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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
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甘夏の食べ方

16/04/28 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1262

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窓ガラスをふきおえたとき、十時を五分過ぎていた。
マキは、掃除のやりのこしはないかと、念を入れて室内を見まわした。
……あと、二十五分だった。
昨日までどっちつかずの天候がけさは、からりと晴れて、わずかにあけた窓のすきまからレースのカーテンを押しのけて、さわやかな初夏の風が吹き込んできた。
きょうのことは、母には内緒だった。伝えるかどうかは、後で考えることにしていた。五歳のとき、家を出て行った父親との、二十年ぶりの再会だった。マキは、その後母が再婚したとき、父への未練は断ち切ったつもりでいた。新しい父親は優しく、母にも娘にも、まんぺんなく愛情をそそいでくれた。そりゃ、物足りないところはあったけれど、母をひどい目にあわせ、子供を捨てて出て行った父のことは、見切りをつけたつもりでいた。
それでもマキは、親戚の家の庭の、小さな池の前で自分を肩車して、当時の流行歌を口ずさんでいたときの父親の、肌の温もりはそれからもずっと忘れることができずにいた。
途方もなく長く感じられるようで、その実あっという間に時間はすぎていった。
約束の五分まえ、玄関のチャイムが鳴った。
とびあがりかけたマキは、自分を押さえつけるように軽く咳払いしてから、おもむろにたちあがった。そしてゆっくりと、ドアまで歩いていった。
「はい」
マキの声に、ドアの向うから、
「こんにちは。塩野です」と、チャイムを通さない肉声がかえってきた。
マキは鍵をあけようとしかけたが、最初から締めていなかったことに気がついた。
口許に、笑みをうかべた父が、どこか照れた風に頭をさげた。
「どうぞ、あがってください」
この瞬間、自分がどんな行動に出るか、あれこれ想像していたマキだった。父の胸元にとびこんで、その首にすがりついているところも考えた。反対に、怒りを込めた目でにらみつけている自分も思い描いた。丁寧に対応している自分を知って、これが現実なのかと胸のなかでつぶやいていた。
父は地味なスーツ姿で、部屋に入ってきた。背はマキよりわずかに高かった。どういうわけかもっと老けていると思い込んでいたので、そのぶん若々しい印象を彼女はうけた。
座布団にきちんと座る父に、
「どうぞ、膝を崩してください」
父は素直に胡坐をかいた。マキは台所に立ち、一度沸かした湯をふたたびガスの火で温めなおして、茶葉を入れた急須にその湯気を迸らせる湯をみたして、湯呑についだ。
父は、だされた湯呑に、口をつけた。
「変わりはなかったですか」
その言葉を、いつ出そうかとタイミングをはかっていた様子だった。
「はい。母も元気でいます」
「よかった。それはなにより」
「急に電話なんかして、おどろいたんじゃないですか」
父は、静かに笑った。
「しょうじき、うれしかったな」
その言葉はマキの中に、抵抗なくしみいってきた。
「二度と、顔をみることはできないと思っていたからね」
「このことは、お母さんにはいってないの」
いってから彼女は、このことは電話ですでに伝えていたことをおもいだしたが、父ははじめてきいたような顔でうなずいた。
二人のあいだに、話はあまりはずまなかった。というよりマキは、いまの自分の気持ちを、いったいどんな言葉でいいあらわせばいいのかわからなかった。こうして黙ってむかいあっているだけで、すべてが通じ合っているような、この満たされた気持ちを、どうか父親もあじわってくれていることを彼女は心から願った。
「すまない。そうながくもいられないんだ」
と父親がいったときも、マキはただこくりとうなずいた。二人のまんなかにおかれたカゴから、父親と自分のぶんの甘夏をとりだし、
「なにもないけど、これでもたべていってください」
「ああ、もうそんな季節になったんだね」
父親は、つやつやした皮に包まれた甘夏に手をのばした。マキもひとつをとると、皮をむきはじめた。
二人は、まるでもうしあわせたように、甘夏の皮むきに専念しはじめた。
「おいしい甘夏だ」
そういう父を、マキはうれしそうにながめた。甘夏が好きなことが、最初から彼女にはわかっていた。なぜなら、自分もこれが好物だったから。
父親は、帰っていった。
昼前だから、遠慮したのかもしれない。マキにしたら、いっしょに昼食をとりたかったのだが、むりにこひきとめることはしなかった。
テーブルに、父親のたべた甘夏の皮が残っていた。外皮を手ごろな大きさにちぎって、その上に皮をむいた甘夏をおき、それからひとつ、ひとつ、袋をむいて食べていた父親の姿がよみがえった。中身を食べて空になった袋は、べつの外皮のうえに、きれいに積み重ねてあった。
マキは、手もとにおかれた、じぶんの甘夏の食べ跡をみつめた。それが父親とまったく同じ食べ方なのをみとめたとたん、はじめて涙がながれおちた。


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