登録済みのコンテスト数:コンテスト310件 登録済みの作品数:ストーリー11180件
1
16/05/27 コンテスト(テーマ):第109回時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:2件 吉岡幸一 閲覧数:1101
この作品を評価する
ホテルに戻ってくると、見知らぬ女が真っ赤なバラの造花を花瓶に挿していた。「どちらに行かれていたんですか」 振り向いた女の笑顔は人懐っこく、とても初めて会ったようではなかった。「舞鶴公園に行って、福岡城跡を見てきたんです」「天気が良かったから気持ちよかったでしょう」 僕は曖昧に頷いた。白いワンピースを着ているところをみるとホテルの従業員のようには見えないし、中洲に近いとはいえそういうサービスを頼んだ覚えはないし。「あのう、なぜ僕の部屋にいるんですか。どなたですか」 こう言うと女はあきらかに悲しそうな顔をした。近づいてくると僕の手をきつく握った。「ふざけているの。それとも自分の妻の顔もわからなくなってしまったの」 妻だって。僕はこれまで一度も結婚したことがない。彼女ですらもう五年もいないっていうのに。「部屋を間違えていませんか」「自動でロックされるドアなんだから、間違って入れるわけないでしょう。昨日一緒に泊まったじゃない。この部屋だってツインだし。どうしたの、覚えてないの」「覚えてないっていうか。知らないというか。いったいなにが目的なんですか」 女は大げさに声をあげて泣き出すと、僕にしがみついてきた。「かわいそうに、かわいそうに、外で何かがあったのね。私のことを忘れてしまうくらい嫌なことがあったのね」 振りはらおうとしても女の力は強く、両の手は剥がれなかった。 溜まっていた仕事がようやく片付いて三日間の休暇をとることができたので、僕は福岡にやってきた。福岡には昨日の夜に着いたばかりだ。東京から福岡の旅ははじめてだし、当然福岡に知り合いなどいない。なぜ福岡なのかといえば、羽田から飛行機に乗ればわずか一時間半で来られるし、本場の豚骨ラーメンを思う存分食べてみたかったからだ。だからたいした理由などなかった。気軽な気分転換程度の一人旅だった。「ごめん、ごめん。冗談だよ。ちょっとふざけてみただけさ」 女が離れないものだから、つい嘘をついてしまった。悪人には見えないし、そのうち正体がわかるだろう、と僕は気楽に考えてみた。これも旅の醍醐味、旅には出会いの一つもあった方が良い。それになかなかの美人だし。 いま思えばこのときに無理やりにでも女を追い出せば、僕の豚骨旅行は充実したものになったのかもしれない。女はすっかり妻として振る舞いはじめ、僕の行動にいちいち干渉をしてきた。「夕飯はもつ鍋を食べにいきましょう。福岡といったらもつ鍋よね」 こういうと僕の希望など聞くこともなく西中洲にあるもつ鍋屋まで引っ張っていった。僕は長浜に行って豚骨ラーメンを食べるつもりでいたのだが、女の強引さに逆らうことができなかった。 もつ鍋は確かに美味しかったし、一緒に食べた明太子ご飯も申し分なかった。小食の僕には追加で豚骨ラーメンを食べる余裕などなかった。「明日は太宰府天満宮に行きましょう。梅ケ枝餅が名物らしいわよ」 女は勝手に明日の予定をたてた。当然のようにホテルにもついてきて、当たり前のように空いている片方のベッドで眠った。いつの間にか小さめのキャリーバックがベッドの横に置いてあり、いかにも一緒に旅をしているという感じだった。 女を連れて帰ってもフロントで呼びとめられることもなく、フロントマンは笑顔で会釈までしてくれた。 朝になれば女は居なくなっているかもしれないと思って眠りについたが、朝になっても女はそこにいた。ホテルの朝食バイキングを食べ、すぐにチェックアウトをして西鉄電車で太宰府までいき、天満宮でお参りをして、梅ケ枝餅を食べ、さていよいよ豚骨ラーメンを食べようと店を探したが、女は「ラーメンなんか食べたくない」と言いだして、無理やり洒落たパスタ屋に僕を引っ張っていった。 夕方には飛行機に乗らなくてはならない。僕は焦っていた。このまま豚骨ラーメンを食べないまま東京へ帰らなくてはならないのだろうか。 福岡空港で女がトイレに行った隙に僕は逃げた。空港内のラーメン屋に駆け込んで大急ぎで豚骨ラーメンを食べた。ようやく旅の目的が達成されたが味わう余裕なんてなかった。ただ腹に流し込んだだけだった。女に見つからないように飛行機に乗り込むと、すでに隣の席に女が座っていた。なぜか僕は驚かなかった。心のどこかで女がいることを願っていたのかもしれない。女は僕を見て微笑むと「夫婦で旅するっていいわね」と甘えるように手を握ってきた。「そうだね」と、僕は半分諦めたように答えたが、それはほんの少し心地よい諦めだった。
コメントの投稿するにはログインしてください。コメントを入力してください。
16/05/27 あずみの白馬
不条理系……でしょうか。なかなか面白かったです。旅に出た目的を果たすために必死になる主人公、そして女の正体はわからぬまま……ただひとつわかったことは「旅は食にあり」でしょうか……?
