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犬飼根古太さん

よろしくお願いします。

性別 男性
将来の夢 どれだけ掛かっても作家になることです。
座右の銘 井の中の蛙 大海を知らず されど、空の深さを知る

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石の旅

16/05/15 コンテスト(テーマ):第109回時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:2件 犬飼根古太 閲覧数:1172

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 旅をしたことがない。
 自我に目覚めてからずっと、ただの一度もだ。
 おそらくこれからも出来ないのではないだろうか。なぜなら私は、石だからだ。
 流れの速い渓流に、旅人たちに主に利用される橋が架かっている。それを見下ろす崖上に私はずっといる。
 ずっと、という漠然とした感覚でしか石であるため分からない。長い間、目的地に急ぐ旅人や風景を楽しんでのんびり歩く旅行者など、いろいろな旅する人間を見てきた。
 情なき木石の一つである私とて、常に、まったく何も感じないわけではない。ふと強い憧憬を抱くことだってある。
 いつしか憧れを込めて、過ぎゆく人々を見下ろし、ある一つのことを願うようになった。
 ――旅をしてみたい、と。

 さて。そのように願うようになると、羨ましいのは何も旅する人間ばかりではない。
 鳥さえ羨ましい。
 夕焼けに向かって見えなくなるまで飛んでいく小さな黒い影を見送る時、胸を締めつけられる想いというものを石の身でありながら味わうこともある。
 あれも一つの旅の形だろう。
 西へ東へ、北へ南へ。あるいは己のみ、あるいは仲間共に、どこまでも飛んでゆく。
 それだけではない。木の葉さえも妬ましいのだ。
 風に乗って気ままに宙を巡る。元いた場所に戻ることもあれば、渓流に落ちてそのまま川下りを楽しむこともある。
 ――羨ましい。
 また、気の遠くなるような月日が流れて、私は次第に苔に覆われ出した。

 私の姿が苔むした石に変わる頃。私は旅することが絶対に出来ないと悟った。
 死ぬことも旅することも出来ず、このまま気が狂うほどの歳月をここでじっと過ごすしかないに違いない。
 心の奥底からそのことを実感した瞬間、精神のバランスを取るためか、今度は旅するものを馬鹿にするような気持ちが芽生え始めた。そして私は自分に、このように言い聞かせるようになっていく。
 あの橋を渡る旅人たちを見よ。彼らはああして歩き回れるが、長く生きることは出来まい。かつて見ただろう? 渓流に落ちた哀れな姿を。
 またこうも考えてみよ。人だって鳥だってすぐ死ぬ。木の葉だってあっという間に朽ち果てる。
 私は石だ。
 旅が出来ない石だ。
 だからこそ、簡単に死ぬことも朽ちることもなさそうじゃないか。それは、圧倒的に上位の存在ということではないだろうか。
 高い場所から旅人たちを見下ろし、老人の顎鬚のような苔を風に揺らす。

 いつしか旅が出来ないことを、「旅をしないだけ」と自分に嘘をつくようになった。
 それだけではない。思索して過ごすことを、思索の旅≠ネどともっともらしく呼ぶようになったのだ。
 旅するものに対して抱く羨望に気づかない振りをすることに決めた私は、吐き捨てるようにしばしば思う。
 ――馬鹿馬鹿しい。旅が出来るから何だというのだ。

 大雨の降るある日の朝、珍しく大きな地震が起きた。
 この辺りは地震が少なく、また、起きても小さいことが多い。
 何だか嫌な震動を感じるぞ、と不安がっている私の足元に、いきなり何もない空間が生じたのは突然だった。崖崩れが起こったのだ。
 これまで気の遠くなる程いた場所がなくなった。
 ぬかるむ土砂と共に斜面を転がり落ちる中、私の胸に去来した思いは何だったのか?
 恐怖? 絶望? 不安?
 いいや違う。
 歓喜。解放感。感動だった。
 転がる途中で硬い岩にぶつかり、私は砕けて鋭利な形になる。今の気分にピッタリな形状になれた。苔も削り取られて若々しくなったように感じられる。
 いつも羨望を込めて見つめていた橋を転がって通り過ぎ、渓流へと落ちる。
 勢いを増す激流にもみくちゃにされながらも、私は川下りも出来たことに感無量だった。

 川底を転がりながら人生を振り返る。
 かつて考えた。旅する存在たちは、姿を変えやすく、死にやすい、と。
 そしてそれは、石にも言えたのだ。
 旅は冒険である。危険を冒すと書いて冒険と読む。まさに旅は危険であったのだ。
 石といえど旅に出れば危険は付きものらしい。
 川底を転がり続け、かつて鋭利だった部分をすべて失って小さくなり、そして表面がじょじょに削られ、さらに砂利へと変化していこうとしている。
 小さくなるにつれて、思考がどんどんまとまらなくなる。思い出も消えていく。
 それでも後悔はない。
 なぜなら幸福だった
 旅    嬉し    ら。
        やっと
     だ!


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このストーリーに関するコメント

16/06/08 犬飼根古太

16様、初めまして。
コメント頂きありがとうございます。

>石の旅を書くこと
実は、同じ擬人化を使った一人称小説で入賞を逃した「ねこ」の回のリベンジでもありました。その作品を評価して頂けてとても嬉しいです。

>石の悔し紛れのセリフが好きです。
ありがとうございます。キャラクターが認めて頂けるのは有り難いことだと改めて実感しました。

>終わり方も、落ちるだけでは終わらないところが素敵です。
最も伝えたかった部分がしっかりと伝わったようで良かったです。
心の籠もった感想を頂き、ありがとうございます。

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