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ポテトチップスさん

20代の頃、小説家を目指していました。 ですが実力がないと自覚し、小説家の夢を諦めました。ですが久方ぶりに、時空モノガタリ文学賞に参加させて頂きます。 ブログで小説プロットを公開してます。ブログ掲載中のプロットを、小説練習用の題材にご自由にご利用下さい。http://www.potetoykk.com

性別 男性
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汚れた手

16/06/06 コンテスト(テーマ):第111回 時空モノガタリ文学賞 【 蕎麦 】 コメント:0件 ポテトチップス 閲覧数:1132

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さと美は、山谷地区に店を構える立ち食い蕎麦屋の引き戸を開け中に入った。
「へい、らっしゃい」店の店主の中谷平蔵が、皺くちゃな顔に笑顔で迎えてくれた。
「温かい蕎麦ちょうだい」
「へい、かしこまりました」
さと美は、店の壁に掛かっているカレンダーを見て、今日が12月25日だと言うことを知った。もうすぐ正月がやって来る。どうりで寒い訳だと納得した。
83年も無駄に生きていると、暦などどうでもよくなってくる。平蔵が、蕎麦の入った丼ぶりと水の入ったコップを盆に載せて、さと美の横にやって来て、立ち食いカウンターの上に置いた。
さと美は七味を大量に蕎麦にかけて、音を立て啜って食べた。
「今日は稼げたかい?」平蔵が顔に笑みを湛えながら言った。
さと美は租借しながら「3000円ぽっちだよ。最近は不景気だから、みんな金を持って出歩かないよ」と、不満気に言った。
さと美と同い年の平蔵は「さと婆、もう引退しなって」と言った。
「引退して、どうやって生活していけって言うんだい。あたしは根っからのスリ師だよ」
平蔵は珍しく真面目な顔で、さと美に何か言いかけようとした時、客が3人入って来たため、厨房に戻った。
蕎麦を食べ終わり店を出たさと美は、山谷地区にある1泊1800円の宿に帰った。もうこの宿をねぐらにして30年が経過していた。
日雇い労働者の街として戦後からずっと続いている山谷地区は、ここ最近は外国人旅行者の姿が多く見うけられるようになった。
2畳ほどの部屋に戻ったさと美は、テレビをつけて茶を啜って飲んでいると、フロントからの電話が鳴った。
呼ばれてフロントに行くと、後藤と言うまだ30代後半の保護観察官の男が立っていた。
「何だい、また来たのかい?」
「さと美さんの、近況が知りたくて来ました」
「スリならやってないから、安心して帰んな」
過去にスリで20回逮捕されているさと美は、こうして月に1回、保護観察官が近況を聞きにやって来ていた。
「スリをやっていないと聞いて、安心しました。何か困っていることはありませんか?」
「無いから、大丈夫だ」
後藤が帰って行くと、さと美は悲しさに涙が出そうになった。自分はいつまでスリをやり続けるのだろうか。次逮捕されたら、また刑務所に入れられる。後藤に会うと、いつも同じ感情が押し寄せてきた。もうスリなど辞めようと何度も思ったが、60年間も続けているスリを辞めて、今さらまっとうな人間になったところで、閻魔様は極楽になど行かせてくれないだろう。どうせ地獄に行くなら、最期まで悪人でいようと思うのだった。
12月26日は、朝から分厚い雲が空を覆い、山谷地区のいたる所に、おう吐物が路上に吐かれていて、強烈な臭いにさと美は気分が悪くなった。
上野のアメ横に到着すると、スリができそうな人を物色した。
1人の老人に的を絞ったさと美は、背後に近づき、尻ポケットにしまってある長財布をそっと抜き取った。
路上の陰で中を確認していると、背中を叩かれた。さと美はギョッとした。
「おばあちゃん、ちょっとごめんね」50代くらいの背広を着た男が、警察手帳を見せた。
「何だい?」
「今、財布抜き取ったよね」
さと美はあっさりと堪忍して、罪を認めた。
「ちょっと警察署に行こうか」
取り調べの後、留置所に入れられた。夕方、面会人が来ていると言われ、さと美は面会室に行った。
自分に面会など誰かと思えば、立ち食い蕎麦屋の中谷平蔵だった。
「さと婆……」
「運が悪かったよ。今日みたいな曇り空の日は、スリをやらないと決めているのに、魔がさしちゃったよ」
平蔵は、さと美の目を悲しそうな目で見つめた。
「あんた、店はどうしたんだい?」
「臨時休業にした」
「馬鹿馬鹿しい。わざわざあたしのために」
「さと婆……」平蔵は何かを言いたげにしたが、黙りこんだ。
「あんた、とっとと帰っておくれ。あたしは今、1人になりたいんだよ」
「さと婆、出所したら俺と結婚してくれ!」
さと美は、唖然とした。
「結婚って、あたしもあんたも、83歳の老いぼれじゃないか」
「今から60年前、俺がまだスリ師をやっていた時、さと婆、俺に言った言葉を覚えているか?」
「あたしがあんたに何を言ったんだよ?」
「さと婆はこう言ったんだ。『あたしをスリ師から辞めさせたければ、あたしをお嫁さんにしてくれ』って」
「あんた60年前の話を、いつまで信じてるんだい」
さと美は、涙が止まらなかった。かつて同じスリ師をしていた男の、純朴なまでの心に涙が止まらなかった。
「俺と結婚して、蕎麦屋の女将さんをやってくれ!」
さと美は思った。もう今からまっとうな生き方をしても、極楽には行けないが、残りの人生を、いま目の前にいる男と、まっとうに生きたいと。
蕎麦屋の女将さんになったら、気っ風の良い女将さんになってやろうと思った。


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