1. トップページ
  2. 酸としての雨

タックさん

Twitterはじめました。アカウント:@takku2113

性別 男性
将来の夢
座右の銘 明日の自分に期待は持たない。

投稿済みの作品

1

酸としての雨

16/06/20 コンテスト(テーマ):第110回 時空モノガタリ文学賞 【 雨 】 コメント:2件 タック 閲覧数:1126

この作品を評価する

粒としての雨が海を打ち、砂浜を打って、先輩を打ちつけていた。
先輩は傘を差すこともなくしとどに濡れそぼって立ちすくみ、長く美しい髪を背中や肩に張りつけて、直線に海を見続けていた。
紺の制服と黒髪は調和し、制服と一体化した肢体は、一つのそそり立つ思考のようにも窺えた。雨に濡れたまま砂浜に佇む女子生徒という構図は感情を惹起させるには十分な様相を持ち、傘の下、微動だにしない先輩に、背後から声を掛けた。
「あの、風邪、引くと思いますよ。傘を差すか、どこかに、避難するかしないと」
「……うん、ありがとう。でも、だいじょうぶ。どうせ、…………から」
そう、振り向くこともなく先輩は言葉を返し、微小な声は、雨が線となり落ちる空気中に際立って届いた。微かな自嘲めいた皮肉な声音に波の音が入り混じり、じっとりと重量を持った砂の感触、隙間なく頭上を覆う暗澹とした雲が、印象には残る刹那だった。

唐突に、先輩は歩みを進めると海へと向かい、砂を蹴って足先を濡らしていった。色を濃くした制服と長い黒髪が少しずつ徐々に遠のいていき、砂浜から海へと、細身の体は位置を移していった。

そうして――先輩は目の前で静かに入水し、密かに、帰らぬ人になっていった。自殺だった。
何事もない、ありふれた一日の、それは自身を殺すありふれた行為だった。
前触れなくクラス全体から無視という名のいじめを受け、魂を損なうほどの苦痛を覚え自死へと至った、その様子を見ていた、薄暗い雨の夕方だった。



突然に、周囲が悪意で固められた感覚は経験がないために想像で補う他なく、同時に先輩が味わっていた屈辱と汚辱は、他人であるが故に想像する他になかった。
万事平穏に過ごしていたはずの先輩が身を引き裂かれるような疎外感に苦しんでいたのを他人が知ったのは、先輩が律儀に残した、遺書のためだった。一枚の紙片が、実情を知らずにいたクラス担任、実の両親に大きな衝撃を与え、学校と世間を少なからず、騒乱に巻きこんだ。たった、一枚の紙片がだった。
実情を知っていたのは、当然に実行者たる先輩のクラスメイトだけで、彼ら彼女らはすべてを知り、行い、すべてを放置した。
その既知の放置が、先輩にある種の決意を抱かせ、海へと、自身を投じさせたのだった。遡行性のない、救いようのない放置だった。

突発的で、避けようのない、竜巻のような隔絶――。

先輩が、集団無視の対象となった理由は想像こそ可能だが歴然とはしていなく、遺書にも詳細な記述がないため、それは突発的な迫害と見えた。
クラスの生徒全員に行われたらしい調査でも特定の個人の名が出ることはなく、総じて、集団無視の発案者すらも、不明のままだった。
集団無視によるいじめは、ただそのままに集団の悪意として理解され、先輩がなぜ存在を無くされたのか、死を喚起した悪意はどこから湧いたのか、詳らかにはならず、厳密にはいじめとは規定されない無関心であり続けるという罰のない疎外は、先輩をこの世からも疎外させ、世間に集団心理の恐怖を植えつけた。普遍的に、植えつけた。

遺書を残し、憶測と悲愴を残して、自重と浮力を得た先輩。
それは苦悩の末の死でもあり、また自らの命を犠牲にした、弾劾のようにも、見受けられるものだった。



「……うん、ありがとう。でも、だいじょうぶ。――どうせ、濡れてしまうから」

あの日。
入水し、体を海へと沈めていく、間際。
振り向いた先輩は黒髪で目を隠したままに顔を上げ、最後の仕事のように、口を開いた。かんばせには能面さが張りつき、雨に紛れた言葉は雨の重みで落下し、砂浜へと同化していった。

「……気づいたんだ。直接の悪口より、直接の暴力よりもずっと、ただ遠巻きにしてる、ただ見てる、それだけの視線のほうがずっと、痛いってこと。ずっとずっと、生きてちゃいけない気分に、させられるってことを」

重く濡れた先輩の体は一層と細く見え、ひどく、大儀そうだった。
その重みが雨によるものか、目に見えない何かによるものか、判然とはしないまま、姿勢を戻した先輩は、全身を海へと潜らせていったのだった。



「――ねえ、先輩」

雲は灰色に空を包み、雨は一定に、砂浜を叩いていた。
あの日と同じ、ただ一つのみ光景の異なる海を目前に、ひとり呟いた。靴には、湿った砂が付着していた。

「ねえ、先輩。先輩をいじめてた人たちですけど、みなさん、元気に過ごしていらっしゃるみたいです。先輩、悪意は範囲が広がるほど個人の責任は薄くなり、相反して、個人の愉快さは増していきます。だからこそ、集団のいじめはなくならないんでしょうね。きっと、今後も」

あの日、世界を濡らした雨は今日も同等に世界を濡らし、世界を薄暗く染めていた。
あの日、先輩を濡らした雨は、今日も確かに誰かを濡らしているようだった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

16/06/25 クナリ

無慈悲で圧倒的な悲しみが綴られる、重ねて語られる入水シーンが印象的でした。

16/07/04 タック

クナリさん、コメントありがとうございます。

合理性もなにもなく、解決もなにもしていないモノでしたので、コメント頂けたことにとても感謝しています。頂いたコメントを励みに、もう少し良いモノを書けるように精進いたします。
コメント、ありがとうございました。嬉しく思います。

ログイン