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Minakamiさん

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瓶ビール

12/03/28 コンテスト(テーマ):第二回 時空モノガタリ文学賞【 居酒屋 】 コメント:1件 Minakami 閲覧数:2570

時空モノガタリからの選評

最終選考

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 あれは誰だったろうか。名前なんかもとから知らなかっただろう。小太りの中年だった。青い作業服を着ていたから、きっと派遣の労働で知り合った男で、作業が終わった後一杯誘われたのだろう。派遣労働の現場でタイムテーブルは存在こそすれ、ないようなものだった。大体の場合において大袈裟に早く終わるかまたは深夜まで残業をこなして終電を逃すかであり、規定の時間ちょうどに終わる現場なんて滅多になかった。

 「ここでいいやな」
中年は一人先に暖簾をくぐった。外壁には基本的な酒類やつまみの値段を知らせる黄ばんだ張り紙がしてあるだけの平凡で汚い居酒屋であった。店内には申し訳程度のカウンター席とテーブル席が八つ程置かれている質素な造りで、カウンターの奥のテレビからは競馬番組が流れ、それは天皇杯だか菊花賞だか、その年一番大きなレースの事前番組であった。
 店員はいなかった。僕と中年は窓際の席に腰を下ろししばらくやり場のない視線をテレビに向け、何を話すでもなくただぼんやりとたたずんでいたが、しびれを切らした中年が「おい」と一言声を挙げると店の奥から痩せ細った浅黒い女がひゅるひょろと歩いて来た。日本人じゃなかった。中年は瓶ビールを二本と、揚げ出し豆腐と、串焼きを数本頼んだ。女は頼り無さげにこくりこくりと頷いてカウンター越しの厨房に入っていった。

「フィリピンだなあれは」
「どうしてわかるのですか」
「昔フィリピンの女と付き合ったことがあるんだよ。まだ金があった頃に、立川のフィリピンパブに出入りしてて、『社長さん、好きよ』なんて言うもんだから、一発やったらガキが出来たなんて言いやがってあの女、下ろす金が要るって言うから30くらい渡したら、次の日にはとんと姿くらましちまった」
 そう言ってから中年は恥ずかしそうに「学生さんにする話しじゃねぇわな」と言って笑った。
 僕と中年はビールを互いに酌し合い、チビチビと啜るようにして飲んだ。平日の昼間から酒を飲みにくる人間など余程の屑なのか、それともこの店のせいか。他の客が暖簾をくぐってくる気配すらなかった。

「学生さんは田舎どこなの」
「東京です」
「あら、シテイボウイね」
 中年は赤ら顔をてからせて笑った。
「俺はよ、長野の松本ってところで、松本城があるきり何もねぇとこだよ。地元の工業出て、それなりに頑張って、一時は結構な金入ってな。今じゃこんなんだけどよ」

 中年は瓶を逆さまにして底を叩いて最後の一滴まで乾かすと、「ビール二本追加」と叫んだ。
 するとすぐにからからと木のサンダルがコンクリートの床を打つ乾いた音がした。フィリピンは二本の瓶の蓋を開けてテーブルに置くとそそくさと奥に戻っていった。

「あの、さっきの話、掘り返してもいいですか」
「なんだ」
「その後、フィリピンの方とはどうなったんですか。会ったりなんかしたんですか」
 中年は僕のコップを充たしてから言った。
「会う。どうやって」
「いや、探したりなんかしなかったんですか」
「探す。どうやって」
「知りませんよ」
 僕は一つコップを一気に飲み干した。中年はハイライトに火をつけてから言った。
「悪かったな。その後のことは何も知らないんだ。その後、急に仕事がうまくいかなくなってそんな余裕なんかなかった」

 テレビからは冷静でありながら、興奮を隠すことの出来ない実況のアナウンスとマーチングバンドそして観客達の手拍子が聞こえて来た。もう出走の直前であった。からからと扉が開く音がした。振り返ると、ランドセルを背負った女の子が立っていた。女の子はぽってりと丸みを帯びた体格であり、浅黒く、目鼻立ちのくっきりとしていた。中年はその女の子をじっと見つめていた。女の子も中年を見つめた。

「お嬢ちゃん、焼き鳥食べるかい。おじさんお腹いっぱいだからさ」
 中年は、女の子に焼き鳥を差し出した。
 女の子はうんと頷き、それを持って奥に入っていった。しばらくすると奥からフィリピンが女の子と出て来た。フィリピンは何度も中年にお辞儀をして礼を言った。中年は照れくさそうに笑った。

 銃声がなった。馬が一斉に出走した。大きく弧を描くようなストライドが青々と移る芝生を規則正しく打っていく。
「買っとけば良かったなぁ」中年が漏らした。
 一頭の馬が独走態勢に入る。実況が興奮しながら「強い強い」を連呼する。中年も叫んだ。

「走れ。そのまま行け」
 
 瓶ビールからは水滴が絶えず溢れ落ち、テーブルに小さな溜まりを作っていた。それに気付いた女の子は白いフキンを持って来て、そっとそれを拭い取ったのだった。






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