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雨宮可縫花さん

雨宮可縫花(あまみやかぬか)です。エッセイ教室に通っています。向田邦子を読む日々です。

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やさしいお粥

16/07/07 コンテスト(テーマ):第112回 時空モノガタリ文学賞 【 弁当 】 コメント:0件 雨宮可縫花 閲覧数:1169

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 仕事を終え駅の改札を出たのは、夜の七時だった。栞はスーパーに寄り、半額シールが貼られた弁当をカゴに入れた。
 時間が経った弁当のおかずは、いつも冷たく干からびている。油がまわってベタベタする。ご飯は水っぽくなり、ふやけている。
 食べることができたら、何でもいいと思っている。だから、毎日安くなった弁当を買う。
 寂れた商店街を抜けると、築四十年の木造二階建てのアパートが見えてくる。二階の一番奥の部屋。
 工場勤務で汚れた手を丁寧に洗った。洗面台の鏡に映る自分は、二十三歳にしては覇気がないと思う。でも、それも当然かもしれない。
 自分には夢がない。これといった目標もない。人付き合いが苦手で、親しい友人もいない。恋人がいたこともない。ただ静かに日常が過ぎてゆくだけだ。
 陰鬱な気分を払いたくて、冷たい水で何度も顔を洗った。小さなキッチンを通り、六畳の和室に腰を下ろす。小さな折りたたみテーブルの上で弁当を開けた。
 その時、隣の部屋で大きな物音がした。何かが落ちたような、物が倒れたような音だった。何かあったのだろうか。隣は母娘ふたりが生活をしている。母親は夜の仕事なのか、この時間にはいないはずだ。
 弁当に蓋をして、栞は自分の部屋のドアを開けた。隣の様子をそっと伺うと、玄関先で女の子がうずくまっていた。
「だ、大丈夫っ?」
 思わず声が出た。女の子が、ゆっくりと顔をあげる。隣に住む高校生だ。顔色が悪く、起き上がれるようには見えない。
「救急車、呼ぼうか……」
 問いかけに、女の子は首を振る。
「お母さんに、心配かけたくない」
 小さなつぶやきに、ドキリとした。自分にも覚えがある。栞も長い間、母親と二人で生活をしていた。
 気づいたら、彼女の身体を抱き起こしていた。そのまま、かかえるようにして自分の部屋へ連れて行く。六畳間に布団を敷いて、大丈夫だと言う彼女を無理やり寝かせた。
 風邪気味で食欲がなく、三日ほど食べないでいたら目がまわったのだという。
 栞は机の上に置いたままの弁当を手に取った。ミルクパンに水と、弁当のおかずを除けてご飯を入れ、火にかける。この部屋で鍋といえるのは、手のひらに収まるくらい小さな、このミルクパンだけだ。
 牛乳を温める以外で使うのは初めてだった。この部屋に自分以外の人間がいるのも、そういえば初めてだ。
「お粥、食べれる?」
 火の加減を見ながら、後ろの六畳間に向かって問いかけた。
「え……あ、はい」
 遠慮がちな声がした。さらに小さく、ありがとうございます、と言うのが聞こえた。
 弱火でとろとろ炊く。入り粥だから、時間はかからない。しばらくすると、表面がふつふつとしてきた。
「あの、お粥。とても、好きなんです。ありがとうございます」
 後ろめたいような表情で、ときどき視線を外す。こちらの顔色を窺うような瞳だ。
 たぶん、本当はそんなに好きではないのだろう。もしくはまだ、食欲がないか。栞に気を使っているのだ。自分の本当の気持ちより、相手の望むことを口にする。これも、覚えがある。
 火を止め、大きめのマグカップにお粥をいれた。
 彼女は、ふうふうと冷ましながらゆっくりと口に運んだ。食べながら、栞の分はあるのか、自分が食べてしまっていいのか、煩わせてしまってすみません、そんなことばかりを繰り返した。
 弁当は一人分しかない。買い置きもない。正直、仕事から帰ってきてお腹が減っていないはずがない。
「夜はあまり食べないようにしてるから平気。おかずだけでちょうど良い」
 なのに、栞の口から出たのはそんな言葉だった。 
 やっぱり、同じだ。本当の気持ちを言えない。相手が望む言葉。その場をやり過ごすための言葉。そういう言葉を選んでしまう。

 小学校低学年の頃、父親は女を作り家を出ていった。朝から晩まで働く母に代わり、家事をするのは栞の役目になった。買物、掃除、洗濯。一番好きだったのは、料理だった。
 だけど、母親から「再婚する」と聞いたとき、自分のやってきた事がすべて無意味だったような気がした。中学三年生のときだった。
 すぐに弟ができて、四人で暮しになった。家の中が賑やかになっていくにつれて、栞の居心地は悪くなっていった。
「高校を卒業したら、就職して家を出る」
 そう言ったとき、顔を上げることができなかった。もし、母が安堵の表情を浮べていたら……。
 ひとりで暮らし始めてからは、一度も食事を作っていない。母といた頃のことを思い出すのが嫌だった。今はひとりだと、思い知るのが怖かった。

「ごちそうさまでした」
 ぺろりと平らげて、彼女は手を合わせた。 
 少し、血色が良くなった気がする。
「すごく、おいしかったです」
 今度は、視線を外さなかった。
 栞は軽く返事をして、干からびたおかずを口に運んだ。


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