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高橋螢参郎さん

何でもいいから金と機会おくれ

性別 女性
将来の夢 二次元に入って箱崎星梨花ちゃんと結婚します
座右の銘 黙り虫、壁を破る

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甘夏の熟す頃

16/05/23 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:0件 高橋螢参郎 閲覧数:818

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 どこかぼんやりとしたところのある自分が、僕は昔からずっと嫌だった。
 例えば人からいい話を持ちかけられた時、逡巡した挙句タイミングを逃してしまった経験が若い頃に何度もあった。そのどれもこれもが、強い後悔として深く記憶に刻まれている。
 僕は世の中の些細な事についてもっとじっくりと考えたかったのだけど、時間はそれを待ってくれない。そう気付いたのも、二十歳を過ぎてからしばらく経った後だった。ここならまだいいだろうと高を括って研究室へと入ったが、結局はそこでも次々と舞い込んでくる締切に追われ続けていた。
 そのうち助教授なんてもっともらしい肩書きを頂戴したが、だからと言って免許もないまま車の運転ができるようになる訳でもなく、折角実家から送って貰った甘夏の厚い皮を上手く剥く事すらできなかった。
 でも今、目の前には、そんな僕のため甘夏の皮を剥いてくれている人がいる。高校の同級生だった祥子さんだ。
 祥子さんの長袖から伸びた白く細い手にかかると、あれだけ頑なだった甘夏もするりとその甘酸っぱい果肉を晒す。そんな魔法めいた様子を、僕はテーブル越しにただぼうっと眺めている事しかできなかった。世間がこの状況をどう取るかは別として、実際のところ彼女はこの家の居候に過ぎないのだ。
 僕の抱える一番苦く大きな思い出は、祥子さんについてのものだった。

 高校の部活で一緒だったあの頃、僕は卒業するまで終ぞ祥子さんへ自分の想いを伝える事ができなかった。
 彼女の事が間違いなく好きだった。でも、祥子さんとは同時に、いやそれ以上に、いい友達だった。幽霊部員の多かった部室で、僕らは毎日他愛もない事を何時間も話したり、ボード・ゲームを家から持ち込んではそれで時間を潰した。彼女はオセロがとても強くて、最後まで一度も勝てなかったのを今でも覚えている。
 卒業式の日、最後になるかも知れないからと告白の決意を固めて部室に呼び出した時も、まずはオセロをした。それでもしも、勝てたらと願をかけて挑んだら、見事に同数で引き分けになってしまった。
 予想だにしなかった結果に僕が一人で困惑していると、祥子さんは「こういう事もあるんだね」と笑いだした。僕も笑って、白黒つける事を諦めた。
 大切な友達をどういう結果であれ一人喪うという事に、当時の僕は苦悩していた。一度告げてしまえば、二度とこの心地よい関係には戻れないだろう。随分身勝手な風に聞こえるかも知れないけれど、多分祥子さんもあの時同じ事を考えていたはずだ。そう疑いなく言い切れるほどには、多くのものを共有していたと思う。
 僕らはあの日、笑い合って違う道に分かれた。それでよかったのだと、その時は思っていた。

 高校卒業とともに、僕らの時間は一旦ぷつりと途切れた。
 僕は物理学を志して東京の大学へと進学し、祥子さんは地元へ残った。そこでこの恋は終わるはずだった。実に二十年近くの月日が流れた中で、すっかり変わってしまった祥子さんに再び出会ったのはつい最近の事だ。
 祥子さんもまた東京へと出てきていたのだが、それが一体いつ頃だったのかは聞けていない。とにかく僕は自分の受け持つゼミ生との飲み会の帰り道に、新宿の人ごみの中で彼女の姿を見つけた。全くの偶然だった。
 そして彼女は僕だと判ると、「助けて」と一言、涙ながらに告げた。僕は何も言わずに彼女を家へと連れ帰った。今はまだ、そこまでだった。
 相変わらずぼんやりとした日々を送っていた僕とは対照的に、彼女は本当に色々あったようだった。免許証の新しい名字や身体中に遺された生々しい傷跡など、そのひとつひとつが明かされていく度、僕の心はひどい怒りとifに押し潰されそうになった。
 もしも素直に想いを告げていたら、こうはならなかったのではないだろうか。
 ラプラスの悪魔などもうどこにもいやしない事をとっくに知っていても、悔恨の念は止め処なく湧いた。きっとこの先も、一生付いて回るだろう。
 だから僕は甘夏が届いた昨日から、このタイミングで言おうと決めていた。今度こそ、彼女から離れないように。
「あ、甘夏ってさ」
 不器用な僕の上擦った声に、祥子さんはこちらへ振り向いた。
 僕は口の中に甘夏を取り急ぎ一房放り込んで、彼女の細い肩を強く抱きすくめた。甘酸っぱさの陰に尾を引くほろ苦さが、舌を痺れさせた。
「……収穫しても、すぐには食べられないんだ。酸が抜けて、熟成するのを待って……だから、その……」
 過去はもういいんだ。
 どうしていたら正解だとか、ないんだ。
 これからが全てなんだ。
「ずっと好きだった」
 たくさんの言葉の中で今口にできたのはたったひとつ、その言葉だけだった。
 でも、それでいい。時間は流れる。人も変われる。ゆっくりと、少しずつでいいから待てばいいんだ。
 いつか、甘夏の熟す頃を。


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