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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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あごはずれて、あいた口がふさがらず

16/05/18 コンテスト(テーマ):第81回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1231

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学生時代、夜更かしが過ぎて、生あくびをくりかえしていた。
うつむけの姿勢で、枕に強くあごをおしつけながら、生涯最大とおもえるほど大きな口をあけてあくびをした。
カクッという、向こうの部屋で寝ていた姉までおどろかしたほどの音がしたかとおもうと、あごがしまらなくなった。生まれてはじめて、あごをはずした瞬間だった。
途方に暮れるなどという、なまやさしい問題ではない。涙がでるぐらいすさまじい激痛にみまわれたが、それよりも、口がしまらないままいったい、これからさきどうなるのだろうという、どうしょうもなく不安と心配に苛まれた。
とにかくあごを閉じなければという気持ちにかりたてながらも、どうすることもできないまま、いたずらに時がすぎてゆく恐怖から逃れるべく、なかばやけくそで私は力いっぱい上あごと下あごをたたきつけるようにかみあわした。
ふたたびカキンという音が響いたと思うと、左あごはもとの正常な位置にはまっていた。右あごははずれていないことが後でわかった。両方はずれていたらおそらく私は口をあんぐりあけたまま病院にかけこむはめに陥っていたのではないだろうか。だが、はまったことで安堵してすっかり気がゆるんだ私は、なんの気なしに口をあけてみた。とたんに、またはずれてしまった。一度はずれたことで、靭帯が伸びてしまったのかもしれない。、私は再び、痛いおもいをしながら、最初とおなじ要領で、はずれたあごをもとにもどさなければならなかった。
一度外れたあごは、その後も、大きなあくびをするたびにはずれた。
一年に一度か二度、生あくびを連発する春先にそれは集中した。一年に一、二度というのが曲者で、あごのはずれる恐怖も、一年たてば人間、薄れてしまう。あっとおもったときはすでに遅く、カキンという音とともに、左あごはずれていた。
はずれるのはかならずしも、家の中だけとは限らない。出先でもあくびはする。歩いているときにはずれたこともあれば、一度などは満員の地下鉄内ではずれたこともあった。
忘れもしない、つり革にぶらさがって、窓ガラスにうつる自分をみつめていたときで、あわてて顔のまえを吊側をもつ腕でおおい、前に座る乗客の視線からいびつにあいたままの口を遮った。電車なので、あごがはまるときの骨の音が辺りにひびかないのが不幸中の幸いだった。
いったんはずれたときのあの、どうしょうもないやるせなさは、経験者でなければわからない。それに、はめるときのあの激痛は、ひとかたではない。なんとか、痛みをともなわずにはめることはできないかと、それは真剣に考えた。というのも、何回目かにはずれたさい、そのときにかぎってどうしたことか、すんなりあごははまって、痛みもなにも感じずにすんだことがあった。工夫しだいで、はずれたあごは無痛ではまる。そのコツさえのみこめればもう、あそこまであわてふためくこともないのにちがいない。しかし、そのつぎはずれたときはもう、天と地がひっくりかえったほどのあわてふためきぶりで、工夫もなにもあったものではなく、結局カキンという音と痛みをこらえて私はあごをはめているのだった。
最近になってウェブで、はずれたあこのはめ方として、頬骨に指をあてて下に押すようにすればはまるということをしった。世間にはやはり、私のような目にあっている人はいるようだ。
だがそれをみても、これまでの経験から結局は、右往左往したあげく、激痛とともにむりやりはめている自分の姿が想像されて、そのときも期待よりもむしろあきらめの気持ちのほうがおおきかった。
つい最近、やはり春先に、あくびを連発した私の左あごは、まるで恒例行事のように、はずれた。
例によってあたふたするだけしかできないとおもっていた私が、どういうわけかこのときだけは頬骨に指をあてて強く下に押すことができたのは、まったく奇跡としかいいようがない。あごは、小さいながらもやっぱりカキンと響いて、それなりの痛みをともなって、はまることははまってくれた。
期待した安心無痛のはまり方ではなかったものの、やけのやんぱち、どうにでもなれと強引にしめるやりかたよりは、ちょいまし、少しは理智的かなといえないこともなかった。このあごだけには本当に、泣かされている。


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