1. トップページ
  2. 活字泥棒

W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

投稿済みの作品

1

活字泥棒

16/08/30 コンテスト(テーマ):第117回 時空モノガタリ文学賞 【 本屋 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1154

この作品を評価する

たまたま私がその書店にいあわせたとき、背後から、ここの店主の男性に意識して小声で語りかけている婦人の声が、きくともなしにきこえてきた。
「本当にごめんなさいね」
「なにもお母さんが謝らなくても………」
「でも、何冊もの本が、あの子のために、だめになったんじゃないかしら」
「落丁本として返品すればいいだけで、私どもにはそんな、ちっとも迷惑なんてかかってないですよ。それより、いまのお話、本当に驚きました。そんなことが現実にありえるのですね。いまだに私には信じられないぐらいです。まあしかし、私もこの目で、たしかにページの活字が書物から消え失せているのを、見た一人ですからね」
いったい何の話なのか、物書きとしての好奇心をつっつかれた思いで、私は書棚に目を這わせるふりをしながら、後ろの二人の話に耳を傾けた。
「息子の哲也が読んだ活字が紙のうえから、消えてしまうのですから。親の私でさえ、最初はとても信じられませんでしたわ」
「いったいいつごろ、お気づきになったのです」
「まだ幼いころのことです。児童書の『安寿と厨子王丸』を読んだときです。それがあの子にあたえた最初の活字本でしたから。何日かたって、その本を開いてみたら、そこには挿絵だけがあって、あとは白いページがひろがっているだけだったんです。それからも同様のことがくりかえされました。彼が途中まで読んだ本をたしかめると、活字は彼が読み終えたと思える個所でなくなっていました。彼がその本を読み終えると、本はきれいさっぱり白紙になっていました」
「まるで、活字を目で食べているみたいですね」
「そうなんですよ。読後の感想をきくと、彼ったら、おいしかったよと答えましたもの」
「良書ばかり選んで読んでおられたようですから、精神にとってはさぞかしいい栄養になっていたのでしょうね」
「私、息子が立ち読みした本代を弁償するつもりでしたのよ。本当にいいのですか」
「いいですって。さっきもいいましたが、迷惑なんかしてないのですから。しかし、もったいなかったですね」
「え」
「いえね、息子さん、お亡くなりになられるまで、相当量の読書をされたんでしょう」
「それはもう、学校を途中でやめて、部屋になかばひきこもって本ばかり読んでいましたから。おかげで、家にある書物はほとんどが真っ白で、やむにやまれずここの本屋さんにまで読みにきていたようです」
「私は思うんですが、それだけ大量の書物を吸収された息子さん、いつかは飽和状態になって、こんどは吐き出す番じゃなかったのかと思いまして」
「つまり、表現ですか」
「はい。こんどは逆に、無地の紙のうえに一瞬にして、活字が大洪水となって噴出する光景が、目に浮かびますよ。それはきっと、吸収された活字が息子さんのなかで発酵し、純度を高めて、芳醇な香りをたちのぼらせてよみがえったことでしょう。それが小説だったら、どれほど素晴らしいものだったか―――」
店主の言葉に、私はおもわず大きくうなずいていた。それこそ、私が常々書きたいと強く願い、また望んでいた作品だったのだ。それにしても、彼はいったい、なぜ亡くなったのだろう。そんな私の胸のうちがきこえたのか、はたして後ろで店主が、
「息子さんは、ご病気だったのですか」
「いえいえ。これまで病ひとつおこしたことのない健康体でしたわ」
「それでは、事故かなにかで」
「夕方、ちょうどここから帰宅した日に、いきなりうめき声をあげて悶えはじめましたの」
「原因は」
「わかりません。救急車で病院にはこばれましたが、夜中までもたなかったのです」
「手前どもの店からお帰りになってからとは……。私はそのときレジにたっていまして、息子さんの姿はよくおぼえています。そういえばいささか、顔色がすぐれなかったみたいですね」
「あのときもあの子、何かを読んでいたのでしょうね」
「たしか、店頭に山積みした、ベストセラー小説をお読みでしたよ」
「まあ、どんな気まぐれかしら。あの子けっして、その手の本は読まなかったのに。そういえば―――」
「どうしました」
「いえね、前にもいちど、友達がくれた本を読んだことがありますの。それは後に映画にもなった売れ筋の本で、それを読んだときにも、気分がわるくなって、三日ほど寝込んだことがありましたわ」
「ひょっとしたら………」
「なんですの」
「息子さん、ろくでもない小説の毒にあたられたのでは。店先のベストセラーも、人気ばかりで、中身も何もない、廃棄ゴミのような小説ですから――あっと、私がいっちゃいけませんよね。まあ、売れるからおいてあるんですが」
私は、足音を忍ばせながら、こそっと二人から離れていった。書店をでる際、できるだけ見まいとしていたそのベストセラーの表紙が目にとびこんできた。世間ではわりと評判の、私の本が。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

16/09/08 黒谷丹鵺

「私」と一緒に聞き耳を立てているような気分で読み進めば、これはなんという結末……少年の命を奪うほどの毒とは余程ろくでもないベストセラー小説なのでしょうね。面白かったです。

16/09/08 W・アーム・スープレックス

黒谷丹鵺さん、コメントありがとうございます。

命までは奪わなくても、貴重な時間を浪費させるだけのものは、結構多いような気がします。たった一人の観客相手に、ステージを熱演したボードビリアンがいました。こういう人が、私は好きです。

ログイン