16/05/28 吉岡幸一
あずみの白馬様コメントありがとうございます。感謝します。
ホテルに戻ってくると、見知らぬ女が真っ赤なバラの造花を花瓶に挿していた。
「どちらに行かれていたんですか」
振り向いた女の笑顔は人懐っこく、とても初めて会ったようではなかった。
「舞鶴公園に行って、福岡城跡を見てきたんです」
「天気が良かったから気持ちよかったでしょう」
僕は曖昧に頷いた。白いワンピースを着ているところをみるとホテルの従業員のようには見えないし、中洲に近いとはいえそういうサービスを頼んだ覚えはないし。
「あのう、なぜ僕の部屋にいるんですか。どなたですか」
こう言うと女はあきらかに悲しそうな顔をした。近づいてくると僕の手をきつく握った。
「ふざけているの。それとも自分の妻の顔もわからなくなってしまったの」
妻だって。僕はこれまで一度も結婚したことがない。彼女ですらもう五年もいないっていうのに。
「部屋を間違えていませんか」
「自動でロックされるドアなんだから、間違って入れるわけないでしょう。昨日一緒に泊まったじゃない。この部屋だってツインだし。どうしたの、覚えてないの」
「覚えてないっていうか。知らないというか。いったいなにが目的なんですか」
女は大げさに声をあげて泣き出すと、僕にしがみついてきた。
「かわいそうに、かわいそうに、外で何かがあったのね。私のことを忘れてしまうくらい嫌なことがあったのね」
振りはらおうとしても女の力は強く、両の手は剥がれなかった。
溜まっていた仕事がようやく片付いて三日間の休暇をとることができたので、僕は福岡にやってきた。福岡には昨日の夜に着いたばかりだ。東京から福岡の旅ははじめてだし、当然福岡に知り合いなどいない。なぜ福岡なのかといえば、羽田から飛行機に乗ればわずか一時間半で来られるし、本場の豚骨ラーメンを思う存分食べてみたかったからだ。だからたいした理由などなかった。気軽な気分転換程度の一人旅だった。
「ごめん、ごめん。冗談だよ。ちょっとふざけてみただけさ」
女が離れないものだから、つい嘘をついてしまった。悪人には見えないし、そのうち正体がわかるだろう、と僕は気楽に考えてみた。これも旅の醍醐味、旅には出会いの一つもあった方が良い。それになかなかの美人だし。
いま思えばこのときに無理やりにでも女を追い出せば、僕の豚骨旅行は充実したものになったのかもしれない。女はすっかり妻として振る舞いはじめ、僕の行動にいちいち干渉をしてきた。
「夕飯はもつ鍋を食べにいきましょう。福岡といったらもつ鍋よね」
こういうと僕の希望など聞くこともなく西中洲にあるもつ鍋屋まで引っ張っていった。僕は長浜に行って豚骨ラーメンを食べるつもりでいたのだが、女の強引さに逆らうことができなかった。
もつ鍋は確かに美味しかったし、一緒に食べた明太子ご飯も申し分なかった。小食の僕には追加で豚骨ラーメンを食べる余裕などなかった。
「明日は太宰府天満宮に行きましょう。梅ケ枝餅が名物らしいわよ」
女は勝手に明日の予定をたてた。当然のようにホテルにもついてきて、当たり前のように空いている片方のベッドで眠った。いつの間にか小さめのキャリーバックがベッドの横に置いてあり、いかにも一緒に旅をしているという感じだった。
女を連れて帰ってもフロントで呼びとめられることもなく、フロントマンは笑顔で会釈までしてくれた。
朝になれば女は居なくなっているかもしれないと思って眠りについたが、朝になっても女はそこにいた。ホテルの朝食バイキングを食べ、すぐにチェックアウトをして西鉄電車で太宰府までいき、天満宮でお参りをして、梅ケ枝餅を食べ、さていよいよ豚骨ラーメンを食べようと店を探したが、女は「ラーメンなんか食べたくない」と言いだして、無理やり洒落たパスタ屋に僕を引っ張っていった。
夕方には飛行機に乗らなくてはならない。僕は焦っていた。このまま豚骨ラーメンを食べないまま東京へ帰らなくてはならないのだろうか。
福岡空港で女がトイレに行った隙に僕は逃げた。空港内のラーメン屋に駆け込んで大急ぎで豚骨ラーメンを食べた。ようやく旅の目的が達成されたが味わう余裕なんてなかった。ただ腹に流し込んだだけだった。
女に見つからないように飛行機に乗り込むと、すでに隣の席に女が座っていた。なぜか僕は驚かなかった。心のどこかで女がいることを願っていたのかもしれない。
女は僕を見て微笑むと「夫婦で旅するっていいわね」と甘えるように手を握ってきた。
「そうだね」と、僕は半分諦めたように答えたが、それはほんの少し心地よい諦めだった。