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草愛やし美さん

時空文学コンテスト開催100回、おめでとうございます。思えば、初めて私が、こちらに投稿したのは2012年5月のこと、もう4年近く経ったのですね。時空モノガタリさまが、創作の場を与えてくださったお陰で楽しい時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 また、拙い私の作品を読んでくださった方々に感謝しております。 やし美というのは本名です、母がつけてくれた名前、生まれた時にラジオから流れていた、島崎藤村作詞の「椰子の実」にちなんで……大好きな名前です。ツイッター:草藍やし美、https://twitter.com/cocosouai 

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将来の夢 いっぱい食べて飲んでも痩せているっての、いいだろうなあ〜〜
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格闘技いうたら、プロレスやろ!

12/09/10 コンテスト(テーマ):第十三回 時空モノガタリ文学賞【 格闘技 】 コメント:8件 草愛やし美 閲覧数:2747

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「格闘技いうたら、プロレスやろ」
 父は懐かしそうに目を細めた。酒をやめなければ体に悪いと何度言っても聞かない。うるさく注意すると、上目使いに「これ一杯だけで終わるから」とか「息子と飲む酒は格別だから今夜だけは許してくれよ」なんて言い出す。私はその言葉に弱い。同居をしようと言っても父は頑として首を縦に振らない。それどころか、「たまに会うから酒も美味いんだ」と笑ってごまかす始末で、いつも話をはぐらかされた。

 昭和30年代、私が小学生だった頃、我が家は小さなうどん屋をしていた。店と厨房が一階の半分近くを占めていたので、六畳一間に私たちは寝起きしていた。上がり口に一畳ほどの板の間があり、そこに食卓を置き階段下の斜めになった奥まったところにテレビを置いていた。当時、テレビは貴重品で、どこにでもあるという代物ではなかった。我が家のテレビは機械好きの父が日本橋という電気の街へ行き、キットを買ってきて組み立てたもので、器具だけのへんてこな物だった。他の家のような豪華さは少しもなく、支える足もない。ブラウン管があったのでかろうじてテレビだとわかる代物だったが、それでもテレビがあるということは凄いことだった。

 その頃、我が家は家計のたしにするため二階を間貸ししていた。若い大工さん夫婦が住んでいたが、彼らはプロレスが大好きだった。金曜夜8時に放映されるよりかなり前から階下へ降りてくる。食卓を六畳間に片付けテレビの前に座布団を並べ完了。みんなが座り、まだか、まだかと待つ。ようやく時間が来ると白黒の画面にリングが映る。大体3試合くらいあった。日本人と対戦するのは外人レスラーがほとんどで、外人レスラーたちは観客の興奮を煽るような反則をして悪役に徹していた。覆面をしてその中に武器を隠し頭突きで流血させたりするから、観客にも自然と熱がこもる。今思えば、そういう筋立になっていたのかもしれないが、当時はみんな本気で応援していた。
 初戦は有名でないレスラーで、最後に力道山が出てくる。そうなると、お茶の間は興奮のるつぼに包まれる。拳を握り締めみんな必死に応援する。
「そこだ蹴れ! あっ、反則した卑怯者め」
「逃げてえー回れ回れ、はよぅタッチして替われー」
 みんな自分がセコンドになったように叫びながら応援する。黒いタイツ姿がトレードマークの力道山は顔は優しいが強かった。ロープの反動を利用して戻ってきた敵の喉下に空手チョップを炸裂させる。技が決まり吹っ飛んだ敵の上に覆いかぶさって押さえ込む。
「1・2・3!」
 見ている全員がカウントを数える。こんなにも人が一つのことでまとまっているのを見たのは、後にも先にもなかったように思える。この一体感が父には堪らなくよかったのだろう。

 あれから、40年、母があっけなく病気で逝くと、父は酒に溺れるようになった。母は入院するまで働きづめだった。病気に気づくのが遅れことで父を責めたことがある。
「何で、気づいてやらんかったんや、一緒に住んでるのに……」
「病気なるもんが悪い、わしは知らん」
 父は意固地になって見舞いにも行こうとしない。私が母に文句を言うと母は「お父ちゃんはうちが病気なったのが怖いだけなんや、許してやってな。お父ちゃんはほんまは弱い人なんや、お願いや仲直りして、ようしたげてな」
 見合いで結ばれた夫婦だから、仲が良くないと私は思っていたが案外、支え合って成り立っていたのだなと思うようになった。

