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本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
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畜猫伝

16/08/26 コンテスト(テーマ):第88回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:988

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 まことにうんざりさせられることに、またぞろ妻がどこからか例の小動物をくすねてきた。先代の三毛が夭逝したとき、次の飼い猫をどうするかで侃々諤々の議論をやって離婚寸前までいったあげく、もう金輪際飼わないと決めたにもかかわらずだ。
 彼女の弁解は傑作だった。
「気づいたら猫入りのバスケットを乗せて帰路を運転していたの。本当よ!」
 どうやらそれと知らずに夢遊病者と結婚していたらしい。若かりしころの自分に呪いあれ!

     *     *     *

 けだし猫という畜生は、猫好きにではなく猫嫌いにすり寄ってくるものだ。
 彼――名前は「ゲン」だそうだが、この奇怪な名称を思いつく妻のセンスには脱帽である――はわたしが後者であることを狡猾に見抜くと、毎晩疲れて帰宅するわたしの足に断りもなくすり寄ってくる。
 おかげさまで帰宅早々パンツ一枚になり、ズボンについたゲンの毛を一生懸命払い落とすという余分な仕事を課される仕儀となった。

     *     *     *

 ゲンがわが家にリクルートされてきたいきさつは、こうである。
 妻の友人に真性の猫気ちがいがおり、そのせいで家中猫、猫、そして猫というありさまなのだそうだ。その数――驚くなかれ――実に十二匹。
 当然の結果としてその女の家族のかんしゃく玉がついに爆発し、十匹以内に収めない限り超過分を保健所に連行する、と最後通牒を突きつけた。そこでなんとかして不可抗力的に猫を手に入れようと躍起になっていた妻に白羽の矢が立ち、密談が成立したというわけだ。
 ゲンは六歳という高齢で茶トラ模様、動作は緩慢、そのくせ少しでも腹を触ると飼い猫だとは思えない狂暴さを発揮して、誰彼かまわず噛みつくかんしゃく持ち。
 明らかにいちばんいらないやつをあてがわれたのだ。

     *     *     *

 妻は一週間と少しでゲンに対する興味を失い(自称猫好きなんてしょせんこんなものだ)、先代の三毛のときとご同様に、彼の世話は不本意ながらわたしが一貫して受け持つことになった。
 ちなみにそれに対する彼女の言い分は、こうである。
「ゲンちゃんはかわいいけどあたしは人間のえさを作るので精いっぱい。あなたはいいわよ。会社に一日中逃げてればいいんだから。あたしなんて――えんえんといかに家事が重労働であるかの愚痴が続く、割愛――だし、あの子抱き上げるとすぐに引っかくし。あなた家のことなんてなんにもやらないんだから、散歩に連れてくとかえさを作ってあげるとかしても罰は当たらないと思うけど」

     *     *     *

 わたしは観念してゲンの首にリードを引っかけ、動こうとしない彼を首吊りみたいなかっこうで散歩に連れていく。そのくせゲンはやたらと自分で道を決めたがるので、その都度ちょっとした戦争が勃発し、その都度休戦協定が結ばれるのだ。
 散歩コースはわたしたちのみすぼらしい一戸建てが鎮座する住宅街を適当に周遊するというもの。その途中に両側をコンクリート塀で仕切られた狭い抜け道がある。そのコンクリート塀の上にゲン以上にずんぐりとした雉トラの野良猫がいて、二十四時間体制でゲンを待ちかまえている(試みに早朝とか深夜に散歩へいったときもやつがいたので、これは確かな情報だ。不寝番まことにご苦労さまである)。
 二匹は折り合いが相当にまずく、会うたび決まってけんかになる。互いに全身の毛を逆立てて、ふーっとやるのだ。
 わたしはうんざりしながらゲンをぐいぐい引っ張って、散歩を続ける。

     *     *     *

 わたしは依然猫嫌いのままだったが、生まれてこのかたねずみ一匹獲ったことのないゲンのこと、放置されればなすすべもなく餓死する運命にある。そこで見かねて、愛猫が餓死することにさして抵抗を感じていないようすの妻の代わりにしぶしぶえさを作っているのだ。
 帰ってくるとゲンはかまびすしく鳴きながら、例によって足にすり寄ってくる。早く飯をよこせというわけだ。わたしは自分のえさを食べるのを棚上げにして、ため息をつきながら彼のぶんを作ってやる。

