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黒森あまやどりさん

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どこへだって行けるし、何にでもなれると思った頃のうた

16/06/03 コンテスト(テーマ):第109回時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:2件 黒森あまやどり 閲覧数:1399

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 ボストンバックにありったけの札束を詰め込んで屋敷を出た。
 他に荷物はないものない。
 でもこれだけあればどこへだって行けるし、何にでもなれると思った。

 出来るだけ遠くへって願いながら乗り込んだのは生まれて初めての列車だ。
 一等車両の個室で、ただただ発車のベルが鳴るのをじっと待った。
 いつ追っ手がやってきて連れ戻されるかもしれないと思っていたから、ノックが聞こえ時、思わず身をこわばらせる。

 扉の向こうから顔をのぞかせたのは、見改札鋏を手にした制服姿の若者――車掌だった。

「やあどうも御嬢(マドモアゼル)さん、本日はどちらまで?」
「行けるところなら海の向こうでもよ」

 会話をするのが面倒で、ぶっきらぼうにそう返した。
 実際ここではないどこかであればどこだって楽園だ。

「生憎ですが、当大陸鉄道は大陸の端から端までしか行く事ができません」
「ならレールを伸ばして頂戴。山も谷も越えられるのだから海だってわけないでしょう?」

 苛立ち紛れにそう言ってやると、車掌はやれやれと肩を竦めながら苦笑した。

「大陸を越えるのは渡り鳥だけです。……さあ乗車券を拝見させて頂きます」
「どうぞ御勝手に」

 真新しい乗車許可証明書を手渡してやる。
 勿論、偽物ではない。正規で購入したものだ。
 これがある以上、この客室の主が私をであるという事実は揺るがない。

「お名前は……ほう金糸雀(カナリア)様」

 車掌は手にした書類に向けていた目を細める。
 記載されている名前があからさまな偽名である事に気づいたようだ。
 だが、その程度の嘘をついても何一つ咎められないことは、世間知らずのお嬢様でも知っている。

「……婚約者にそう言って口説かれた事があるの。君は金糸雀のようだ。金糸雀のように美しく可愛らしい。だから私の傍にいて欲しい。籠のなかで、私だけの為に歌って欲しいとね」
「なかなか素敵な口説き文句ですね」
「そうかしら? 羽をのばす事もできない狭い檻のなかで飼い殺しにされる運命なんて、囚人とどう違うの?」
「ごもっとも」

 車掌は考えてもみなかったらしく、困った顔をして苦笑する。
 それからふと世間話を続けるように言った。

「だから家出をなさったのですか?」
「――!」
「当駅に、婚前で姿をくらました伯爵家御令嬢の捜索依頼が届きました」

 どうやら車掌は確信を持ってこの客室を訪れたらしい。
 すまなそうな笑みを浮かべながらしっかりと扉を背にしているので、逃げる隙がなかった。

「お願い。見逃して」

 頭の中で必死にこの場を抜け出す算段を巡らせる。逃走資金の一部を与えてやれば、言う通りに従ってくれるだろうか。
 それとも――。

「金糸雀はよく炭坑などで飼われているそうです」
「……?」
「もし新しい斜坑で毒ガスが発生した際、真っ先に弱ってさえずるのを止め、危険を知らせてくれるからです」

 困惑した。
 そんな話を切りだした理由が分からない
 だが、からかわれているわけではないらしく、彼のこちらに向けてくる眼差しは真剣そのものだ。

「それほどまでにか弱い小鳥にとって、外の世界は過酷なものでしかないでしょう」
「……」
「命を狙う恐ろしい猫もいれば、冷たく吹き荒れる雨風も待っている」
「身の丈を弁えろと仰りたいの?」

 返事はない。
 だがそれは無謀にも籠から抜け出そうとする金糸雀への警句だ。
 旅など止めてさっさと帰った方がいいと言っているのだ。

「職業柄、旅人にはよく出会う。向き不向きは見れば分かるんです」

 確かに彼の言い分は間違っていないのだろう。
 温室育ちで、世間の荒波に揉まれたこともないお嬢様が一人で、まともに生きていけるほど世界は甘くない。

 だが例えそれでも――、

「私は雨のなかを飛びたいの。羽が濡れて重くなっても、寒さで凍えて震えても、自分の力で飛びたい」
「……」
「それでいつか雲の切れ間から差し込んだ陽の光を見上げなら、誰の為でもない自分の為の歌を歌うの」
「何故ですか?」
「だってそれが生きるってことでしょう?」

 車掌は一瞬だけはっとした表情を伺わせたが、すぐ帽子を目深に被り直した。
 これから上司に、私を見つけたことを報告に行くのだろうか、それともこの場から逃がさないよう扉に立ち塞がるのだろうか。
 だが口にしたのは意外な一言だった。

「ここには金糸雀はいなかった。いたのは勇敢な渡り鳥ようだ」
「……!」
「駅長には該当する人物はいなかったと報告しておきましょう。……それでは良い旅を」

 定刻になり、蒸気機関の力を借りた警笛が高らかに出発の合図を告げてくる。
 それは私にとって籠の扉が開く音だった。


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このストーリーに関するコメント

16/06/07 クナリ

リスクを承知で自らの意志を貫こうとする衝動、思いを汲んでくれる人との邂逅、旅の意味が詰まった作品でした。
登場人物が二人とも魅力的です。

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