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Fujikiさん

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メドゥーサの目薬

16/06/06 コンテスト(テーマ):第111回 時空モノガタリ文学賞 【 蕎麦 】 コメント:0件 Fujiki 閲覧数:1081

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 待ち合わせのそば屋に着いてみたら、悪魔は既にソーキそば定食を食べているところだった。午後にもアポがいくつか重なっているので先に注文することにしたのだという。さっそく差し出した署名済みの契約書を書類かばんに入れた悪魔は、小さな瓶をテーブルの上に置いた。
「目薬があるからといって、あんまり目を酷使したら駄目だからね。昔ある哲学者が言ったみたいに、あなたが深淵を覗き込む時、深淵もあなたのことを覗き込んでいるんだよ」と、悪魔は言った。
 ギリシア神話の怪物メドゥーサの涙から抽出した目薬。これを目に垂らして睨みつければ、視線の先の相手は瞬時に石と化す。自販機の陰で目薬をさした私は、サングラスをかけて街頭演説を待つ群衆に加わった。
 暇を持て余した通行人の拍手が県庁前広場に響き、あの男が演台に上る。かつて私を無理やり押し倒した両手には白い手袋がはめられている。ゼネコンを経営する彼の家族が雇った敏腕弁護士は、裁判で私の心療内科の通院歴や家族関係をあげつらった。証言の信憑性は疑われ、あの男は放免になった。辱められた女陰は臭い膿を垂れ流して忍び泣いた。
 日焼けした顔に浮かぶ品のないにやけ顔は昔とちっとも変わっていない。この十年間どれだけあの顔を忘れようとしてきたか。それなのに彼が県議会議員に立候補してからはあの顔がいたる所に貼り出されるようになった。あの顔を見るのは今日が最後――そう心に念じながらサングラスを外した。
「先生、テレビ見た?」
 ピアノの教え子の麻里ちゃんは、玄関先で私を出迎えるなりそう訊ねた。つけっ放しになった居間のテレビでは知事の記者会見が生中継で放送されている。
「昼間の県庁前のニュース?」
「うん、もう一日中そればっかり。警察も医者も何が何だか分からないって。その場で見ていた人も、一人が心臓発作で死んじゃって、三人が錯乱状態になったんだって」と、早口でまくしたてる麻里ちゃんは好奇心に満ちた瞳を輝かせている。事件を怖がっているというよりは、わくわくしている様子である。
 無関係な人間にまで危害が及ぶことになるなんて、まったく予想外のことだった。深淵を覗き込む時、深淵もあなたを覗き込んでいるという悪魔の言葉がよみがえった。あの謎めいた警句はこういう事態を予見していたのだろうか? やみくもに深淵に投げ込んだ小石は思わぬところにぶつかりながら、不快な反響音となって返ってくる。あの男や事件に巻き込まれた人たちの家族は、お手上げ状態の警察に見切りをつけて悪魔に助けを求めるのだろうか? 悪魔は復讐心の虜になった彼らにメドゥーサの目薬を売りつけ、私の居場所を告げるだろうか? 行き場のない私の復讐心に優しい言葉で近づいてきた時のように。
「さあテレビを消して、レッスンを始めよう。とりあえず前回やったところまで弾いてみて」
 麻里ちゃんがたどたどしく奏でるドビュッシーの「月の光」をうわの空で聞き流した。二色の鍵盤の上でためらいがちに踊る十代の柔らかい手先は、皺一つなくつやつやと輝いている。むちむちとした腕に生える、まだ処理する必要すらない繊細な産毛が扇風機の風に吹かれて静かに揺れていた。半年後に麻里ちゃんを両親もろとも冷たい石に変えてしまうことになるとは、この時は想像すらしていなかった。
 生き延びるために、無数の人間を石に変えていった。復讐者、脅迫者、目撃者――あらゆる種類の人間が途切れることなく私の前に現れては、苦悶に歪んだ表情を永遠に刻みつけた無機質なオブジェと化していく。「新種の伝染病か?」とマスコミが勝手な憶測を書き立てる一方、警察はあらゆる状況証拠をかき集めて捜査の対象を絞り込んでいた。だが、敏腕の刑事たちもメドゥーサの目薬の威力を前にしては一たまりもなかった。殺人を繰り返すうちに、私の心も少しずつ石化していったのかもしれない。麻里ちゃんやその家族のような、偶然真実にたどり着いただけの人たちを手にかけることにも慣れてしまった。
 満月の夜、追手の警官隊をまとめて石に変えた後、山あいにある無人のガソリンスタンドのトイレに駆け込んだ。走り続けて乱れた呼吸を整え、洗面台の鏡を覗き込む。そこに映っていたのは信じがたい姿だった。無数の蛇が頭にうごめき、血に飢えた口が裂けて広がっている。爛熟した憎悪をたぎらせる瞳をサングラスで隠しているのを別にすれば、もはや人間の面影はどこにもなかった。サングラスのつるに絡みついた細長い蛇が馬鹿にしたように舌を出す。自らを死の凝視の下に晒せば、罪への永劫回帰から解放されるだろうか。そんな考えが頭をよぎり、サングラスに両手をかけた。
 外せなかった。
 怪物は、人を餌食にして生き続ける他ないのだ。
 山林へと続く道を青ざめた月明かりが照らす。聞こえるはずのないピアノの音に導かれ、私は暗闇の方へ足を向けた。


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