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雨宮可縫花さん

雨宮可縫花(あまみやかぬか)です。エッセイ教室に通っています。向田邦子を読む日々です。

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卵焼き戦争

16/07/18 コンテスト(テーマ):第112回 時空モノガタリ文学賞 【 弁当 】 コメント:1件 雨宮可縫花 閲覧数:1085

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 朝、健人が制服に着替えてキッチンを覗くと、母が弁当におかずを詰めていた。菜箸で卵焼きをひとつ摘まんで、健人に差し出してくる。
「今日の、どう?」
 弁当には、いつも卵焼きが入っている。いりこでとった出汁が自慢らしい。
「うん。今日もおいしいよ」
 健人がそう言っても、母はイマイチ納得できない様子だった。
「いつもより、出汁が薄いんじゃないかと思って」
 注意深く咀嚼をしたが、健人にはいつもの卵焼きとの違いがわからない。
「んー……気にはならないけど。あ、でも、たまには甘いのも作ってよ。俺、甘い卵焼きが好きだから」
 友達の家で初めて食べた甘い卵焼きに、健人は衝撃を受けた。それまで卵焼きというのはしょっぱいものだと思っていた。ほんのりとした甘みのある卵焼きが、もの凄く美味しかった。
「甘いのが好きって……じゃあ、お母さんがいつも作ってた卵焼き、ずっと無理して食べてたってこと?」
 怒りを含んだ声だった。母が、非難めいた顔でこちらを見据えている。
 健人は、自分が爆弾を投げ落としたことに気づいた。でも、とてもじゃないが、謝れる雰囲気ではなかった。

 あの日からずっと、家の中の空気は張りつめている。一か月経っても、健人と母は冷戦状態だった。
 我が家には、高校二年生の健人を筆頭に五人の男兄弟がいる。みな育ち盛りで、健人以外は運動部だ。毎日、大量に洗濯物が出る。食べる量もハンパない。
 家事に明け暮れる母を手伝うようになったのは高校に入ってからだった。ちょうどその頃、父親の単身赴任が決まった。家のことを手伝える余裕があるのは、美術部の、それも幽霊部員である健人だけだった。
 一緒に買い物に行って荷物を持ったり、風呂やトイレの掃除をしたり。決して嫌というわけではないのだが、自分だけが割を食っているような気がして面白くなかった。
 別に、しょっぱい卵焼きが嫌いとか、不味いとか、そんなことを思いながら食べていたわけではない。たまには違うのもいいよな、という程度のことだったのだ。
 無神経な言葉を口にしたという自覚はあるものの、日々の小さな鬱憤が溜まっていたせいで健人は素直になれず、母は母でプライドがあるのだろう。結果、静かな争いは長期戦の様相を呈している。  

 少し長い休みが取れたらしく、久しぶりに父が自宅に帰ってきた。
 夕食が終わり、ほろ酔いで気分良くしゃべる父のおかげで、家の中はゆるやかな空気になっている。さりげなく話を切り出して、母に謝ってみようか。健人はちらりと母を見た。酌をしながら、にこやかな顔で父の長話に相槌をうっている。
 でも、どんな風に謝れば良いのか、きっかけを上手く見つけられない。結局、その日も健人は母と会話できなかった。
 
 翌日の月曜日、弁当の卵焼きは甘かった。
 どういうことなのだろう。降伏の合図なのだろうか。帰宅して、今度こそ健人は謝ろうと決意した。しかし、変に意地を張った自分が恥ずかしくて素直になれない。
 火曜日は、しょっぱい卵焼きが入っていた。意固地な健人の態度に腹を立てたのかと焦ったが、水曜日は甘い卵焼きだった。甘い、しょっぱい、甘い、しょぱい。その繰り返しが続いた。
「最近さー、弁当の卵焼きが甘いときあんの、なんで?」
 ひとつ下の弟がそう言ったのは、卵焼きの味が交互に変わるようになってから二週間が経った日だった。健人は、ドキリとした。まだ、母には謝れていない。
「毎日、同じ味だと飽きるでしょ」
 母は何事もなかったかのように、さらりと言った。 
 これは、もしかしたら、平和条約の申し出なのかもしれない。
「ど、どっちも、美味しいよな」
 今しかないと思い、健人は偶然流れてきた弟の助け舟に慌てて乗っかった。
「そう?ありがと」
 トゲのない声だった。
 静かに、だけど確かに、冷戦は終わった。

 父の休暇も今日で終わる。昼前には家を出るらしく、朝早くから起きて弟たちに絡んでいた。朝練に行くため、時間がないと邪険にされていたが。
 そんな扱いを受けても、特に気にした風もなく、父は健人の目の前で朝食を頬張っている。
「そういえば、ウチはいつも硬い目玉焼きだよな。お父さんは半熟のほうが好きなんだけどな、昔っから。とろっとした黄身が美味いんだよなぁ」
 父の言葉に、健人は凍りついた。
 自分が宣戦布告をした事実には、全く気付いていないのだろう。父は、のんきにパサついた黄身を口に放り込んでいる。
 母が、非難交じりの表情で父を見ていた。
 頭の中で「退避せよ」という指示が聞こえる。健人は朝食を素早く胃に流し込み、弁当をカバンに突っ込んだ。そして、急いで学校へと避難した。


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このストーリーに関するコメント

16/07/23 あずみの白馬

拝読させていただきました。
「人は過ちを繰り返す」まさにその通りですね。
些細なことから争いごとに発展してしまう、そんな日常の風景が垣間見える良作だと思います。

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