 父は酒を飲むと涙もろくなってすぐに昭和の頃の思い出話をした。プロレスをみんなで見たことはとりわけ感慨深いものがあったのだろう。繰り返し同じ話をした。私にはそれはもういいよとは言えなかった。母の話が出てきたからだ。
「お母ちゃんがな、座布団を並べて用意するんや。そしたら、二階の間借り人が降りてくるんや。あの間借り人夫婦、名前何やったかなぁ、忘れてしもうたわ、ハハハお父ちゃん、飲みすぎやなあ」
 父は老化したことを隠そうとそう言うのが常だった。
「プロレスやでえ、あんな面白いもんなかった。力道山がどない強かったか、お前に教えてやろうか」
 立ち上がろうとしてふらついた父はまた座り込むが、それでも話だけは続けている。
「空手チョップが炸裂や、こうやってパーーンと。お母ちゃんは力道山がやられたら、大声で叫んどったな」
 あの時間に戻れるかのように父は繰り返し話した。

 ある日、板の間にどうやったのかテレビを移動させていたのに驚いた。一人暮らしで、六畳の間も広々と使えるようになっているというのに……。
「どうやって動かしたんや? 何で板の間になんか」
「ここがテレビの定位置なんや」
 そう言って笑った顔は満足そうだった。母が逝ってそう年を経ず、母の墓に入った父、今は母と一緒に天国でプロレスを見ているのかもしれない。


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このストーリーに関するコメント

12/09/10 ドーナツ

k拝読しました。
>母と一緒に天国でプロレスを見ているのかもしれない。
情景が浮かびますよ。


テレビの中では激しいバトル、それを見ている仲よし家族。
こういうシチュエーション とても面白いです。

力道山 懐かしい。
うち中で 応援してました。
あの頃は白黒でスイッチをポチッと引っ張るテレビでしたよね。
街へ行くと テレビを売ってる店の前、人だかりだったような記憶があります。
プロレスは今でも好きで、ついつい声出して 応援してしまいます。

12/09/10 泡沫恋歌

草藍さん、拝読しました。

格闘技いうたら、プロレスやろ! ハイ! そうです♪

力道山は当時大人気のプロレスラーでしたね。タイガージェット・シンとかサーベル持って暴れるレスラーがいて、プロレスはショー的要素もあって観ていて面白いです。

懐かしい昭和の香りがして、楽しい作品でした。

12/09/11 そらの珊瑚

草藍さん、拝読しました。

お父さんにとって、うどんやをきりもみして、テレビがその中心にあり、客たちとにぎやかに過ごすそんな時代が、たぶん一番幸せだったのではないかと思いました。
うちも父がプロレス好きで、晩酌する横で、一緒によく見ました。ブッチャーがフォークを隠し持っているのを見て、ハラハラしたものです。

12/09/14 鮎風 遊

昭和、懐かしいですね。

12/10/06 草愛やし美

ドーナツさま
お読みくださってありがとうございます。

この話は自分の両親からイメージして書きました。ですので、実話の部分も入っています。格闘技といえば、私には幼い頃、両親や家族が楽しそうに見ていたプロレスしか思い浮かばなかったのです。
あの頃、力道山は不動の人気でした。絶対死なない人だと思っていましたが、ナイフに倒れたと聞いた時はショックでした。そんなことも思いだしながら書きました。

12/10/06 草愛やし美

泡沫恋歌さま

あの当時に生きていた人々にとっては忘れられないのがプロレスでした。紅白とプロレスの時間帯には銭湯が空くと言われていました。
でも実は私は隔週で放映されていた「ディズニー」の番組のほうが好きでした。(秘)でも家族みんなが1週間を心待ちしていたのや、ひとつになって大声で叫んで応援していたのは強烈な記憶に留まっています。コメントありがとうございました。

12/10/06 草愛やし美

そらの珊瑚さま
ブッチャーがフォークを持って……懐かしいですわ。(笑)あれは本当はらはらしたものです。悪役レスラーたちが武器を持っているのを知らないようなので、みんな必死で教えてましたねぇ。あの当時の人々は素直だったんだとあらためて思います。

コメントありがとうございました。

12/10/06 草愛やし美

鮎風 遊さま
お立ち寄りくださってありがとうございます。

昭和時間を共有して生きてきたものにとって、プロレスは誰もが何かしらの記憶を留めているのではないかと思います。

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