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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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愛妻弁当

16/06/27 コンテスト(テーマ):第112回 時空モノガタリ文学賞 【 弁当 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1143

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ノックの音が二度続き、それから一呼吸おいてもう一度、鳴った。
彩奈は座布団からたちあがるなり、玄関にはしった。
彼と二人で決めた、合図のノックに、来訪者を確かめることもなくドアをあけた。
「やあ」
薮中敏郎は笑顔でこちらを見返した。
「まってたわ」
その言葉に嘘はなかった。このまえ会ったときから二週間というもの、彩奈は彼をずっと待ちわびていた。
ビジネススーツを着込んだ彼を、彼女は申し訳なさそうにながめた。
いつもは休日や夜を利用して会っていたのが、前回急に彼のほうからキャンセルの連絡が入り、それで今度は無理にも平日に会ってくれるよう懇願した次第だった。おかげできょうの彼は、出勤途中の姿のままでこのマンションに立ち寄ったというわけだ。
「年次休暇をとったよ」
会社に迷惑をかけるのではと気をもんでいた彼女を安心させるように彼はいった。
「じゃ、今日は一日―――」
「夕方までいっしょにいれる」
彼女は敏郎の手を強くひっぱって、奥の部屋に入っていった。
彼の着替えを手伝うそのいそいそとした様子は、誰がみても敏郎の妻と映ったにちがいない。。
二人は、お膳をはさんで、向かい合った。
彼女がそそぎいれる急須のお茶の単純な響きに、目にみえて彼はゆったりと座卓にもたれかかった。
「鞄はこちらにおいとくわね」
いいながら彩奈が、敷居におかれた鞄を手にしたとき、その意外な重さに気づいた。
「なにが入っているの」
「え、ああ、なんでもないよ」
敏郎のその微妙な顔色の変化を彼女は見逃さなかった。
「私にはみせられないものかしら」
「みたってしょうがないと思うけどな」
「みたい」
「お好きなように」
彼女はサムソナイトのファスナーを力まかせに引っ張った。
中から、淡い桜色の布巾に包まれたものがのぞいた。
――お弁当。
ふいに胸騒ぎがはしった。二人でいるときは、どちらからもけっして言い出すことのなかった言葉が、にわかに彼女の喉の奥でうごめいた。
「奥さんが作ったの」
「いらないって、いつもいうんだけどね」
彩奈は、彼がこの弁当をもってやってきたことに、憤りにちかいものをおぼえた。捨てろとまではいわないが、どこかのコインロッカーに放り込むぐらいの配慮はわかなかったのだろうか。
「ちゃんとお昼、用意してるのに」
つい愚痴がこぼれた。
「こんなもの、食べないさ」
「じゃ、捨ててもいいかしら」
「お好きなように」
同じ言葉をくりかえした彼に、またむしょうに彼女は腹をたてた。キッチンででも処分しようとおもっていたのが、わざと彼の眼の前で捨ててやることにした。
彩奈はお膳の下にゴミ箱を用意して、布巾をほどきにかかった。
弁当箱はシンプルな角型で、その飾り気のなさは敏郎の性格をよく反映している。
ふたをとるさい、彼女はふいに、みてはいけないものをみるような不安に手がふるえた。そこにはこれまでじぶんのしらなかった彼の秘密が隠されているような気がした。
だが彼女は、ふたをあけた。
ご飯はきっちり半分埋まっていた。すこし茶色がかってみえるのは、麦飯が混入しているからだろう。残り半分には、卵焼きや塩鮭、煮豆、カボチャの煮た物、生野菜、その他にも数種の惣菜がいろどりよくちりばめられている。
よくみると、これらの料理は全部手作りだった。彩奈は、自分の準備したおかずの大半が、スーパーで買ってきたものをただ袋から移し替えたにすぎないことをおもいだした。
「やっぱりこれ、食べてあげて」
「どうして、また」
「いいから、食べてあげて」
彩奈の胸のうちをはかりかねてか敏郎は、しばらくのあいだ弁当と彼女をだまってみくらべていた。
結局、わけがわからないまま、昼時になると、うながされたとおりに、持参した弁当に口をつけはじめた。
ほんとか嘘か、みるからにまずそうに食べているのは、遅ればせに芽生えた気兼ねからなのか。
彩奈はしかし、それをみてももう、笑みひとつ浮かべることはなかった。
彼がふたたび上着を着こんで帰り支度をはじめたのは、五時前のことだった。
「じゃ、また」
いつものように玄関にたって、彼女の返事を敏郎はまった。
しかしいつまでも彼女がその期待にこたえようとしないのをみた彼は、このときようやくなにかを気取ったふうに、真剣な面持になった。
ふたたび彼がなにかをいおうとすると、彼女は遮るように視線を、彼のさげたサムソナイトの鞄に転じた。
そのなかには、彼の体を心から気遣う妻の、まごころこめて作った弁当箱が空でおさまっている。まずそうにしながらも、結局きれいにたいらげた彼をみたとき、彩奈は、とてもかなわないとおもった。
「さよなら」
それは彩奈が二人のあいだではじめて口にした、別れの挨拶だった。


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