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相模の国のアリス

16/08/14 コンテスト(テーマ):第114回 時空モノガタリ文学賞 【 パピプペポ 】 コメント:0件 OSM 閲覧数:1133

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 アリスは病院の正門を潜り、真っ直ぐに建物に歩を進めた。玄関でスリッパに履き替え、人気のない廊下を進む。突き当たりの階段を上ろうとした時、足音が聞こえた。階段を小走りに駆け下りてくる。
 足音の主がアリスの視界に現れた。上半身裸の若い男だ。髪の毛を金色に染め、左胸にタトゥーを入れ、両手に包丁を持っている。身構えるアリスに、男はにこやかな表情で歩み寄り、早口に喋りかけた。
「ニュース、見ました? 今朝、相模原市の狂人病院で殺人事件が起きて、ついさっき犯人が逮捕されたそうですよ。犯人は、その病院の元職員の二十代の男。金髪で、左胸にタトゥーを入れていて、両手に包丁を持っていたそうです。被害者は全員、その病院に入院していた狂人で、死亡者はなんと十九人! 動機は今のところ不明らしいですけど、十九人もの人間を無差別に殺すなんて、普通じゃないですよね。犯人は絶対に狂人ですよ」
 アリスは眉をひそめた。男が「狂人」という差別的な言葉を平然と口にしたからではない。彼が言及した無差別殺人は、今朝ではなく、一年前の今日に起こった事件だったからだ。
「ナントカに刃物という諺がありますけど、本当に怖いですよね、狂人は。では失礼」
 男は会釈をしてその場から去った。アリスは階段を上り始めた。
 四階まで上り、無人のナースステーションの前を通過すれば、目的の病室はすぐそこだ。入口の横の壁にA4サイズの紙片が張り付けられていて、赤色のサインペンで川柳が書いてある。

 狂人を
  差別するやつ
   狂人だ

 狭い室内にはベッドが四台置かれていて、窓際の一台に人が横になっている。アリスはそのベッドに歩み寄った。髪の毛を金色に染め、左胸にタトゥーを入れ、両手に包丁を持ったその男性患者は、見開いた両目で天井の一点を凝視している。ベッドの傍らに跪き、男性に話しかけた。
「聖、お見舞いに来たよ。私のこと、分かる? 私の声、聞こえる? 分かるんだったら、聞こえるんだったら、返事して」
 男性――聖の首が九十度回転し、アリスの方を向いた。唇が動いた。
「パピプペポ、ポペパ、ピプ……」
 アリスは「嗚呼」と声を洩らし、聖から顔を背けた。その両目に涙が滲む。聖は喋り続ける。パポポピパ、ペパ、ポププポ……。
 聖はアリスの恋人だ。相模原市の狂人病院で働いていたが、突如として精神に異常を来し、入院患者を包丁で次々と刺すという事件を起こした。今からちょうど一年前の話だ。十九人の命を奪った聖は、殺人罪で逮捕されたが、刑事責任能力はないと判断され、相模原市の狂人病院に強制的に入院させられた。以来、アリスは毎日欠かさず彼の見舞いに訪れているのだが……。
 もう限界だわ。懸命に涙を堪えながらアリスは思う。パピプペポとしか喋れない狂人になった聖の姿なんて、これ以上見たくない。……殺すしかない。私の手で殺して、苦しみから解放してあげるしかない。聖もきっとそれを望んでいるはずよ。
 隠し持っているナイフを取り出そうと、アリスは懐に手を入れた。その瞬間、階下から誰かが叫ぶ声が聞こえた。アリスは息を呑んだ。叫び声は断続的に響いている。距離が離れているせいで、パピプペポと言っているようにしか聞こえないが、叫んでいるのは、先程階段で会ったタトゥー男に違いなかった。
 タトゥー男は入院患者を包丁で次々と刺しているのだ、とアリスは悟った。思わず微笑がこぼれた。あの男なら聖を楽にしてくれる。常人が狂人を殺せば罰せられるが、狂人が狂人を殺しても罪に問われない。誰も不幸にならずに済む。
「狂人はここにもいるわ! 早く来て! 早く楽にしてあげて!」
 アリスはそう絶叫したい衝動に駆られたが、その言葉はポポピプパポポピポピプパ、パパプピペ、パパプパプピピペという音声に変換されてしまう気がして、唇をきゅっと結んだ。


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