     *     *     *

 万事そんな調子だったので、ゲンが不治の病に罹り余命いくばくもないと判明しても、わたしはべつに取り乱さなかった。必要とあらば何度でも言うが、猫は嫌いなのだ。実にせいせいする。これで散歩からもえさやりからも解放されるのだから。
 いっぽう妻はというとあまりのショックで家事に手がつかなくなり、それらをすべてわたしが負担することになった。これがわたしの睨んでいる通りサボタージュだったのか、希代の動物愛護精神のなせる業だったのかは神のみぞ知る。

     *     *     *

 わたしは相変わらずゲンの毛をズボンからはたき落とし、義務感からえさを作ってやり、そして散歩に連れていく。彼がいくといって聞かないからだ。
 例のコンクリート塀に差しかかるとゲンの宿敵であるずんぐりむっくりの雉トラが、病身なのを悟られまいと虚勢を張っているゲンに向かって、無慈悲にもふーっと威嚇を始めた。するとろくに飯も食べていないせいで著しく衰弱しているはずのゲンが、あらん限りの力を振り絞り、ふーっとやり返した。彼はこの期におよんでも、男子のメンツにこだわっているのだ。
 リードを引っ張ろうとしてふと足を止めた。このままゲンの意に反して引きずっていくのは簡単だろう。しかし死を目前に控えているにもかかわらず、それでもなお男子のメンツにこだわるこの愛すべきバカ猫――この際潔く認めるが、ゲンは世界一の猫である――の気持ちを斟酌してやっていけないわけがあるだろうか?
 わたしはリードを外してやった。ゲンはくるりと振り向き、いいのか、と目で問うた。ゆっくりとうなずいてみせる。
「いけ、ゲン。思う存分戦ってこい!」
 どこにそんな力が残っていたのか、ゲンは軽やかにコンクリート塀に飛び乗ると、間髪入れずに勇ましい猫パンチをくり出した。雉トラは短く悲鳴を上げて塀の上から脱落、着地こそ危なげなくやってのけたものの、負けを認めて一目散に逃げていった。
「ははは、やったなゲン!」
 毛がつくのもかまわずゲンを抱き上げ、ほおずりしてやった。自分が涙を流していることに気づいたが、それが嬉しいからなのか悲しいからなのかはわからなかった。
 ゲンはわたしの腕のなかで目を閉じ、満足そうにごろごろ喉を鳴らしている。

     *     *     *

 宿敵との劇的な決闘に勝利した翌日、ゲンは冷たくなっていた。最後に闘士として戦えたことが彼の緊張の糸を緩めたらしい。驚くべきことにゲンは獣医から宣告されていた余命を、二か月以上も更新していたのだ。いつ死んでもおかしくはなかった。
 だからわたしは取り乱さなかった(妻はやたらに取り乱したふりをしていたけれども)。ゲンは満ち足りた死に顔をしている。彼が短いが充実した生を送ったというのに、なぜ悲しむ必要があるのか? 笑って送り出してやればいい。笑って送り出してやればいいのだ。
 白状すればわたしは少しだけ、泣いたかもしれない。

     *     *     *

 ところどころ舗装のはげた林道を、ダートにタイヤをとられないようのんびり流す。助手席には葬儀社で焼いてもらったゲンの遺骨が置いてある。空には筋状の雲がわずかに浮かんでいるくらいで、晴れ渡った碧空をとんびが獲物を求めて旋回していた。あきれるほどのどかだ。
 ゲンはもともと野良猫だったらしい。妻の友人である例の猫気ちがいが悲しげに鳴いている彼を不憫に思い、拾ってきたとのことだった。そこは名もなき里山の登山口で、朽ち果てた道標がひとつ立っているきり。あたりは見渡す限り見事な棚田だった。
 遺骨を取り出し、深く息を吸い込む。
「じゃあな、ゲン!」
 力の限り骨を投げ飛ばした。予想よりはるか近くの茂みにがさりと落ちる。いま思い出したのだが、ハンドボール投げの成績は下から数えたほうが圧倒的に早かった……。
「家族に会えるといいな、ゲン」
 彼の生まれた場所。もしかすると曾祖父から曾孫あたりまで勢揃いしているかもしれない。耳を澄ませてみた。おかえりと聞こえた気がする。むろん幻聴だろう。
 一度も振り返らずに車まで戻ると、シートを倒してしばらく横になることにした。組んだ両手を頭の下に敷いて即席の枕にする。傾き始めた西陽が当たってたいへん心地よい。
 とんびの鳴き声に混じってゲンのそれが聞こえるということはなく、そのまま眠りこんでしまったときに見た夢にも彼が現れるなどということは、ついぞなかった。
 振り返らずにどんどん進んでいくあたり、いかにもゲンらしい。あなたもそう思わないだろうか。


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