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Fujikiさん

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ラヴェンダーの香り

16/09/06 コンテスト(テーマ):第117回 時空モノガタリ文学賞 【 本屋 】 コメント:6件 Fujiki 閲覧数:1837

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 四月に引っ越してきて以来、海岸の散歩が文子の習慣になった。土曜日の朝、音楽を聴きながら二時間ほど砂浜を歩く。白い砂の模様や海の表情、常に形を変えていく雲にはいつも新鮮な発見があった。海辺の町にあるマンションを買って本当に良かったと実感できるひと時だった。
 散歩から帰る途中、本を載せたワゴンを表に出している古めかしい二階建ての家の前をいつも通る。学術書や小説が並べられ、本の合間には豚の貯金箱が鎮座している。添えられたメモには「一冊百円。小銭のない方は呼び鈴を鳴らしてください」とある。この日、文子は小銭を持ち合わせていないわけではなかったが、どんな人が本の無人販売をしているのか知りたくなって門柱についたブザーを押した。
 玄関に出てきたのは七十代くらいの女性だった。猫背ではあるものの、しっかりとした足取りだ。頭の白髪を一房だけ紫色に染めている。
「ねえさん、よかったら上がって。庭でスイカ採れたから今から切るところさ」人懐っこい笑みを浮かべて、おばあさんは言った。
 家に入って最初に文子が目にしたのは、壁一面を埋め尽くす本棚だった。どの棚にも本がぎっちり詰まっている。淀んだ空気はドライフラワーの香りがした。
「ラヴェンダーですか?」
「そう、古い本って独特の匂いがするからね。ラヴェンダーは虫除けにもいいらしいし」
「私は好きですけどね、古い本の匂い」
「ねえさん、本好きね? 父も愛書家だからこの通り。ほとほと困ってますよ」
「仕事が文芸翻訳ですから、小説関係はよく読みます」
「あら、じゃあ金城栄光って知ってますかね。うちの父ですが」
 懐かしい名前だった。南方に出征して負傷した戦争体験に基づく小説で知られる作家である。三十年近く前、大学のゼミで金城の代表作を精読した時、文子は物語に感動して授業中に声を上げて泣いたことがある。離婚した文子が親類も友人もいないこの島に居を移そうと決めたのも、思えば金城の作品を読んだ記憶に影響されたのかもしれない。
 おばあさんの出したスイカは小ぶりではあったが赤色が濃く、ぎゅっと詰まった甘味がした。
「口に合うなら持って帰って。うちと父じゃ食べきれないから」
「失礼ながら、金城先生がご存命だとは知りませんでした。長らく新作を発表されていませんでしたし」
「脳出血で自由に動けなくなってから、ずっと上で臥せってるんですよ」と、おばあさんは天井を指さして言った。「毎日口やかましくて辟易してます」
「義母が寝たきりだったので、よく分かります」
 文子の仕事が自宅でできるのをいいことに義母の介護を当然のように押し付けた夫と親族たち。子どもができなかったことをなじり続けた義母。結婚生活は思い出したくもない毎日だった。
「金城先生にお目にかかることはできますか?」
「最近は寝てばかりだし、今朝は微熱もあるから別の機会にしましょうね」おばあさんはそう答え、ため息をつくように小さく笑った。
「たぶんもう執筆は無理だけど、年金に加えて軍人恩給があるおかげで助かってます。有難いことです。ただこの本の山は処分してしまわないと」
「金城先生の蔵書ならどこの図書館でも喜んで引き取ると思いますよ。古本屋に売っても大した額にはならないでしょう」
「昔は出入りの古本屋がいたけど、店を畳んだみたいで一昨年から来なくなってね。何冊でも好きに持って行ってください」
 おばあさんが皿を洗っている間、文子は本棚の列を素通りして二階へ向かった。寝顔を拝むだけでも十分だった。昔愛読した本の作者に会っても若かりし日が取り戻せるわけではない。でも新しい人生を歩み始めた文子にとって、それは特別な意味を持つ行為に思えた。二階は静かで、階段を上るにつれてラヴェンダーの香りが強くなった。学生時代に仲の良い同級生と行った北海道旅行を文子は思い出した。懐かしさが文子の胸を熱くした。
 二階の部屋のドアを開けるとドライフラワーの花畑だった。大量のラヴェンダーがベッドと床一面を覆い尽くしている。ベッドに横たわる小さく縮んだ遺体は花に埋もれて辛うじて一部が見えるだけだった。すぐに不自然だと気づくべきだったのだ。階段の昇降が不自由な要介護者はたいてい一階に寝かせるものだ。おばあさんが本を一度に処分しないのも世間の目を引かないためだろう。それに、この花の香り。
 振り返るとおばあさんが大きなまさかりを手にして階段を上ってくるのが見えた。文子が腰を抜かして倒れると、長年積もった埃と一緒に死臭混じりのラヴェンダーが舞い上がった。床に転がっている白骨は古本屋だろうか。頭蓋骨が脳天から真っ二つに割れている。それは間もなく迎える文子自身の運命の行く末でもあった。
 おばあさんはスイカ割りをするみたいに軽々とまさかりを振り上げた。乾いて色褪せたラヴェンダーの花びらが赤紫色に染まった。


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このストーリーに関するコメント

16/09/08 黒谷丹鵺

女性の新生活が素敵で偶然出会った老婆も感じが良く、かつての愛読書を書いた作家の娘と判明して話が弾む辺りまでは、ほのぼのとした物語と思っておりました。それがまさかの展開……まさかりを手に迫ってくる老婆のくだりには、読んでいる私も腰を抜かしそうになりました。大変面白かったです。

16/09/08 Fujiki

黒谷さま、読んでくださりありがとうございます。新しい人生を始めたと言いつつ実は青春時代の思い出にいつまでもしがみついているヒロインの姿を、死んだ花を乾燥保存するドライフラワーのイメージに重ねて描いたら、ちょっと手厳しい結末になりました。どんでん返しは普段あまり書かないのですが、想定外の事態に出くわした主人公のショックを演出できていれば幸いです。

16/09/19 クナリ

世の掌編は、文字数内で表現できる内容として、何気ない心情やそこにたゆたう雰囲気を書かれるものも多く、それらが嫌いなわけではないのですが、小説である以上「おお!」とか「なんとー!」と言わされたいと個人的には思っているものですから、今作は大変楽しめました。
突然の転調から息つくまもなく階段を上がってくるおばあさん…白昼堂々の現象でも恐怖というのは演出できるのだと、感銘を受けました。

16/09/20 Fujiki

コメントありがとうございます。クナリさんに「なんとー!」と言わせることができて、ものすごく嬉しいです! 私は静かな文章が好みなので、何気ない心情や雰囲気の描写に力を入れることが多いです。それらの描写があるからこそ非日常の出来事が引き立つのではないかと思っています。

16/10/21 光石七

拝読しました。
すがすがしい散歩の情景、優しげなおばあさんとのやりとり。主人公の苦しかった過去も、かつての愛読書の著者との出会いで昇華されていくのだろうと思っていたら……見事にやられました。
コメント欄を拝見し、主人公の深層心理やラヴェンダーの意味など、更なる深みを感じました。
心臓には悪いですが(笑)、とても面白かったです!

16/10/25 Fujiki

光石さま、コメントありがとうございます。読んでくれる人を楽しませようと毎回あの手この手を試行錯誤しています。賞に手が届くことは少ないのですが、誰かが読んでくれていると思うと書き続ける元気が出てきます。

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