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KOUICHI YOSHIOKAさん

性別 男性
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【山を下りる】

16/07/08 コンテスト(テーマ):第112回 時空モノガタリ文学賞 【 弁当 】 コメント:0件 KOUICHI YOSHIOKA 閲覧数:1053

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 弁当を二個背負って山を登っていました。
 弁当が二個なのはなにも私が食いしん坊だからではありません。この日、付き合い始めて半年になる彼と山登りをするために、朝の五時に起きて二人分の弁当を作ったからなのです。
 彼は当日の朝になって腹痛のため山に登れない、と連絡を寄越してきました。まさか腹痛の彼をおいて一人で山を登るなんて思わなかったみたいですが、私はどうしてもあの山に登ってみたかったのです。薄情でしょうか。薄情かもしれません。彼の腹痛が嘘なのはなんとなくわかりました。女の感といったら滑稽でしょうか。これまで何度もデートの当日になってキャンセルされた経験から、というと少しは理解してもらえるかもしれませんが、たとえ彼の腹痛が本当であろうと私はあの山にひとりでも登るつもりでいました。
 山といっても、けして登山と云えるほどの高い山ではありません。標高六百三十メートルほどですからハイキングと言った方が適切かもしれません。
 登山であろうとハイキングであろうと山に登ることには違いはありません。登山道は整備され特別な装備をしなくても登れます。運動靴をはいてリュックサック背負えばよいだけです。実はケーブルカーもあって汗をかいて登らなくても簡単に山の頂上にはいけるようになっています。
 頂上からの景色を楽しむことが目的ならばケーブルカーはお勧めです。しかし私はみずからの足で登りたかったのです。もちろん頂上からの景色も目的のひとつではありますが、自らの足で登ることが私の目的であり喜びであったのです。彼と一緒に登れたらと思うと残念、いいえ悲しくなりますが仕方ありません。
 良く晴れた朝の山は樹々の隙間から差し込む光がカーテンのように揺れて美しかったです。不格好な岩や窮屈そうに伸びる草木や踏み固められた黒い土、山の生命力というようなものが力強く語りかけてくるようでした。耳を澄ませば風の声と小鳥の歌、影と光の間で泳ぐ蝶の群れの羽音が私を満たしていきました。
 私は一歩一歩ゆっくりと登っていきました。春の朝とはいえ、やはり汗はかきますし疲れてもきます。心地よさも登って行くほどに苦しさに代わっていきます。日頃の運動不足を思い知らされますが、目標に近づいていく喜びは肉体のきつさを和らげてくれます。
 ケーブルカーに乗らず、歩いて山を登る人はほとんどいませんでした。私は誰にも会うことなく山を登っていましたが、中腹にさしかかったとき、ひどく腰の曲がった老人が山を降りてくるのに出会いました。
 すれ違う手前で「おはようございます」と、私が挨拶をすると、その老人は立ち止まってしばらく私を見上げていました。
「山は登ったら下らなくてはならない。しっかりと下りきること、それが登るということじゃよ。人生もまた同じだな」
 老人は歯の抜けた口を開いて笑うと、私の尻をそっと撫でていきました。
 不思議と不快な気持ちは湧いてきませんでした。それよりもしっかりと山を下りることは何故人生と同じなんだろう、と考えてしまいました。
 老人以外の人に会うこともなく頂上に着きました。昼前に着いたのですが、すでに頂上には多くの人がいました。皆ケーブルカーに乗ってきたのでしょう。頂上は皿のように広く平らになっているので、お弁当をひろげて食べるには最適です。街をつきぬけて海まで眺められる景色は開放感があります。この山が人気なのも景色をみれば頷けます。
 お腹が予想以上に空いていた私は、これならば二人分の弁当を食べられると思って、適当な場所を探しました。するとケーブルカー降り場の近くから彼が両手を振っているではありませんか。
「お腹の調子が良くなったから、急いで追いかけてきたよ」
 走り寄るなりそう言う彼の笑顔はくったくがありませんでした。
 腹痛が嘘のように彼は弁当を美味しそうに食べました。私とまったく同じ弁当でしたが、彼と私は異なる弁当を食べているようでした。
 お握りの数も卵焼きの数もから揚げの数も同じです。もちろん味も量も器も同じです。でも私には違って見えたのです。彼は空腹を満たしただけですが、私は何かもっと別のものに満たされていました。
 一緒にケーブルカーで山を下りよう、という彼に私は首を振りました。なら俺も歩いて山を下りるよ、という申し出にも首を振りました。またお腹が痛くなるといけないから、と彼には言いましたが、先ほどの老人の姿が頭に浮かんで消えなかったからでした。
 不思議そうにケーブルカーで山を降りていく彼に手を振って、私は歩いて山を下りていきました。
 彼の嘘もずるさも利己的な愛情もすべてを空になった弁当箱に詰め込んで、一歩一歩踏みしめながら下りていきました。



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