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FRIDAYさん

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【エッセイ】明日はどこへ行き、何を見て、どんなものを聴こうか。

16/06/05 コンテスト(テーマ):第109回時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:2件 FRIDAY 閲覧数:808

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 大学二年生の春と夏、長期連休を目一杯使って、私は日本を一周した。目的地は、神社。
 およそ一年生の間にアルバイトでコツコツ貯めたお金を全て出し尽しての、一人旅。基本的に道連れはいない。まあ神社にしか立ち寄らない旅行に同行者なんてまずいない。ついでに言うと、北海道は地元なものでこの行程では行かず、北は青森恐山(は寺だが)から南は沖縄波上宮まで、実は四国にも立ち寄れなかったので日本一周とはやや過大表現だが、口当たりがいいので日本一周と称する。なに、四国だって死ぬまでにはきっと行く。
 古社名刹をおよそ百六十社。そのうち寺院は六社程度。選ぶ神社は基本的に別表神社記載のところと、旧国一宮。基本的に郊外にある。主に鉄道を使い、どうしようもないときだけバスに乗る。旅行予算の最大は移動費、次に宿泊、そして食費。とはいえ宿泊はほとんどカラオケ泊で、食事はコンビニのおにぎりだ。移動費が八割。観光というよりは巡拝、遊楽というよりは苦行だ。
 そうやって、日本を巡った。
 いろんな駅があって、いろんな街があって、いろんな土地があって、いろんな人がいた。
 どこにでも人はいた。
 私は決して社交的ではなく、むしろ強く人見知りするものだから、旅先で誰かと意気投合、ということはほとんどなかった。黙々と歩き、黙々と写真を撮る。この旅のために一眼レフを購入して、二千枚ほどバシバシ撮ったが、後から見ると九割が神社関係の写真で笑ってしまった。
 確かに、人がいた。
 時には、大分でバスに乗り遅れて二時間待ちのところ、タクシーに相乗りさせてくれた人がいた。大阪で道に迷って工事現場の奥にまで入り込んでしまい、戻るのかとげんなりしていたところ、駅近くまでダンプカーで送ってくれた人がいた。長崎で街角で地図をくるくる回しながら唸っていたら、勢いよく行き方を教えてくれた人がいた。沖縄では以前から交流があったとはいえ、本島を車でぐるっと案内してもらったりもした。
 合縁奇縁。こんな自分でも縁がある。これほど有り難いことはない。

 本州を回るに二か月を掛けたのだが、途中から旅の目的を忘れかけたりした。金沢で朝五時に行く場所もなく駅前でぼんやりと朝日を眺めているとき、「どうして旅をしているんだっけ…」と引っ繰り返りそうになったりもした。終電を乗り継ぎ、六時間かけて熊野から和歌山市へ向かう車中、ワンマン電車、数人しかいない乗客、闇に沈んだ車窓、物寂しさで妙な不安の中に揺れていた。好天に恵まれた十和田湖では息を呑み、雨天に遭った神宮では頭を抱えた。月山・湯殿山の登山は断念した。琵琶湖湖畔から日の出を見た。静岡では台風に直撃し、雨中強行した結果、鞄の真ん中に入れていた御朱印帳まで浸水しかかって慌ててホテルを取った。茨城では沿岸を歩いていたら強風で吹っ飛ばされかけた。沖縄の海は本当に綺麗で、ジンベエザメは大きかった。毎日違う場所にいて、ともすれば一日ごとに隣の県へ移動している。順番はバラバラで、手放しで思い出すことは難しいけれども、写真を見れば全て思い出せる。時に山を登り、時に湖を渡り、何度も道に迷い、驚くほど遠回りして。

 時に街に、時に村に。時に荘厳に、時にこじんまりと。神社は静かにそこにあった。そこに神様はいるのだろうか。私にはわからない。神社が好きで、だからこの旅に出たのだが、そもそもどうして神社が好きなのか。神様は――いてくれたら楽しいと思う。信じる信じないとか、そんなことはどうでもいい。今から思えば、私は神様に会ってみたかったのかもしれない。振り返ったら、そこにいるのかも。そう思うと、楽しい。

 日本だけでもこれだけ広いのだ。まだ訪れていない場所も、断念した神社だって多くある。死ぬまでにはきっと訪ねたいし――世界はもっと広かろう。世界に神社はないだろうが、世界遺産だって好きだ。それに、決して名所名跡だけではない。そこに至るまでの道、風景、音、匂い、人。全てを合わせて旅だ。テレビで、ネットで見るだけでは決して味わえない、経験としての思い出。楽しいことばかりではない。誤算があって、失敗があって。それでも思い出す頃には皆が笑い話になっている。
 一度訪れたなら、その中を歩いたなら、それだけで、名を聞いたとき、話に上ったとき、生きた経験として蘇る情景がある。写真に映し出された観光地の、撮り手の背後に何があるのかを知っている。それだけでも随分と人生が面白くなる。

 私は世界というものが、画面の向こうや文章の中ではなく、同じ地上、同じ天下に存在しているということを、自分の足で確かめた。

 結局のところ、私は神様に出逢うことはとうとう叶わなかったが、この旅で得たものはあまりにも大きく、一生忘れられない大切な糧となったと、私は既に確信している。
 私は確かに、日本を歩いたのだ。


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このストーリーに関するコメント

16/06/06 冬垣ひなた

FRIDAYさん、拝読しました。

旅の喜びを語りたいという気持ちのこもったエッセイですね。日本一周、その足で歩いた経験は何ものにも代えがたいと思います。土地ごとの思い出、旅先で知り合う人とのふれあい、すべて神様は見ておられたはず、お疲れ様でした。素敵なお話をありがとうございます。

16/06/19 FRIDAY

冬垣ひなたさん、コメント有り難うございます。

楽しいことも大変なこともたくさんあって、何を書いたものか迷った結果、強引に詰め込み過ぎた感じになってしまいましたが、旅の喜びがお伝えできていたのであれば幸いです。
私の場合は目的が神社でしたが、食でも名跡でも、日本を一周するだけで世界がぐっと広がりますよね。

お読みくださり有り難うございました。

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