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秋吉キユさん

普段はcomicoノベルチャレンジなどで長編を連載中。好きな分野は恋愛・青春、特定の場所ではBLも。(アイコンは蒼空さん)

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斎藤にまつわる、いくつかの存在証明

16/05/27 コンテスト(テーマ):第110回 時空モノガタリ文学賞 【 雨 】 コメント:2件 秋吉キユ 閲覧数:3398

時空モノガタリからの選評

鈍色の雨にまつわる描写が鮮烈でした。「透明な雨水」が「灰色の泥」と変化していく例えが、少年の傷つきやすい心、ナイーブな感受性、周りの状況への無力さをうまく代弁していると思います。また斎藤を取り巻く状況の変化の説明が客観的でわかりやすいですし、それゆえに屋上での感覚的なシーンが引き立っているのではないでしょうか。鬱々とした雨の色がとても印象的で、独特の世界感が魅力的でした。

時空モノガタリK

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「雨水って汚いんだぜ?」と、斎藤に言った。
 
俺の差すビニール傘が届く範囲では、とても斎藤を雨から守り抜くなんてできなかった。

びしょ濡れになった色素の薄い髪と肌を気にも留めず、斎藤は大きく手を広げて、唇を開いて。舌の上で跳ねる雨の粒を、慈しむように舐めた。
 
「それって美味いの?」
 
質問を重ねると、ようやく斎藤は振り向いた。
 
「わかんないけど、気持ちは良いよ」
 
斎藤は肩をすくめて、目を閉じたまませせら笑った。

「体全部で感じたいんだ。そうじゃなきゃ、消えてしまいそうだから」と静かに呟く。

確かに、雨は視界にある全ての形を、いつもよりはっきりと映し出した。空との境界をつくる欄干を、雨粒が弾いて鈍色が光る。校庭の植物は鮮やかに、その緑色を反射させる。男にしては全体的に華奢で、儚げな斎藤の輪郭を、滴る雫がなぞる。

ともすれば斎藤の方が、空気中に滲んで、消えてしまいそうに思えた。
 
「長谷川も、俺のことを汚いって思う?」
 
不本意な言葉に眉を顰める。斎藤を冷たい雨からかばうだけの返事を、俺はまだ見つけることができなくて、ただ力なく首を横に振った。斎藤はどこか、諦めにも似た笑いを浮かべていた。
 
斎藤が成年男性を相手に援助交際をしている、という悪趣味極まりない噂を流し始めたのは誰だったか。

中性的な見た目、内向的で親しい友達が少ないこと、父親を亡くしていること。斎藤自身が望まずとも持ち合わせてしまった様々な要素が悪い方向に働き、その憶測は現実味を帯びた。

ある日、斎藤が毎回違う男性と親しげに話しながら駅前を歩いているところを、目撃した学生が現れた。噂は瞬く間に、周知の事実へと姿を変えた。
 
満杯になったコップが溢れるように、崩壊は音も無く突然だった。

2ヶ月前。教室には携帯で盗撮したらしい、斎藤と男が並んで歩いている解像度の低い写真が貼り出された。彼を挑発する酷い言葉が黒板に書き連ねられた。いつも通り一人で登校してきた斎藤は、それを一瞥すると、静かに教室を出ていった。それから斎藤を教室で見かけることは無くなった。
 
俺と斎藤は特別仲が良いというわけでも無い。でも、今日は保健室から出てくる斎藤を偶然見かけて、その後ろ姿を追ってこの屋上まで来てしまった。
 
俺の脳裏にはあの日黒板を見つめた時の、斎藤の微動だにしない瞳が焼き付いていた。斎藤を追いかけた理由らしい理由は、たったそれだけだ。

斎藤が伸ばす腕に、白いカッターシャツの袖口が透けて張り付く。誘われるようにして俺は、指先に乗った雨粒を、唇に運んだ。水道水の鉄臭さを含む液体は不快感と同時に快感を煽って、じっとりと喉の奥に染みていった。
 
「雨水って、汚いらしいよ」と、どこかで聞いたような台詞を、斎藤がとぼけた表情で言う。

こうすることで斎藤の気持ちが解るかと思ったけれど、そんなことは有り得ない。だから俺は口を開く。
 
「斎藤、なんで言い訳しねぇの?あんなに酷いことされたのに」
 
なるべく何でも無いふりで。声のトーンを落として。

斎藤は「言うだけ無駄だから」と、俺以上に何でも無いように答えた。きっと本気で無感情だったに違いない。斎藤は今、自分の輪郭を確かめることに必死なのだ。でも、と斎藤が付け足す。俺は顔を上げた。

「長谷川がこうして来てくれたのは、悪くない誤算だった」
 
迷い無い真っ直ぐな声が、湿度の高い空気中に凛と響いて消失する。やっと、気づいた。俺はそんな斎藤の姿が、きっと、羨ましかったのだ。
 
数日後、斎藤は遠い街へと引っ越して行った。「斎藤くんのお母さまが病気で亡くなったので、ご親戚の元で暮らすそうです」と担任は淡々と説明した。

「斎藤は県外の親戚を病院に案内していただけだ」と今更のように言及する学生もいた。「治療費を斎藤が一人で稼いでいたらしい。やっぱりあの噂は本当だったんだ」と覆す学生もいた。今となっては証明する本人が居ないのだ。やがて、誰も斎藤の名前を口にしなくなった。
 
今日も教室の外では雨が降っている。汚れの無い透明な雨水も、一度コンクリートに落ちれば灰色の泥と化す。それはまるで斎藤のようで、この世界そのもののようで。

あの日屋上で、斎藤を覆うように俺は傘を傾けた。皮肉にも傘に弾かれた綺麗な雨は、足元でみるみる濁った液体に変わった。

俺の縋るような思いとは裏腹に、邪魔そうに目を細めて傘を見上げていた斎藤。
不誠実な憶測より、目に見えない感情より、何よりも確かに斎藤は、ここにいたのに。
 
この街に、まだ梅雨明けの気配は無い。


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このストーリーに関するコメント

16/05/27 クナリ

本梅雨になる前の静かな雨のような、繊細に世界を包み込むような雨がイメージされました。
登場人物が印象的で、鮮烈な短編ですね。

16/12/20 誇りを持て。

「悪くない誤算だった」……。素直に、とても嬉しい、と言えない斎藤君。自分のことを、わかって欲しいような、知られたくないような、相反する気持ちの混在。斎藤君のことが気になって近づいてみたけど、ふんわりと拒まれて、それ以上どうすることも出来ない長谷川君。いつかまた出逢えたら、いいな。

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