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待井小雨さん

待井久仁子というペンネームで「小説&まんが投稿屋」というサイトで、童話やホラーやよくわからない物語を投稿しています。 ご興味を持っていただけたら、よろしくお願い致します。

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束の間のノア

16/08/12 コンテスト(テーマ):第115回 時空モノガタリ文学賞 【幽霊 】 コメント:0件 待井小雨 閲覧数:721

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 しっぽだけがゆらゆらと揺れていた。それは我が家の飼い猫、ミアのしっぽだ。もう大人猫で、走り回ったり飛び跳ねたりする事はあまりない。しっぽだって、名前を呼んでも億劫そうにゆっくりぱたん、ぱたん、と振るくらいしかしない猫だ。
 それが珍しく機敏にしっぽを動かしている。いつになく活発な動き(しっぽだけだが)に、僕は首を傾げる。
「何してるんだ、ミア」
 しかしミアはちらりと目を寄越すだけで、いつも通り億劫そうなのだった。
「しっぽだけ運動中なのか?」
 そもそも猫に返答など求めてはいない。ミアの不可解な行動を何となく眺めていた。
 外は晴れだというのに雨が降ってきた。狐の嫁入りなんて子供の頃以来見たことないな――と窓の外をしばらく眺め、視線を戻した。
 ――と、そこにかすかに影のような――陽炎のような姿を見つけた。
 くるくる、ぱたっ、ぱたっ、というミアのしっぽを追いかけ、ジャンプして捕まえようとする小さな体。……向こう側が透けて見えるほどにうっすらとしていたが、それは確かに子猫の姿をしていた。
「……ノア?」
 思わず、名前が口をついて出ていた。あまりに薄くて見えづらいけれども、白い毛並に両耳だけ黒のその子猫は、親戚の家に貰われていったノアという猫に違いなかった。生まれてきた子猫たちの中でも特に甘えん坊で、母猫であるミアからなかなか離れようとしなかった子だ。
 ミアは僕の驚きの声に、なぁぁ、と返事のような鳴き声を寄越した。
 ひと月ほど前に親戚から電話があった。ノアが死んでしまったと言う連絡だった。可愛がって育てていた事を知っているから、気落ちした声に胸がひどく痛んだ。
「ノア、どうして……」
 ぶんぶん、ぱたりっ。ミアのしっぽが急に動きを止める。そこに狙いを定めてお尻を振って集中しているノアは、僕の存在に気付いていないようだった。
(ーー気のせいかもしれないんだけれどね)
 ノアを亡くしてから二週間ほど経った頃、再び親戚から僕に連絡があった。
(ノアがいる気がするのよ。カーテンの影とか、ふと振り向いた瞬間とか。日向ぼっこをしていたり、ソファに座って組んだ足にじゃれ付いてきたり。……えって思って見ると何もいないんだけど、確かにいたような気がするのよ)
 そうして気配だけのノアと過ごしたという。共に暮らす家族も同じ幻を見たそうだ。語ってくれた親戚の声には少しだけ元気が戻っているようだった。
 その時僕は、会いに来てくれたのだと思った。甘えたがりのノアは、可愛がってくれた家族に魂だけになってもかまってほしかったのだと。最後の時までそばにいたかったのだと。
「……お前、母親にも会いに来たのか」
 ぱらぱらと降る天気雨が窓を打つ。光はガラスについた雨粒を通り、淡くぼやけて部屋の中に差し込んだ。すぐに……すぐに止んでしまうのだろう。
 ぴょこん、とノアは跳ねてミアのしっぽに飛びかかる。寸前でそれもかわされて、ノアは床にころころっと転がった。
 ああ、子猫の姿になって来たんだな――ノア。
 親戚の家へいってすでに数年、ノアも猫として成人しているはずだった。けれどノアは、最後に母猫に会うために子猫の姿を選んできたのだろう。
 ノアは今、母猫に思いっきり甘えているところなのだ。
 そしてミアも、会いに来てくれた子猫を存分に甘やかしているのだ。
 ぽつぽつと窓をささやかに叩く雨音が弱くなる。曖昧にぼやけた光が揺らいで、ノアの姿が陽炎よりも薄くなったように見えた。
「ノア――」
 立ち上がろうとすると、ミアがじっとこちらを見つめてくるのに気付いた。それまでの様子とは違い、どこか真剣な瞳だった。来るな、と制された気がして動きを止める。
 先程までしっぽしか動かしていなかったミアが体の向きを変えた。転がって手足を天井に向けてぱたぱた動かしていたノアの首をくわえて、座り直させる。
 そしてノアにお腹を見せて横になる。ノアは生まれたばかりの、いつでも腹ペコだった小さい子猫の頃のように、ミアのお乳めがけて飛び込んだ。お乳の辺りをふみふみと前足で踏んで吸い付く。ミアは目を細めてそれを見ていた。
 もう出てもこないはずのお乳を与えて、ミアはノアの毛並をなめてやる。そうして抱え込むように守るように、ずっとその恰好でいた。
 いつの間にか雨音がしなくなっている事に気付くと、真っ直ぐな光が部屋に差し込んできていた。
 ……ミアの懐にいたはずのノアの姿は失せていた。
「……ミア?」
 呼びかけると、なーうぅ……と普段はしない鳴き声が返ってきた。その声に胸がつぶれるようでたまらなくなり、もう一度名前を呼ぶ。
「ミア」
 なーうぅ、という声と一緒にミアはしっぽをぱたりと動かした。
 ……そこに飛びつく子猫があらわれる事は、きっともう二度と、ないのだろう。


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