 箱の中に一つ目の穴のようにぽっかりと開いた黒い画面が嫌いだった。外国でテレビを皮肉っていうと、一つ目のモンスターになるらしい。それを聞いたとき、なんてこの物質に似合う名前だろうと思って少し笑った。
「みき」
 母の声に黒い画面から顔を上げて立ち上がる。母は料理の盛り付けられたお皿を手にしてわたしをあきれたように見つめていた。
「テレビばっかり見てると目が悪くなるわよ」
 そういって淡々とテーブルの上にお皿を置いていく。ひっつめられた黒髪は白いものも混じり始めて、少しだけ大きな父のチャコールグレイのセーターを着ているせいで、その残酷なまでの細さが際立った。皺の目立ち始めた手首はまるで枯れ木のようだ。そんなにも細いのに彼女はわたしと弟に毎日ご飯を作る。朝も昼も夜も、延々と、淡々と、エンドレスに繰り返す。
 前までは彼女からはさわやかなカモミールの香りがした。気に入っていたといっていたのに、今はもう澱んだお酒の匂いしない。
 キッチンドランカー、という言葉を放送したのも、テレビだった。いや、違うかもしれない。わたしが知らなかっただけで、その言葉はずっと新聞や週刊誌で載せられていたのかもしれない。わたしが知っている世間は、黒い画面の中のそこだけだ。それ以外のことは、何もわからない。
 母のような人を、キッチンドランカーというのだと知った。毎日毎日料理を作り、お酒に浸り、洗濯物を干して、家の中の掃除をし、そしてまた朝になって同じ生活を繰り返す。そうして静かに酒に溺れて狂っていってしまって、ある日そのレールが外れるまでは、本人すらも気づかない欠陥。母は、もうどこか狂ってしまった。
「みき」
 あきれたような声が耳を打つ。はあい、と緩んだ声を返しながら、わたしはテレビをもう一度振り返る。黒い真っ黒な硬質的な画面を、いっそとんかちでばりんばりんに割ってしまいたくなった。嫌いだ、この監視するような黒さが。
 ――バチン。

 家に帰ってきた弟の声がうるさくて、わたしは重い頭を抑えながら階段を下りる。なに騒いでんの、そういいながら弟が立つ居間への扉を開けて、ああ、と思った。またなのか、と思った。
「ねえちゃん」
 眉尻をたらし情けない犬のような顔をして、弟はわたしを振り返った。彼のつぶらな目にはわずかに涙がにじんでいて、男なのに泣くなと思った。その言葉は、口には出せなかったけど。
「母さんが」
「知ってるよ」
 自分よりもう大きくなってしまった弟に手を伸ばす。彼はわたしのその手を不思議そうに見つめ、されるがままに抱きしめられた。こういうところは変わらない。母がいたあのときから変わらない。まだ父もいて、幼いわたしたちは何も気づかず幸福に浸っていたあのときから。
「また、なの」
 ときおり弟の声はとても幼くなる。小学生の声みたいだと思いながら少し高い位置にある彼の頭を撫でてやった。落ち着かせるようにゆっくりと。ブチ、と聞こえたあのリセット音に、わたしはかすかに苛立ちながらテレビに目を向けた。テレビの目の前で赤まみれで横たわっている母の死体を飛び越して、黒い硬質的な画面に目を向けた。
 電源が入ってまたリセットされる。ビデオを巻き戻しているかのようなぎゅるぎゅるという音が部屋中に響く。わたしは唇を引き結んで弟を強く抱きしめた。大きい彼の背は子どものように震えてわたしに縋るように腕が巻きつけられる。ちゃんと成長しているんだな、と思いながら、わたしはゆっくりと目をつむった。
「また、だよ」
 ――バチン。

「起きなさい、みき。いつまでも寝てないで」
 聞きなれた母の声にうん、と眠気のにじむ声を返す。布団から顔を出してばっと手を伸ばしてみた。わたしの目にはそれが普通の指に見える。血の通った生きた人間の指に。そのことに馬鹿みたいに安堵して、母の声を追って部屋を出た。
「お母さん」
 そういって呼びかけた声に、父のチャコールグレイのセーターが翻って母は笑った。夢の中の彼女とは違って、黒い髪は今も艶々で血で赤くなってもいなかった。まだ寝ぼけてるの、と笑う口元にはかすかな皺しかない。
「夜中までテレビなんて見てるから」
「うん、ごめん」
 朝ごはんをお皿に盛っている母の背中を一瞥し、居間の椅子に腰掛ける。それからいつものようにテレビへと視線をやって、ブチン、と突然ついたそれに釘付けになった。
 家の中に、弟が一人だけ立っていた。彼の足元には赤く色づいた母の死体と、そして見慣れたわたしの身体が転がっていた。まるで今まさに突然テレビがついたかのように、彼はこちらへと視線を寄越す。犬のような目は泣き腫らして、確かにわたしと視線は重なった。
『ねえ、ちゃん』
 ――バチン。


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