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空野晴飛さん

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甘夏の風

16/05/23 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:0件 空野晴飛 閲覧数:755

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甘夏の 香りをあびてあの頃に 今のわたしは 還れるだろうか


わたしの生まれた土地は、柑橘類の生産地。わたしの住んでいた地域は特に、甘夏を生産していた。旬の時期には、心地よい風にのってやってくる、爽やかな香りに包まれた。

わたしはこの香りが大好きだった。もちろん、甘夏も。

わたしの中の思い出の全ては甘夏と共にあって、とりわけ、あたたかく、あまく、やさしい思い出は、その大好きな香りと共にあった。

ふと、思う。あの子は…別れたきりのあの子は…



いつも通りわたしはあの子と遊ぶ約束をした。浮かない顔でやって来たあの子は何かを伝えようとしては、何も言わずに口をとじる。心配するわたしの顔を見てあの子はすぐにいつも通りの人懐こい顔で笑った。わたしは何か胸につっかえた感じがしたが、あの子に何も聞けなかった。もやもやを晴らすように、わたしは甘夏の風の中をあの子と走りまわった。

そして甘夏の旬の終わる頃のある日曜日。その日は朝から、しとしとと雨が降っていた。今日はあの子と遊べないな…ぼんやり外を眺めるわたしを母が呼んだ。母の言葉を聞き、わたしは呆然とした。

引越しって…お別れって…お見送りって…なんで…
わたしは部屋に飛び込み、布団にくるまって泣いた。母はわたしが引越しの話をあの子から聞いていると思っていたようだった。結局、母が一人で見送りにいった。

数日後、わたしの元にあの子から手紙が届いた。わたしが手紙の封を切ることはなかった。今までずっと一緒にいたのに。何も話してくれなかったことが悲しくて、わたしの心は頑なになっていった。

それからも頻繁に手紙は届いた。別れてからずっと、何年も…それでもわたしは一通も封を切らなかった。切れなかった。そして、ある日ふっと手紙は届かなくなっていた。

わたしは、あの子のことは心の奥底にしまいこんで日々をすごした。

友達と笑い、泣き、恋もした。すごしてきた青春時代も甘夏と共にあったはずなのに…


甘夏と一緒に思い出すのはあの子のことばかり。あの子にわたしはひどいことをした。確かにわたしは傷ついた。でも、同じだけ、いや、手紙を無視し続けた分それ以上に、あの子は傷ついた。あんなに大好きだったのに…


自分の涙に驚き目が覚めた。どうやら眠ってしまっていたらしい。今しがた見た夢を反芻する。無性に甘夏の香りをあびたくなった。全身で、あの爽やかでやさしい風を感じたい…

今はちょうど甘夏の旬。
ラベンダーの香りで時間を跳べるようになった少女のようにわたしはなれない。でも、あの大好きな甘夏の風の中で、あの香りをあびれば、懐かしいあの日に還れる、そんな気がした。

そして週末、わたしは甘夏の香りのするふるさとに帰った。母は驚いていたが、すぐににっこり笑って甘夏を出してくれた。縁側でわたしは甘夏の香りをあびて、そして甘夏を味わった。胸が苦しかった。

しばらくすると、母が大きな缶を持ってきた。そこにはたくさんのあの子からの手紙が入っていた。

「あなたがあの子とのお別れを受け止められなくて手紙を開けなかったこと、知ってる。でも、いつか時が来たら、あなたに読んでほしくて、ずっととってあったの。それってきっと今だよね。」

母から受け取った手紙を夢中で読んだ。まだ幼い字でわたしに謝る手紙から始まって、どんどん字が綺麗になってその成長が分かった。日常の報告をする内容の中でも、どの手紙をとっても、わたしを思う気持ちに溢れていた。

わたしは手紙を抱えて泣いた。甘夏の香りがわたしをあの日々に還してくれれば…


「かんな…」

ふと、呼ばれた気がした。振り返るとそこには背の高い、柔らかな空気をまっとった男の人が立っていた。わたしを見てくしゃっと笑う人懐こい顔。間違いない…彼は…

わたしは彼に飛びついて泣いた。

「ごめん、ごめんね。今までほんとうにごめん。大好きだったのに…ごめんね…」

彼はいつかのようにわたしの頭を撫でて、やさしく笑った。

「柑菜が謝ることはないんだ。あのときはごめん。またあの頃みたいに戻れるなら、これからは一緒にいたい。最近またここへ帰ってきたんだ。僕はずっとここで待ってる。今日はそれを伝えたかったんだ。」

「ふうが…颯汰が許してくれるならずっと…わたしは必ずここへ帰ってくる。だからそれまで待ってて…」

甘夏の香りは、わたしをあの頃には還してくれなかった。でも、あの頃の大事なひと、やさしい気持ちを届けてくれた。



わたしの思い出は全て、甘夏と共にある。これから先の未来にもきっと、ずっと、甘夏の大好きな香りがあるだろう。

願わくは、大好きなあなたと共に、この柔らかな風の中で、甘夏の香りをあびつづけていきたい…


 甘夏の やさしい風はあなたへと つづく黄色の一本の道


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