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ケイジロウさん

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幽霊の笑顔

16/08/29 コンテスト(テーマ):第115回 時空モノガタリ文学賞 【幽霊 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:737

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 そろそろ洗わなくちゃな、と考えながら水色の作業着に着替えていると、先輩の坂本さんがいつものタイミングでロッカールームに入って来た。下を向いていた。右斜め下、左斜め下を交互に見ている。コンタクトレンズでも探しているかのように。ゆっくりと、幽霊みたいにこちらに向かってきた。坂本さんのロッカーは、僕の横なのである。頼りない左肩にかけられたショルダーバッグが、膝のあたりでブラブラと揺れていた。
「おはようございます。」
 と、小さめの声で坂本さんにあいさつした。
「ぅぅぅ」
 と、坂本さんは僕に背中を向けて、さらに小さめの声で、幽霊みたいに応えた。顔は幽霊みたいに青ざめていた。クシャクシャの髪の毛には枕の跡がくっきりとついていた。エネルギーを仕事のためにあまり無駄に使わないようにしているのか、そもそも、エネルギー自体がないのかわからない。
 本物の幽霊のエネルギー源はなんなんだろうか。エネルギーがなくても動くことができるのかもしれない。いや、幽霊を見ている人のエネルギーを使っているのかもしれない。坂本さんは、ロッカーのカギを鍵穴に差し込むまでに3回カギを落とした。僕は坂本さんのそんな動作を見て、そんなことを考えた。
「昨日は何時まで会社にいたんすか?」
 僕は、ロッカーを開けることに成功した坂本さんに話しかけた。
「11時」
「マジっすか?5時間も残業……」
「ぅぅぅ」
 14時間も(たぶん)好きでもない会社にいて、(たぶん)好きでもない仕事をしていたら、誰でも幽霊になっちゃうのだろう。
「今日は暑いね?」
 坂本さんのこの問いかけにはビックリした。貴重なエネルギーを、僕とのささやかな日常会話のために使ってくれたのだ。こんなこと初めてだ。なかなか気前がいいところもあるらしい。僕は坂本さんの意見に大賛成であることをたくさんのエネルギーを使って表現した。暑くて死にそう、仕事前から暑さでやる気がでない、こんな日はプールでビールを飲みたい、エアコンの設定温度を調整するボタンの上に張ってあるテープをはがしたい、ついでに「省エネ」のA4判の張り紙もビリビリに破いてやりたい、とか僕は言った。
 坂本さんはかすかに笑った。幽霊のように笑った。
「だいたいですね。あの張り紙はですね、天下りの幽霊社員のジジイどもが、毎週月曜日にタクシーで来て、粗捜しして、それを、夏なのにオシャレなカーディガンなんか羽織っちゃってる事務のババアどもに提案して、帰っていく。現場の床にしみこんでいる汗には注目しない、そんな象徴に見えて仕方ないんすよ。中身がない。実体がない。だからあんなの破っちゃわないとダメなんです。ああいうのを『幽霊張り紙』って言うんですよ。」
 僕はいつの間にか、ヒートアップしていた。下請けの現場で働く鬱憤が知らないうちにたまっているのだろう。坂本さんが僕のことを見つめているのに気づいた。メガネの奥で目を細めて笑っているのが見えた。
「5時間も残業なんて考えられないですよ。ほったらかして帰ったらいいんじゃないっすか?定時で。」
「ぅぅぅ、そうしたいけどね……」
「残った仕事は幽霊社員にやらせればいいんっすよ。オレだったらそうするな。『タクシー代くらい稼げ!』って言ってやるんすよ。そうだ、月曜日は定時に帰る日にすればいいじゃないですか。そうしましょう。それで、月曜日はフィリピンパブの日にするべきです。」
 坂本さんが笑った。声をあげて笑った。僕のトンチンカンな現実的ではない話を想像してみたのであろうか。僕は初めて坂本さんの笑い声を聞いた。あまり笑い慣れていないようだった。苦しそうに笑っていた。「オレだったらそうするな」なんて言ったけど、小心者の僕がそんなこと言えるわけない、ってことがバレてしまっているのだろうか。
 笑うためにこんなにエネルギーを浪費してしまってよいのだろうか。今日一日、坂本さんは立っていられるのか。本物の幽霊は笑えるのだろうか。


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