j d sh n g yさん

学生時代に中国へ行き、漫画創作から小説創作の面白さに本格的に気づく。 なぜか中国語の方がすらすらと小説が書け、日本語での小説はその後から徐々に挑戦。 日常をテーマに書いていきます。

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傍屋

16/06/14 コンテスト(テーマ):第111回 時空モノガタリ文学賞 【 蕎麦 】 コメント:0件 j d sh n g y 閲覧数:11751

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 須野 香(すの かおり)は同僚の渡辺千嘉(わたなべ ちか)と帰宅中、立ち喰い処傍屋に立ち寄った。

 傍屋は彼女たちの降りる駅のすぐ前にあり、値段も格安なのでたまに暖かな提灯の誘惑に負けてしまう。

 この店は一応居酒屋ではあるのだが、看板メニューはやはり蕎麦だ。

 出汁のきいたつゆに浮かぶほそくしなやかな麺。丼からうっすらとのぼる湯気。

 シンプルながら、飽きのこない味にリピーター続出。

 だが、店はそこそこ混む程度で、二人は傍屋の蕎麦を食べるのにそれほど苦労したことはなかった。

「香、何か飲む?」千嘉は飲む気満々らしい。断る気にもなれず、香は

「生ふたつ、あと枝豆も」と店主に注文した。

ただ、立ち飲み屋なのであまり本格的には飲めない。軽い気晴らし程度だ。

 というか蕎麦を先に注文してからビールと枝豆って順序が逆じゃないか?と思いながらも、香は温かな蕎麦を大事そうに口へと運んだ。 

須野香と渡辺千嘉の元によく冷えた生ビールと鮮やかな緑色の枝豆が運ばれてきた。

二人は乾杯し、ビールを静かに飲んだ。

「香ってさあ…今の仕事、楽しい?」

千嘉はグラスの水滴を指でなぞる。

「全部が楽しい…わけじゃないけど」

二人の食べ終えた枝豆の殻が小皿に積み上げられていく。

先に蕎麦食べちゃおうか、と香が千嘉に促す。

彼女は、そうだね…伸びちゃうもんね、と残りの蕎麦を箸で口へと運んだ。

店主は黙って次の客の蕎麦を茹でている。

香は殻になった枝豆たちを見つめていた。

「枝豆追加お願いします」

香は店主に注文した。まだ千嘉の話が終わりそうになかったからだ。

「あーあ、誰かいい人いないかなあ…」

千嘉がつぶやき、ビールをぐいと飲む。

追加した枝豆が運ばれてくると、再び沈黙が二人を包む。

香は以前付き合った彼氏のことを思い返す。

彼はつまみ食いが好きで、極端な飽き性だった。

香もまた、他の彼女たちと同様に枝豆の殻のように捨てられた。

「枝豆野郎に引っかかるよりは、全然いいよ…まあお互い焦るけどさ」

香も残りのビールを飲み干し、割り勘で勘定を済ませる。

千嘉は流れ星が見えたと思ったのか、

「傍屋の蕎麦みたいな男が見つかりますよーに!」

と夜の星に向かって叫んだ。

「ちょっと千嘉!声大きいって」マンションへの帰り道で陽気に叫ぶ千嘉の口を慌てて香は押さえた。恥ずかしいことこの上ない。まったく。

二人はときどきふらつきながら、マンションへとたどり着き、お互いの部屋へと姿を消した。

傍屋にはそれから数日後、またお邪魔することになった。

須野香も、渡辺千嘉も、小さな幸せが欲しいのだ。

店主は今日も無心に蕎麦を茹でる。

時にこころがひねくれそうになった時、孤独の寒さを感じた時、ふらっと立ち寄ることのできる場所。
シンプルでありながらポイントを押さえてあるその味をこころの傍に置き、二人はそれぞれまた明日会社へと向かっていく。

二人は静かに蕎麦をすすり、満たされる。

「あとは男さえいればね」

香と千嘉は互いに顔を傍に寄せ、ひっそりと笑顔でつぶやいた。

傍屋はこうして、賑わっていく。


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