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各務由成さん

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花と蜜蜂

16/06/20 コンテスト(テーマ):第111回 時空モノガタリ文学賞 【 蕎麦 】 コメント:0件 各務由成 閲覧数:647

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 鶏小屋の中、右手には、だらりと体が伸びた鶏の首。
 立ち尽くす横顔は冷ややかで、淀んだ嫌悪が滲んでいる。
 栂野がはっと、こちらを見た。見ながら、ぶら下げていた鶏を両手でそっと抱いた。泣き出しそうな、沈痛な面持ちで。さっきの横顔とは別人だった。動揺をぐっと抑え、金網越しの栂野に声をかけた。
「どうしたんだよ」
 あの、仄暗い表情は何だった? 俺に気づいて巧く隠した、そんな気がした。
「鶏、死んじゃってた…」
 唇を震わせて、力なく視線を落とす。
 無造作に首を掴んだ、冷たい立ち姿がよぎる。本当に「死んじゃってた」? 不信を嘲笑うように、栂野の目から涙が零れる。
「先生、呼んでくる」と栂野に背を向けた。生死の臭いが充満するこの場に、ふたりきりでいたくない。誰かに介入してほしかった。
「うん」と、空虚な栂野の声。
 中2の夏の記憶。

 栂野ユメは、ひとつ形容するなら、清楚。
 飛び抜けない容姿と成績、適度に友好的で出しゃばらない。
 唯一の接点は生物委員の仕事だった。俺は栂野の悪意のなさが苦手で、一緒にいても進んで話題をふったり、ふざける気にはなれなかった。そんな空気を読んだように、栂野も無理に交流を図らず、適切な距離感を保っていた。
 同じ委員だったのは前期だけ。3年時はクラスも分かれた。進学先も知らない。
 一度完全に絶たれたはずの希薄な関係は、思わぬ再会で繋がる。

 道を風が上ってきて、蕎麦の花が咲いたな、と思った。
 その強烈な香りは、時々風に乗って辺りを悩ます。真っ白で可憐な姿を裏切る、醜悪な臭い。花が咲く数週間は油断できない。
 山の緩い下りカーブを過ぎて視界が開けると、一面の蕎麦畑。
 その路傍に、栂野ユメがいた。
 気づかず通り過ぎた俺は「三谷」と呼び止められ、自転車に急ブレーキをかけた。白に黒のラインが映えるセーラー服。隣の市の進学校だ。
「よ、久しぶり」社交的な声が勝手に出た。短く近況を交わし合うと、栂野が改まる。
「突然ごめん。お願いがあって」
「何?」
「三谷先生に、これ渡してほしいの」
 一通の白い封筒だった。
 父は、俺達の中学の国語教師だった。卒業と同時に異動になって、今は別の学校にいる。
 わざわざ今更、伝えたいことって何だ。訝しむ俺に、栂野が言った。
「代わりに、三谷が知りたいこと教えるよ」
 ドキッとした。さわさわと乾いた音を鳴らして、揺れる蕎麦の花。今日は風がやまない。
 気づいてる。俺が疑っていたこと。あの一瞬の表情の真偽。
 …本当は、栂野が殺したんじゃないのか。

「鶏は、本当に死んでたんだ。小屋に行った時にはもう、動かなくなってた」
 でもね、私、と繋ぐ。
「見てたら、急に疎ましくなったの。ただでさえ臭くて汚い、憂鬱な場所だったから」
 強い風が蕎麦畑をざわりと撫でた。あの鶏小屋の臭いが舞い上がる。違う、これはこの花の臭いだ。
「でも可哀想とも思った。これも本当。三谷の勘みたいなの、ちょっと怖かった。
 ねぇ、今日すごい匂い。蕎麦って、自分で受粉できないから、必死に蜜蜂呼ぶんだって…
 あの鶏小屋の臭いと何か似てる」
 散文的な独白。でも、決着した気がした。少し緩んだ心の隙を感じた時だった。
「先生のこと、好きなの」

 不意の一撃が、すぐには頭に入らない。指の先で、受け取った封筒が不安な熱を通していく。待て、何の話だった、そうだ、手紙。
「すき…… って、」
「エッチしたいって意味」
 頭に一気に血が巡った。俺は何ごとかを口走って、栂野の胸ぐらを掴んだ。
 短く驚きの声を上げ、掴まれた勢いで後ろによろめいた栂野は、あっという間に蕎麦畑に落ちた。
 胸の辺まである茎を何本もなぎ倒し、黒い髪とスカートの裾を散らせたまま、俺を見上げた。ローファーが片方、脱げて転がっている。
「ひどいよー。衣替えしたばっかなのに…」と訴えたが、ふいにぽかんとして、爆笑した。
 初めて見る、のびやかな栂野だった。
 白い花のベッドで体を折り、笑いが止まらない様子の栂野を置いて、俺は自転車に跨った。お互いもう、話すことはない。

 部屋で、すぐに手紙を取り出した。封はされていない。試されている、と思った。躊躇わず中の手紙を開く。
 綺麗な字が、二枚に渡って綴ってあった。
 在校中のお礼。薦められた本がとても参考になり面白かったこと。教員を目指し日々頑張っているという報告と、今度相談に乗って下さい、という内容だった。最後に携帯番号とアドレス。
 紙を握り潰しそうになるのを堪える。栂野の屈託のない笑い声。あぁ、俺はまた惑わされる。
 ようやく手紙をたたんで、封筒に押し込んだ。
 土で汚れた制服を溜息まじりにぽんぽんと掃い、髪を梳いて、ローファーを履き直し、何でもない表情で蕎麦畑を後にする、栂野の姿を思った。


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